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「これは、私たちがサタンに欺かれないためです。

2016年09月24日 15時48分46秒 | 聖書


私たちはサタンの策略を知らないわけではありません」(Ⅱコリント2:10)

「私が何かを赦したのなら、私の赦したことは、キリストの御前で赦した」とパウロも言っている。
人を赦せない心は、サタンに足場を与えてしまう。

自らの心を「怒り」「プライド」「憎しみ」「敵対心」「嫉妬」「高慢」へと開く事になり、心にそれらを招き入れる。
サタンに足場を作らせてしまう。

心に足場があるから、サタンは自在にあおってくるし、増幅させて来る。
人を赦さない心は、サタンが動き回る場を提供し、サタンに機会を与える事になる。

又、赦さない心は、自分自身が牢獄に入る。自分を牢獄に閉じこめる事だ。
四六時中苦しみにがんじがらめで、解き放たれる事がない。
それだけでなく、憎しみや敵対心はそのままでなく、必ず強固になり増大して行く。

心はどんどん頑なになる。
その事で思いが一杯で、常にその事を考えているから、更に思いは強固になり、要塞になって行く。
自分が要塞を築いている。
自分が自分の心を屈折させ、歪んだ、ネガティブな性格を作り、否定的な人生にしてしまう。

赦さない心は、あなたの人格も人生も破壊させてしまう。そうしたいだろうか。
赦す事を拒むなら、自らと神の関係も拒む事になる。
神にまず、あるがままの心を率直に打ち明けよう。そこから始まる。
赦せない心を祈りに持って行こう。

「赦せませんが感謝します。神様が赦せるようにして下さるからです」と祈った人が赦せるようになった。
祈りは必ず答えられる。
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自我は決して赦そうとせず、赦したくない。
が、それならずっと平安の無い人生で、自分で牢獄に入る事になる。
自分の選択であり、赦しを選び取る時、牢獄から解き放たれ、平安を得る。
「赦したくない」とまずあるがまま主に近づこう。



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