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「ですから、私たちは聞いたことを、

2015年09月25日 17時01分42秒 | 聖書

ますますしっかり心に留めて、押し流されないようにしなければなりません」(ヘブル2:1)

心にひっかかる御言葉があるだろうか。
聞けない、聞きたくない、ふたをしておきたい御言葉だ。
御言葉は鏡となり心を映し出すので、それこそがあなたの問題点かも知れない。
薄々わかっているから聞くのが嫌なわけで、なぜ拒否反応が起こるのかよく考えてみよう。
プライドか虚栄、妬み、貪欲か、不信仰か何かに触れているはずだ。
そこをはっきりさせて行く事が成長だ。
神に向き合い、自らの真実な姿、弱さや罪を認めて行く時、御父との交わりの中で成長して行く。
御霊に自分の本当の姿を照らされ、自分が思っている自分ともズレがある。
それらを見せられ、変えられて行く。
自分の真の姿を見て行く時、成長して行く。
それにふたをしているなら、変えられようがない。
又、漠然と漫然とクリスチャン生活をしているなら、ただ流されて行くだけだ。
もし成長したいなら、御言葉に真剣に向き合う事だ。
必ず自分自身が照らされる。
自分の願いだけでなく、神が私に何を望んでおられるのかを求めて、従って行く時、出来ない自分、葛藤する自分を知り、実際の神の助けや支えを経験し、神を実感して行く。
ぼやっ~と流されないで、まず真剣に御言葉に向かってみよう。
流されるのは、しっかり御言葉を心に留めていないからとある。
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従えないと葛藤をする事もなく御言葉を流してしまっていないだろうか。
御言葉をひとつでも蓄え、自分の事として向き合い、聞き従う者でありたい。


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