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◆指導者の謙遜

2014年12月06日 07時18分21秒 | 聖書

人の高ぶりはその人を低くし、
心の低い人は誉れをつかむ。    (箴言二九23)

箴言二九章は、上に立つ人・支配者・治める人について中心的に教えている箇所です。その観点からきょうのことばも考えてみると、よく分かります。今までに会った、ほんとうの指導者は、みな謙遜だったように思います。
そうです。人の上に立つ人は、謙遜でなければなりません。「出るくいは打たれる」で、自分を鼻にかけすぎると、必ずたたかれ、痛い目に会います。私たちは、自分を鼻にかける人をきらいます。最後までは従おうとしません。しかし、それだから謙遜にしていることが必要だというわけではありません。
似て非なる謙遜も、いろいろあります。コマーシャル的な腰の低さとか、いんぎん無礼とかがあふれる中で、あなたをほんとうに高くし、誉れある者とし、指導者とする真の謙遜さとは、どんなものでしょうか。
第一に、自分自身を知りきっているゆえの謙遜です。自分がどんなに弱く自分勝手な罪深い者であるかを神の前にはっきりと知っています。そんな自分をも愛しゆるし救ってくださる神の恵みを知った人は、人を理解し、愛するのです。これこそ、上に立つ人の不可欠の資格ではないでしょうか。
第二に、自分の能力・地位・成功のすべては、神が与えてくださったものであり、何一つ自分のものはなく、自分がやったと誇るものがないことを悟りきっています。頭がいい。――神の賜物です。めぐり合わせがいい。――神の配剤です。家柄も健康も容貌も土地財産も、何一つ、自分のかせぎ出した自分のものといえるものはありません。神が与え、神が人の上に立つ者として、人と仕事を管理するように任せてくださったと思う時、へりくだって恐れおののくのです。
水が低いほうに流れるように、神の恵みと誉れは謙遜な人に流れこみます。

 


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