座間コミニティー

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

◆あなたは……悪を憎んだ。

2012年05月29日 11時36分15秒 | 聖書

(詩篇四五・七)

「怒っても、罪を犯してはなりません。」もし人が罪を怒らないとすれば、その人の中に善があるとは思えない。真理を愛する者は、一切の偽りを憎むはずである。私たちの主イエスは、誘惑が襲ってきた時、どれほどそれを憎まれたことであろう。それは三度手を変えて襲ったが、主は「引き下がれ、サタン」とのことばをもって撃退された。主は他人の中にある罪を憎み、叱責のことばよりはさらに熱烈なあわれみの涙をもって、罪に対する憎しみを示された。
しかし、主の次のみことばほど、エリヤを思わせるような激しさをもつものはない。「忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、やもめたちの家を食いつぶしていながら、見えのために長い祈りをするからです。」主はこの上なく悪を憎まれ、悪に致命傷を与えるためにご自身の血を流し、悪が死ぬためにご自身が死に、悪をご自身の墓に葬るために葬られ、永久に悪を御足の下に踏みにじるためによみがえられた。キリストは福音の中におられ、福音はあらゆる悪に反対する。悪は美服をまとい、聖いことばをまねる。しかし、イエスの教えは、有名な宮潔めの縄のむちのように、悪を宮から追い出し、それが主のからだである教会の中に存在するのを黙認されない。それゆえ、イエスの支配下にある心の中では、キリストとサタンのなんと激しい戦いがあることだろう。
さらに、私たちの贖い主がさばき主としておいでになる時には、「のろわれた者ども。わたしから離れよ」との雷のようなみことばが――これは主のご生涯を通じての罪に関する教えの延長にすぎないものだが――罪に対する主の憎しみを表すことだろう。主は罪人に対して温かい愛をもたれるだけに、罪に対しては燃えるような憎しみをもたれるのである。主の義が完全であられるだけに、あらゆる種類の悪を残らず破壊される。
ああ、栄光ある正義の闘士、悪の破壊者よ。それゆえ神、すなわちあなたの神は、あなたの友にまさって喜びの油を多く注がれたのである。

 


最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。