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マルコの福音書2章20節

2017年01月21日 07時47分08秒 | 聖書


★しかし、花婿が彼らから取り去られる時が来ます。その日には断食します。


■O:今日のコラム
2011年、最初の40日断食を行なった時、とにかくお腹が空き、食に対し敏感に反応するようになり、たとえば道を歩いていて「ラーメン」と書かれた文字を見ただけで、もう自分の内でラーメンの味を想像しはじめ、自分自身の生活を食が占めている割合の大きさを初めて実感しました。
さらに初めての40日断食の期間に4回も豪勢な食事に誘われ、その食事の席で食事をただ見ているだけという大きな試練を味わいました。そんな断食の期間の中、ある夜眠ろうとしたらあまりに圧倒的な主の愛が大波の様に私に押し寄せ、涙が溢れて止まらなくなり「主よ。あなたを愛しています。」と主に申し上げると、「私も、もっと大きな愛であなたを愛している。」という主の応答があり、あまりにも豊かな主の愛に圧倒される事を経験しました。この時、ただ苦しいだけの断食ではなく、主の親密さを慕い求める「花嫁の断食」の醍醐味を体験しました。
その経験以来、断食をしてお腹が空く度、「主よ。私は食べ物以上にあなたの臨在を愛しています。」と告白し、お腹が空く時を、主を思う時とするようになりました。
断食は食べ物を絶つ事がメインですが、それだけでなく、噂話しやおしゃべりを絶つ断食(イザヤ58章)、またテレビやメディアを絶つ断食もあります。いずれにしてもその目的は、パリサイ人がイエス様に質問をしたように、宗教的で律法的な行為の達成を目的とするのではなく、全て、この花婿なるイエス様を愛し慕い求める切なる飢え渇きから始まる事が大切です。その時私達は苦しみの断食から、喜びと楽しみの断食(ゼカリヤ書8:19)を経験する様になります。
この終わりの時代に、花嫁なる教会と聖徒達が、花婿なる主イエスを愛しているのでこの世の満足や、この世の楽しみ、他のもので自分を満たしたくない。ただ主によって満たされたい。という花婿を切に求める、花嫁としての断食を定期的に行う事が出来ます様に。いきなり全食抜く事が難しくても、一食を抜いてその時間を礼拝の時間としたり、自分の楽しみの時間やテレビを見る時間を祈りの時間として主に捧げたり、日常の生活の中で花嫁としての断食を行い、主を愛する喜びで絶えず満たされ、もうすぐにでも戻って来られる花婿なるイエス様をお迎えする備えをしようではありませんか。


■A:考えてみよう
主に祈り、聖霊様の導きの中で、まず出来る範囲から日々の生活の中で断食の歩みをする事が出来ますように。そのプランを立て、実行してみましょう。


■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


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