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◆捕われ人には赦免を……

2016年11月25日 07時39分36秒 | 聖書
告げるために。(ルカ四・一八)
捕われ人を解放できる者は、イエスのほかにない。真の自由は主によってのみもたらされる。
それは正当に授けられる自由である。万物の相続者である御子は、人を自由にする権利をもっておられるからである。
それは高い価によって買われた自由である。キリストは解放を宣言されるが、それは御血をもって買われたものである。あなたが自由にされたのは、主が拘束され、苦しまれたからである。身も心も軽くなったのは、主が代わって重荷を負われたからである。
高い価によって買われたものであるにもかかわらず、それは惜しげもなく主から与えられる自由である。イエスは、この自由を与えるために、私たちに何も要求されない。私たちが荒布をまとい、灰の中に座しているのを見て、美しい自由の着物をまとえとお命じになる。主は私たちをあるがままの状態で救ってくださる。
イエスの与えられる自由は永久不変であり、どのような鎖によっても私たちを再び縛ることはできない。主なる方が私に「捕われ人よ、あなたを解放する」と言われると、永遠にそうなるのである。この世は誘惑をもって私たちを陥れようとするかもしれない。しかし、私たちの味方である方は、私たちのすべての敵よりも強い。私たちの偽りに満ちた心は、私たちを苦しめ悩ますかもしれない。しかし、私たちのうちに良いわざを始められた方は、そのわざを継続しまた完成される。もし神が私たちを無罪とされたなら、だれが私たちを罪に定めることができよう。高い峰の上を飛び、雲のかなたに舞い上がるわしも、キリストが解放されたたましい以上に自由ではない。
もし私たちが、律法のもとになく、そののろいから自由になっているのであれば、私たちは感謝と喜びをもって神に仕え、私たちのもっている自由を実際に示そうではないか。「ああ、主よ。私はまことにあなたのしもべです。私は、あなたのしもべ、あなたのはしための子です。あなたは私のかせを解かれました。」「主よ。私はどうしたらよいのでしょうか。」
 

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