知恵のある者のおしえはいのちの泉、
これによって、死のわなをのがれることができる。(箴言一三14)
不確実時代とか、不確定時代といわれている現在、その中にあって、ただ一つの確実なことは、あなたも私も、やがて死ぬということです。しかし、この聖書のことばは、「死のわなをのがれる泉」があると言います。それによって、死を乗り越え死に打ち勝ち、いのちへ至るのです。それは、「知恵」だといわれます。どんな知恵であり真理なのでしょうか。
私のごく近しい友人から、子ども時代の思い出話を聞きました。家で飼っている山羊を、彼が世話をしていたそうです。子山羊だけ連れて草を食べさせに行くと、ツツジを食べて必ず下痢をします。ところが親山羊といっしょに連れていくと、親が教えるのでしょうか、ツツジを食べないので下痢をしないというのです。自然界には、神が与えてくださったこんな知恵があって、親から子に伝えられているのです。
ところが人間は、神に造られながら神に背いてしまい、神を離れ、神を捨て、この知恵を捨ててしまいました。そして私たちは一人残らず、神のない永遠のさばきを経て、死へと落ちこんでいくのです。しかし、背いた人間がその罪をゆるされて、もう一度、この神の愛のふところにもどる道があるのです。
それは、十字架の血によって開かれたいのちの泉です。罪を悔いて、身をかがめてへりくだった人に開かれています。狭き門・狭き道かもしれませんが、それは永遠のいのちへの道です。これこそ、死のわなから逃れる道です。これは、聖書の中の中心的メッセージであって、聖書は、そのいのちの道を指し示そうとしているのです。
「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです」(ヨハネ一四6)。わたしによってでなければ、だれもこの永遠のいのちの道に至ることはできないと、聖書は告げています。