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テサロニケ人への手紙第二3章5節(イザヤ書36章)

2014年09月23日 07時57分47秒 | 聖書

★どうか、主があなたがたの心を導いて、神の愛とキリストの忍耐とを持たせてくださいますように。

■O:今日のコラム
聖霊様は私たちの心を導いて、神の愛と忍耐を得させてくださるのです。主は、私たちの心に触れて導いてくださいます。愛は心から出てくるものであって、理論からは出てきません。特に私たち男性は、論理的な行動に重きを置きやすいものです。しかし、導き主である聖霊様は、私たちの心にアプローチして導いてくださるのです。

私たちを神の愛に支配されたものとしていきたいなら、心に湧き上がる愛の心に主導権をもたせければなりません。そして、湧き上がった愛の心が本当に神からのものであるかどうかは、論理的に御言葉に照らさなくてはなりません。私たちの心に語りかけてくるのは、主だけとは限らないからです。サタンも私たちの心にささやくのです。そして御言葉に照らしたなら、今度は、行動をもってそれを実際に表すのです。愛は、思いの中で完結しては何にもなりません。力強く行動的なものです。

たとえば貧しい人に施しをするとき、心は、与えたいという思いが沸きあがっていますが、論理的思考は、それは自分にとってマイナスだと訴えます。しかし、御言葉はやはり『与えよ』と語ってくるでしょう。こんなとき、心の思いをどうしたら表せるかを、今度は知恵を持って決断し、行動に移す。みなさん、そうしてらっしゃる事でしょう。

『心を尽くし、精神(つまり考え)を尽くし、力(つまり行動)を尽くして、あなたの神、主を愛しなさい』と私たちは言われています。これは全てを捧げてという意味ももちろんありますが、違う見方をすれば、神を愛する愛の流れる順番でもあるのです。

論理的な考え方に支配されず、心に湧き上がる愛に支配され、それを御言葉に照らした考え、それに従う良い行動をもって神の愛と忍耐へと導かれて行きましょう!


■A:考えてみよう
論理的な行動と、心に湧き上がる愛の思いが食い違うとき、愛の思いを優先させることからはじめよう!


■P:祈り



イエス・キリストのお名前によってお祈りします。アーメン。


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