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◆彼女はそれを食べ、

2016年03月19日 18時11分41秒 | 聖書
十分食べて、余りを残しておいた。(ルツ二・一四)
 
私たちがイエスから、パンを食べる特権を与えられる時はいつでも、ルツのように豊かなごちそうを十分に与えられる。イエスが主人であられる時、空腹のまま食卓を離れる者は一人もいない。私たちの頭は、主が啓示される尊い真理によって満たされる。私たちの心は、愛の対象を主に見いだして満ち足りる。私たちの希望もまた満足する。イエスのほかに、私たちは天において何も望まないからである。私たちの願いもまた満足する。私たちは「キリストを知り、キリストに見いだされること」以上の願いをもたないからである。イエスは、私たちの良心に全き平安が得られるまで満たしてくださる。また私たちの判断を、主の教えが確かであるという確信で満たされる。私たちの記憶を、主のなされたことの回想をもって満たし、私たちの想像を、この後主がなされることへの期待で満たされる。
ルツは「十分食べて、余りを残しておいた」が、私たちもそうである。私たちは深く飲み、キリストのすべてを自分のものとすることができたように考える。しかし私たちが最善を尽くしても、なおおびただしい残りがある。私たちは主の食卓に座り、そして言い続けてきた。「無限なる方のほかに私を満足させるものはない。私は大いなる罪人であるため、この罪を洗い流すには無限のいさおしが必要だ」と。しかし私たちの罪が除かれても、なおそのいさおしは残っている。聖なる愛の食卓に連なることによって、飢えは満たされたが、なお霊の食物が多く残っているのを見る。神のみことばには、私たちのまだ知らない妙味がある。しばらくは、それをそのままにしておくほかはない。
イエスが「わたしには、あなたがたに話すことがまだたくさんありますが、今あなたがたはそれに耐える力がありません」と言われたように、私たちのまだ到達していない恵みがあり、キリストとのさらに近い交わりの場所があり、まだ踏んだことのない霊の高い山々がある。愛の晩餐には、残りものが多い。この、栄光に輝くボアズのもてなしをほめたたえよう。
 
 

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