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◆神の求めたもういけにえ

2016年08月14日 07時41分53秒 | 聖書

正義と公義を行なうことは、
いけにえにまさって主に喜ばれる。(箴言二一3)
 
昔のエルサレムの神殿は、一日中、ささげられるいけにえの煙でもうもうとしていたのではないでしょうか。しかし旧新約聖書を通して、いけにえについて同じことがいわれているのです。
* サムエルは言いました。「聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる」(Ⅰサムエル一五22)。
* ミカは言いました。「人よ。何が良いことなのか。主は何をあなたに求めておられるのか。それは、ただ公義を行ない、誠実を愛し、へりくだってあなたの神とともに歩むことではないか」(ミカ六8)。
* イエス・キリストは言われました。「『わたしはあわれみは好むが、いけにえは好まない。』とはどういう意味か、行って学んで来なさい」(マタイ九13)。
神は、形式だけのいけにえや祭りや行事や祈りを憎まれます。神が喜ばれるのは、正義と公義を行うことです。そして、人間が行うべき、いいえ行いうる第一の公義・第一の正義とは何でしょう。
姦淫と殺人の罪を神の前ばかりか、人の前にも言い表して悔い改め、深い神の愛と恵みによって、人生をつくりかえられるような祝福を体験したダビデは、こう神の前にうたいました。「たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」(詩篇五一16―17)。
悔い改め、その砕かれた心に、まことに正しく、きよいお方を受け入れる。――このことこそ、神がお喜びになる公義・正義の根本的なものではないでしょうか。そこから、神に喜ばれ神を喜ぶ、祝福された豊かな人生が出発するのです。
 
 

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