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◆枝がぶどうの木についていなければ、

2016年11月13日 09時09分35秒 | 聖書
枝だけでは実を結ぶことができません。(ヨハネ一五・四)
あなたはどのようにして実を結び始めたのであろうか。それは、あなたがイエスのもとに来て、大いなる贖い主に身を託し、主の完成された義に憩うことができたからである。ああ、その時、なんとすばらしい実をあなたはもったことであろう。あなたは記憶しているだろうか。その時つるは茂り、柔らかいぶどうの実は現れ、ざくろは芽を出し、香料の花床は芳香を放った。
あなたはその後信仰が衰えたか。もしそうであるならば、あの愛の時を思い起こし、悔い改めて初めのわざをなせ。かつての経験を生かして、あなたを最もキリストに近づけたと思うことをなせ。なぜなら、あなたの実はすべて主から来るのだから。あなたを主のみもとに近づける聖い鍛練は、あなたが実を結ぶために役立つであろう。太陽は、疑いもなく果樹園の木の実を結ばせるのに大きな働きをなすが、イエスは恵みの園の木に対して、それ以上の働きをなされる。
あなたが最も実を結ばなかった時はいつであったか。それは、あなたが主から最も遠く離れて住み、祈りを怠り、信仰の単純さを失い、主を思わないで自分の徳を思い、「私の山は堅く立つ。私は動かされることはない」と言い、あなたの力がどこから来るかを忘れた時ではなかったか。その時、あなたは実を結ばなくなったのではないか。
私たちは、その心が主の前にきわめて低くされ、キリスト以外には何ももっていないことを教えられることがある。すべての被造物の力が無であり死であることを見る時、私たちは激しい苦悶のうちに、「すべての私の実は主から得なければならない。私からはどのように実も生ずることはないから」と叫ぶ。私たちは過去の経験から、単純にキリストにある神の恵みに信頼して、聖霊を待ち望めば待ち望むほど、良い実をより多く神にささげ得ることを教えられた。ああ、いのちのために主に信頼するとともに、実のためにも主に信頼したい。
 

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