主は、ペテロに対して言われたように、私たちに対してもしばしば「……あなたは、わたしに従いなさい」と言われる。どこへ導くにも、イエスは先立って行かれる。私たちは行く先を知らなくても、だれと共に行くかを知っている。旅は長いであろう。しかし主の永遠の腕は私たちを目的地まで運ぶ。イエスのおられることが、永遠の救いの確証である。主は生きておられる。それゆえ私たちも生きる。
私たちは、単純な信仰をもってキリストに従うべきである。主が導かれる道はすべて、栄光と不朽に至る道だからである。それは平たんな道ではなく、鋭いごつごつした試練におおわれているかもしれない。しかしその道は、神が「設計し、建設された」、「堅い基礎の上に建てられた都」へ続く。「主の小道はみな恵みと、まことである。その契約とさとしを守る者には。」
導き手である主に全き信頼を置こうではないか。なぜなら、前途に繁栄、逆境、病、健康、名声、軽蔑のどれがあろうと、主の目的は実現され、その目的はすべての恵みの相続人にとって、純粋な混じり気のない善であることを知っているからである。キリストと共に険しい道をよじ登ることはすばらしい。雨や雪が吹きつけても、主の愛に抱かれていることは、世俗の手で自らを暖めている者よりも、はるかにまさる祝福である。私たちは、愛する主に従って行こう。アマナの頂でも、獅子のほら穴、ひょうの山へでも行こう。
尊いイエス様。引き寄せてください。私たちは走ってあなたのみあとについてまいります。