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ヨシュア記5章10-12節

2013年06月28日 14時02分48秒 | 聖書

5:11 そして過越の祭の翌日、その地の穀物、すなわち種入れぬパンおよびいり麦を、その日に食べたが、
5:12 その地の穀物を食べた翌日から、マナの降ることはやみ、イスラエルの人々は、もはやマナを獲なかった。その年はカナンの地の産物を食べた。


荒れ野を放浪していた時、食べるパンがないと言って民がつぶやいたために、神様は天からのパンであるマナを備えてくださって、民を養ってくださいました。

 ところで、このイスラエルの民がカナンの地に入って初めての宿泊地であるギルガルに宿営した時に、エジプトから出たことを記念するためになされる、過越こしの犠牲を献げました。

同時にその地でとれた煎り麦とイースト菌を入れないパンを作って、それを食べて過越こしの祭りをいたしました。

それは、主がエジプトから民を導き出してくださった主の恵みを覚える、感謝の祭りでした。

そしてそのことが終わると、今まで民が養われてきたマナを与えられることが終わりました。

これから後、彼らはこの地でとれる産物によって養われることができたからです。

民への主の約束が、ここに実現したのです。


◆怒りをおそくする者

2013年06月28日 13時39分00秒 | 聖書

怒りをおそくする者は勇士にまさり、
自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。(箴言一六32)

あなたは怒りっぽいでしょうか。
自分の感情のコントロールができないで「怒る」ことと、正しい愛の心をもって、条理にかなったきびしいことばで「叱る」こととは違います。怒り方にもタイプがあります。かんしゃく持ちの爆発型もあるし、ねちねち怒る人もいます。
いずれにしても怒る人は、人の上に立てませんし、責任をもって事に当たることに不向きです。怒る人は、他人のした仕事の責任をとることもせず、他人にやる気を起こさせて、この人とならやるぞと人を動かすこともできません。ですから、家庭も職場も治めることができないでしょう。
すぐ怒る人は、自分の心が支配できない人です。反対に、自分の心を治める人は、「町を攻め取る者にまさる」といわれています。その置かれた立場は、たとえ大将でなくても、社長でなくても、人生のいろいろの場面でのリーダーになれるのです。
付け焼き刃や修養などでは、この心のコントロールはできません。昔から「山中の賊は治めやすく、心中の賊は治めにくい」といいます。中国人もインド人も西欧人も、皆このことを認めているようです。
聖書は、「内住のキリストこそ奥義」と述べています。へりくだって心をからっぽにして、その心の王座に、限りなく謙遜で柔和で愛のある真の王者、キリストに入って治めていただくことです。自分の意志を強くしてもだめでしょう。ものすごいワンマンの親分を、それより強いワンマンのやくざの親分が追い出して座っても、変わりがありません。心の中に神を迎えなければなりません。くだけた心に、信仰によってキリストを迎え入れることこそ、怒りをおそくする奥の手でしょう。怒りをおそくできる人こそ、真の人生の勇者です。

 


◆イエスから目を離さないでいなさい。

2013年06月28日 13時35分40秒 | 聖書

(ヘブル一二・二)

私たちの目を自分からイエスに移させるのは、聖霊の不断の働きである。サタンの働きはその正反対である。サタンは、常にキリストを見させず、私たち自身を見させようとするからだ。そしてこうほのめかす。「おまえの罪は、ゆるされるにはあまりにも大きい。おまえは信仰を全然もっていない。悔い改めがなっていない。長続きするはずがない。神の子としての喜びもない。ただ気まぐれにキリストにすがりついているにすぎない」と。これらはすべて私たち自身についての考えであり、私たちは自分の内を見ることによっては、決して慰めや確信を見いだすことはない。
しかし聖霊は、私たちの目を私たち自身から全く移される。主は私たちが無であり、「キリストがすべてである」ことを告げられる。だから次のことを覚えよ。あなたが救われるのは、あなたがキリストをとらえていることによってではない。キリストがあなたをお救いになったのである。あなたが救われるのは、キリストのうちにあるあなたの喜びによるのではない。キリストがあなたを救われたのである。またあなたが救われるのは、キリストへの信仰によるのでさえない。それは手段ではあるが、あなたを救うのはキリストの御血といさおしなのである。キリストをとらえているあなたの手を見ず、希望の源泉であるイエスを見よ。あなたの信仰を見ず、信仰の創始者であり完成者であるイエスから目を離すな。
私たちは自らの祈り、行為、感情を見ることによっては、決して幸福を見いだすことはない。たましいに平安を与えるのは私たちではなく、イエスである。ただちにサタンを征服し、神との平和を得たいと望むならば、「イエスから目を離さない」以外に道はない。あなたの目を単純にイエスに注ぎ、主の死、苦難、いさおし、栄光、とりなしをあなたの心にあざやかにせよ。
朝目が覚める時イエスを見つめ、夜休む時もイエスを見つめよ。おお、あなたの希望や恐れで、イエスとの間を隔てないようにせよ。しっかりとイエスについて行け。主は決してあなたを裏切られることはない。