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ヨシュア記1章1-5節

2013年06月08日 11時12分39秒 | 聖書

1:5 「あなたが生きながらえる日の間、あなたに当ることのできる者は、ひとりもないであろう。わたしは、モーセと共にいたように、あなたと共におるであろう。わたしはあなたを見放すことも、見捨てることもしない。」


モーセが死んだ後、ヨシュアが民の指導者として立たされました。

神がこのヨシュアを指導者とされたのです。

その彼がこの時に覚えるべきことは、主の約束です。

その約束は、主がいつも彼と共にいるということです。

主が共にいてくださるということは、主が語られた約束は、必ず実現してくださるということです。

その約束は、カナンの地を与えてくださるということでした。

そして、この主が彼と共にいてくださるということこそが、すべてに勝るところの祝福でした。

このお方が共にいてくださるならば、戦いに敗れることはないことを知るのです。

従って、ヨシュアに求められたことは、主が彼と共にいてくださるという約束を信じて従い、このお方の語ることに聞き、またその告げられたことに全力を尽くして従うことでありました。

つまり、主を信じて従う信仰が求められたのです。


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◆神に喜ばれるには

2013年06月08日 09時39分31秒 | 聖書

悪者のいけにえは主に忌みきらわれる。
正しい者の祈りは主に喜ばれる。   (箴言一五8)

ある時、「私、主人にきらわれたら、もう生きていく気がしないんです。あの人に喜ばれるように喜ばれるようにと生きてきたんですのに」と中年の女性に相談を受けて、心を打たれたことがあります。
人生で一番祝福された生き方は、神を喜ばそうとひたすら生きる生き方ではないかと思います。神に忌みきらわれるなら大変です。きよく正しく、しかも愛と真実なお方である天地万有の創造者・支配者にきらわれることは大変なことです。
どういう人が神に喜ばれ、どういうことが神にきらわれるのでしょうか。毎年、天皇陛下が、新宿御苑の観菊会に人々を招待します。時には、ほほえましくうれしくなるような町の人・庶民も招かれることがありましょう。しかしたいていは、権力や地位のある人・学識のある人・大きな財産を持つ人・大きな影響力のある人・有名な人・成功者ばかりです。いわば貢献度のある人、言い換えれば、目に見えるいけにえを携えてこられる人が招かれます。無位無冠の手ぶらでは無理なのです。ところが神は、心はよごれて自分勝手なのに、おみやげばかり華々しい、これみよがしの高ぶった人をおきらいになります。そんな人は、ほんとうの意味では神の愛の前に立つことはできません。
神のみ前に出るには、手ぶらで、何もいけにえはなくてもいいのです。神を神とし、真実のくだけた心がほとばしり出る祈りを持つ人を、神は喜び、み前に引き出し、ゆるし、きよめ、満たし、励まし、新しくしてくださるのです。ダビデは、このように歌いました。「たとい私がささげても、まことに、あなたはいけにえを喜ばれません。全焼のいけにえを、望まれません。神へのいけにえは、砕かれたたましい。砕かれた、悔いた心。神よ。あなたは、それをさげすまれません」(詩篇五一16―17)。

 

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◆この戦いは神から出ていたため、

2013年06月08日 09時37分55秒 | 聖書

多くの者が刺し殺されて倒れたからである。(Ⅰ歴代五・二二)

主イエスの旗のもとで戦う戦士たちよ。この聖句をきよい喜びをもって味わえ。なぜなら神の戦いであるなら、確実に勝ちを得ることは、昔も今も変わらないことだからである。ルベン族とガド族とマナセの半部族は、かろうじて四万五千の戦い得る者を召集したにすぎなかったが、ハガル人との戦いにおいて「十万人」を殺した。「それは、彼らがその戦いのときに、神に呼ばわったからである。彼らが神に拠り頼んだので、神は彼らの願いを聞き入れられた」のである。
私たちはどれほどわずかであろうと、主の御名によって出陣すべきである。万軍の主が私たちの指導者として共におられるからである。彼らは、盾や剣や弓をおろそかにはしなかった。しかし、これらの武器を信頼したのではなかった。私たちはあらゆるふさわしい手段を用いなければならないが、信頼は主の上にのみ置かれなければならない。主は神の民の剣であり、盾であられるからである。彼らの大成功の主な理由は、「戦いが神から出ていた」事実にある。
愛する友よ。あなたが内外の罪と戦い、教義上の、あるいは実際上の誤謬と戦い、高い所または低い所の霊的な悪と戦い、悪魔およびその仲間と戦う時、あなたは主の戦いを戦っているのである。それで、神が敗北されない限り、あなたは敗北を恐れる必要はない。敵が数においてまさっていてもひるむな。困難や不可能にあっても臆するな。傷や死に直面しても退くな。御霊の両刃の剣を取って打て。そうすればしかばねの山を築くことができる。この戦いは主の戦いである。主はその敵を私たちの手に渡してくださる。足を踏みしめ、こぶしを固め、心を強くし、燃えるような意気をもって敵に立ち向かえ。そうすれば、悪の大軍は、風が吹き飛ばすもみがらのように飛び去るであろう。
「立てよ! いくさは やがて終わり
 とわの勝ち歌 高く歌い
 尽きぬいのちの 冠を受け
 栄えの君と 共に治めん」

 

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