座間コミニティー

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リラックス

2012年11月02日 15時38分56秒 | 日記

良く聞かれる事ですが「リラックス」するにはどうしたら良いのか私はどのようにしているのか?と良く聞かれます。

一つは、どこでもかまわずに神様に心の中で祈ることをします、すると圧倒的な存在に包まれることがあります、その時は感動と感謝の涙が出てきます。

二つ目は、感動を求めて音楽や映画を観賞します。これもリフレッシュされます。

三つ目は、一日を振り返ってたくさんのありがとうを数えることです、いつの間にか、ありがとうの宝物が山積みになっていますそして惜しみなく皆様にさしあげています。

皆さんも自分なりのリラックス法があるかと思います、是非お聞かせください。

                 


魔夜中

2012年11月02日 10時50分05秒 | 日記

夜中の2時~3時この時間は自殺や自傷行為、生活に困窮してネットカフェで皆何かのSOS を出し助けて欲しい!気づいて欲しい、聞いて欲しいと思いシグナルを送ってくる時間です。

私はこの時間になるといつも緊張します。

また、お祈りをささげて、仮眠を取ります。

いつも疑問に思います、自殺者3万人を越える状況でこの夜中に開いている相談機関が極端に少ないのだろうと!!

皆さんはどう考えていらっしゃるでしょうか?

ご意見を聞かせてください。


民数記32章16-27節

2012年11月02日 09時56分12秒 | 聖書

32:22 「その地が主の前に征服され、その後あなたがたが帰って来るのであれば、あなたがたは主に対しても、イスラエルに対しても責任が解除される。そして、この地は主の前であなたがたの所有地となる。」


モーセの言葉を聞いたガドとルベン族の人々は、モーセが思っているような姿勢を持っていませんと告げました。

自分たちの家族のためには町を作り、また家畜のためには囲いを作りますが、イスラエルの民が約束の地に入ってそこで相続地を獲得するまでは、自分たちはこの地に帰ってくることはいたしませんと告げました。

 つまり、自分たちはこのイスラエルの民と同じような心を持って、この約束の地の獲得に励みますと約束したのです。

彼等は、自分たちもこの民と心を1つにしていますと語ったのです。

 これを聞いたモ-セは、その約束したとおりのことをするならば、約束の地を獲得しなければならない責務を実現することになる、と言いました。

従って大事なことは、語ったとおりに実行をしなさいということでした。


民数記32章6-15節

2012年11月02日 09時54分50秒 | 聖書


32:15 「あなたがたが、もしそむいて主に従わなければ、主はまたこの民をこの荒野に見捨てられる。そしてあなたがたはこの民すべてに滅びをもたらすことになる。」


ガド族やルベン族などは、ヨルダンの東側の地にとどまることを望みました。

そこが羊などを飼うために、大変良い地であったからです。

 ところが、モーセはそうしたことが、イスラエルの民が約束の地であるカナンの地を攻略する時に、人々の士気をくじいてしまうことになることを懸念しました。

ですから、なぜこの時に、あなた方はこのようなことを言い出すのかと告げました。

それは、かつてカデシュバルネアで偵察隊が送られた時に、偵察をした人々がカナンの地に入ることを恐れて、人々の士気をくじいてしまった時に似ていると言いました。

神様が約束されたことを信じないで、現実を恐れて入ろうとしないならば、ちょうどあの時に神様がイスラエルの民を裁かれたように、今度もあなた方のみではなく、このイスラエルの民全体にも神様の裁きがくだされるであろうと、モーセは彼等に警告をしたのでした。


◆あすを誇るな

2012年11月02日 09時52分20秒 | 聖書

あすのことを誇るな。
一日のうちに何が起こるか、
あなたは知らないからだ。       (箴言二七1)

あなたは、あなたの「あす」・あなたの将来をどうお考えでしょうか。聖書は、あすについて三つのことを教えています。
第一は、「あすのことは心配するな」ということです。イエス・キリストは、「あすのための心配は無用です。あすのことはあすが心配します」(マタイ六34)と言われました。きょう一日を一日一生のように考えて、神第一に生きましょう。あすのことは、くよくよと心配すべきではありません。聖書は言います。「だから、神の国とその義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます」(マタイ六33)。
第二は、「あすに備えよ」ということです。ヤコブも、「あなたがたには、あすのことはわからない」(ヤコブ四14)と言いました。そうです。あす、死ぬか、神のさばきの日が来るかは分かりません。だから聖書は、「あなたの神に会う備えをせよ」(アモス四12)と言います。あすではなく、きょう備えるべきです。
第三は、「あすのことを誇るな」という、きょうの箇所のことばです。私たちの未来は、自分の手の中にありません。だから、自分を知恵のある者と思ってはなりません。自分の悟りにたよって、自分中心の計画や見通しを立ててはならないのです。
そして第四は、「主を恐れ、悪を離れ、主によりたのみ、主のみこころにそった人生計画・人生設計を立てる」べきことです。私たちの未来は、神である主のみ手の中にあるからです。ソロモンは言います。「心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。自分を知恵のある者と思うな。主を恐れて、悪から離れよ」(箴言三5―7)。

 


◆主であるわたしは変わることがない。

2012年11月02日 09時50分58秒 | 聖書

(マラキ三・六)

この世においてはすべてのものが変化するが、その変化によって影響されることのない方がただ一人おられることは、私たちにとって非常に喜ばしいことである。その方の心は決して変わることなく、その額にはしわが刻まれることもない。主以外のすべてのものは変化してきたのであり、また現在も変化している。太陽も年とともに光が鈍くなり、この世界も次第に古くなりつつある。使い古した衣服の整理はすでに始まっている。天地はまもなく滅びなければならない。それらは着物のように次第に古くなり、やがて朽ち果てるであろう。しかし、ただ一人不死の方がおられる。その年月には終わりがなく、そのご人格には変化がない。クリスチャンがこの悩みの多い定まりのない世にあって、その信仰の足を「主であるわたしは変わることがない」という真理の上に置いた時の満足は、船乗りが何日も荒波にもてあそばれた後、再びしっかりとした大地に足を踏みしめた時の喜びに比すべきものである。
いかりがついに海底にくい込む時の船に与える安定感は、クリスチャンの希望がこの輝かしい真理をとらえた時に生ずる安定感に似ている。神には「移り変わりや、移り行く影はありません」。昔、神の属性であった力、知恵、正義、真実は今も変わっていない。神は常にその民の避け所であり、苦難の時のとりでであられた。そして今もなお、神の民の確かな助け手であられる。また神はその愛においても不変である。神は「永遠の愛」をもってその民を愛してこられ、今もなお愛しておられる。そしてこの地上にあるすべてのものが、最後の大いなる火によって溶かされる時にも、神の愛は、青春の露のように新鮮で、初めと変わらない。神が変わられないという保証は、なんと尊いものであろう。摂理の車輪は回転する。しかしその車軸は永遠の愛なのである。
 死と変化とはいつもせわしく
 人は死んでいき、時代は変わる
 しかし、神のあわれみは衰えることがない
 神は知恵であり、また愛である