大学で、昼食をひとりでとることが時々あった。
忙しい仕事の合間にオフィスを飛び出し、キャンパスのあちこちにあるパラソル屋根の屋台の一つに走った。
お昼の時間は、どこも行列ができていたが、その最後尾に並び、手っ取り早く食べれるソーメンを注文した。
プラスティックのコーヒーカップを大きくしたような容器にソーメンが入っていて、1ドルだった。
それを受け取ると、近くのベンチに腰をおろして食べていたのである。
ある時、ちょうどマスイさんが通りかかり、トシを見つけ食べる様子を眺めていたようだ。
目が合うと、
「トシ!そんなものを食っているのか? 栄養不足で、そのうちやせ細ってしまうぞ!」
「ああ、マスイさん! そんなところにいたの? 別にまずい食事ではないよ。お昼はこれで十分だよ!」
「トシは貧乏だからなあ!」と彼。
ソーメンを食べていて貧乏人にされてしまった。
マスイさんは、勘違いしているようで、トシは経済的にそんなに困っているわけでなく、まして自分が貧乏だとは思っていない。
トシと同じように日本から来て勉強している同僚たちの方が困っている人たちが多かった。
お金に困っている人も、そのことを悔やむでもなく、みんな一生懸命未来に向かって頑張っていて、現状を悲観する人などいなかったように思う。
日本から来た人たちと、時々飲みに行き友情を深めあったりしていた。
そのような人たちの中で、むしろ恵まれていたのはトシで、彼らに代わって支払いもしていた。
彼らは、日本に帰国した後、各地の大学で教えるようになったが、あの時の友情はそのままで、近況を確かめあったりしている。
トシがソーメンを啜っているのを見て、その淋しげな雰囲気から、マスイさんは、何かを感じたのかもしれない。
ある時、オフィスの事務員が、トシに向かって、
" We have something from Doctor Masui. " (マスイ先生から預かりものがあります)と言ってきた。
紙袋にマンゴが3つ入っていた。
どうもマスイさんの秘書が持って来たようで、" For Toshi " 『 トシへ 』と表書きされていた。
この前の「ソーメンの件」以来,マスイさんは、何だか心やさしい気遣いをしてくれるようになってきた。
カップヌードルの差し入れがあったり、奥さん手作りのケーキなどもオフィスに届くようになったのである。
「別に食い物に困っているわけでないよ!」と言っても、「そんなことじゃないから、心配するな!」と言う。
電話がかかってきて、「トシ!ランチに行こうか?」とか誘ってくるようになったのである。そしてなかなかトシに払わせようとしないのである。
ハワイに来た初めのころは、もとより知り合いも友達もいなくて、ひとりでいることが多かった。
ミールクーポンを持って、大学内のあちこちにあるカフェテリアに行って食事をしていたが、誰かと一緒に食べることなどなかった。
ひとり、ふたりと知り合いができてくると、それに従って、お昼時になると、誰かが声をかけてくれるようになったが、
初めての友達は、ティムとサラである。
二人は夫婦で、カリフォーニア大学で知り合い、恋仲になり、卒業後に結婚したようだ。
一度は民間の企業に就職して、キャリアを目指していたが、何か期するものがあったのか、ハワイ大学でフェローシップを得て、研究を続けていたのである。
メディカルセンターで順番待ちをしていて、どこに並べばいいのかわからなくてあちこちを見まわしていた時、そんなトシの様子をどこかで見ていたサラが声をかけてくれた。
歓迎パーティの時、「あなたに会って、少しお話をしたのですよ!」ということだが、トシ本人は全く記憶にない。
毎日が、何も分からず右往左往していた時期で、一種のパニック状態の中にいた。
ティムとサラ夫妻は、本当にいい人たちで、その後さまざまな場面で世話になった。
アパートを探していて、なかなか適当なところが見つからず苦労をしていた時、暑いハワイの炎天の中一緒に歩いて探してくれた。
彼らにとってもハワイは初めてのようだったが、全くの異国からやってきたトシと違って、彼らは同じ国のアメリカ人だから、そしてトシより一年も前にハワイに来たということで、いくぶん事情に明るいようだったのである。
彼らには、仲良しグループがあって、海軍の士官から転向して大学院で勉強していたジョン、小学校の先生をしながら勉学を続けるリンダ、台湾から医学を学ぶためにやって来た留学生のレイファンリン、それにトシがこのグループに加わった。
6人は、それぞれ違ったところで研究していたが、ランチの時、あるいは夕食のときにカフェテリアに集まった。