知り合いができるにつれて、ランチタイムに食事に誘ってくれる人ができた。
彼らは、カフェテリアにひとりで行くより、だれかと食事を楽しみたいと思うのか、アメリカ人らしいというか、気軽く、
「食事に行きませんか?」と声をかけてくれる。
食事をする間、いろいろな話ができるわけだから、相手とより知り合えて友情を育むこともできる。
心地いいコミュニケーションのひとときである。
女性で、家から弁当を持ってくる人もいて、
「作りすぎたので、半分どう?」などと言ってくれる人もいる。
キャンパスの木陰の芝生で、ベンディングマシーンから飲み物を買ってきて、弁当を広げるとピクニック気分である。
お昼休みの時で、近くを多くの学生が通り過ぎるが、彼らは、別に関心を示すようでもなく、こちらも気にならない。
ハワイにやって来たばかりで、右も左もわからない時、初めて知り合ったのがティムとサラ夫妻である。
大学に提出するメディカルチェックを受けるために、キャンパスにある医療センターに行ったとき、どうしていいのか分からず途方に暮れていたトシを見て、サラが声をかけてくれた。
その後、何かにつけ、この二人には出会っていたが、二人がいつも一緒にいるのに夫婦だとは知らなくて、仲のいい人たちだなあと思っていたほどだった。
トシに話しかけるのは、大概サラの方で、ティムは、後方でニコニコ笑いながら見つめている感じだったのである。
二人は、カリフォーニアからやってきたと聞いていたし、そんな関係で友達なのかなあというくらいにしか思っていなかった。
知り合いのいない頃で、彼らは、トシが困っていた時、何かにつけアドバイスしてくれたり助けてくれた。
" Everything OK? Tell us if you have anything in trouble ! "
( うまくいっている? 困ったことがあったら言ってね! )
などと声をかけてくれた。
わざわざオフィスまで訪ねてくれて食事に誘ってくれたりもした。
カリフォーニアにいる時は、「マリナ・デル・レイ」の波止場に係いでいたヨットで週末外洋に出ていたというくらいだから、かなり贅沢に生活していたようだった。
何故そのような生活を投げ打ってまでハワイで勉強を続ける気になったのだろうか。
ハワイ時代の彼らの生活は質素で、食事はカフェテリアで済ませ、車はなく何処に行くにもバスだった。
二人ともいつもリュックを背負っていて、スニーカー履きにジーンズの服装だったように記憶している。
彼らのアパートによく行くようになったが、冷蔵庫にジュースが入っているだけで、家には台所があるのに、奥さんも食事の用意をすることはなかった。
もともとはそうでなく、ちゃんと料理も得意だということだったが、『勉学』のためには、すべてを犠牲にするという徹底ぶりだったのである。
このことは奥さんに余計な負担をかけさせまいとする旦那の配慮だったのである。
それでも週末は、ささやかな楽しみごとを見つけ出かけたりしていた。
大学の映画館で、一ドルの映画を見に行くことも多かった。
大きなどん袋を担いで、ビーチに行き、泳いだり寝転がって読書をしたりすることもあった。
音楽が好きで、ワイキキシェルやブライスデ―ル、そのほかのコンサートホールに行くこともあったし、大学の野外劇場やケネディシアターでコンサートを聴くこともあった。
一度、ワイキキの音楽会に行った時、コンサートが終わって感動した気持をそのまま家に帰るのがもったいなくて、感想を語りたくて近くのコーヒーショップに入ってしまった。
コーヒーを飲んだり、アイスクリームを食べながら話で盛り上がってしまって、気がつくと深夜になっていたことがあった。
それほど遅い時間だと気づかないまま、帰りのバスがもうなくなっていたのである。
トシにすれば、割り勘でタクシーを呼べばと簡単に考えていた。彼らには、最初から「タクシーに乗る!」というオプションはなかったようである。
「歩いて帰ろう!」と一斉に歩きだした。それにしてもかなりの道のりである。お金の問題ではなく、「勉学のため」には、贅沢を排除するという彼らのストイックなまでの姿勢を思い知ってしまった。
音楽会に行ったグループには、半分くらい女性もいた。みんながいっせいに大股で歩き出したが、追いて歩くのが大変だった。
彼らは、大声で談笑しながら歩いていたが、トシは歩くだけで精いっぱいだった。
遅れて距離がひらいていくトシを、サラは心配の様子で、曲がり角で顔をのぞかせて待ってくれた。
それぞれの家が近づくと、「グッドナイト!」と声を交わしながら一人減り、また一人減っていったが、ティムとサラは、自分たちに家を通り越して、トシの家まで見送ってくれて、それから帰って行った。