(9)
グレッグはニューヨークに帰って来た。
あの島で過ごしたことがまるで夢のように思い出された。映画を見るようで、その主人公が自分だと思えなかったのである。
ニューヨークでは、毎日が忙しかった。
以前と同じように毎日がせわしなく過ぎていったのである。急に現実に連れ戻された感じで、グレッグは戸惑っていた。
レベッカのことを想った。彼女のちょっとした仕草やさり気なく交わした言葉などが、懐かしさをもって脳裏に浮かんできた。
一日の仕事を終えて家路につくときなど、いつものようにデリカテッセンで夕食の材料を買ったり、コーヒーショップや「イーツ」( Eats )と言う食堂で食事をしていても、いかにも味気なった。レベッカとレストランでワインを飲み、港の風景を見ながら食事をし、楽しく会話を楽しむ自分を想像した。
それでも、毎日の仕事は切りがないほどやってきた。
朝の9時になると、予約の患者が次々に訪れた。毎日のこととはいえ、いつもスムースに仕事が捗るというわけではなかったのである。
患者は、いつもわがままで、得手勝手である。不必要に自分の病状を細々解説するひと、訳のわからない要求をしてくる人、この薬を処方してくださいと薬だけを要求する人など、それらの人たちに対応するのはいつものことながら辟易した。
それでもレベッカとの交信は何らかの形で続いていた。会えないだけ、むしろお互いの気持ちは深まっていくようだった。
おそらく彼女は、エミリー・ディキンソンの詩を読んだことはなかったと思うが、自分の気持ちをディキンソンの詩に託して送ってきた。
" I held a jewel in my fingers
And went to sleep.
The day was warm and winds were prosy.
I said: '''T will keep''
( 私は宝石を手に持ち、眠りについた。
その日は温かく風は穏やかだった。
’これを手放さないわ’と私は言った。 )
週末、以前だと自分から病院に出かけて、雑務を処理したり、研究したり、別の医者に代わって自ら勤務をすることもあったが、今では、できるだけレベッカのことを優先して考えたい気持ちだった。
メインとニューヨークの中間あたりにあるマンチェスターで彼女と会うことができた。
レベッカも、車を運転してグレッグに会うため、マンチェスターまだやってきた。
ふたりは週末のデートを楽しんだ。手をつないで街をぶらぶら歩くだけでも、グレッグにとって、この上ない喜びだったのである。
レベッカがグレッグに会いに行くことを知ると、区長は、グレッグ宛ての手紙と書類をレベッカに託した。
まるでもうグレッグが、島の住人になるのを予定しているかのように、区長は将来の計画を進めているようだった。
私の友人たちで、二人で専門職を持ちながら、どちらかに合わせて、例えば、奥さんの仕事に合わせ奥さんの職場の近くに住む、またその逆でうまくいっている人たちが多くいます。
奥さんがハワイ大学の助教授で、旦那さんが、カリフォーニア大学の教授をしている人がいて、時々夕食に呼ばれたりしていました。
土曜を講義のない日にして、金曜日に仕事を終えると、その足でホノルル空港に車を飛ばして、飛行機に乗りカリーフォーニアに飛んでいっていき、旦那さんと一緒に過ごしていた人がいますが、この人たちは離婚してしまいました。
秋は夜の時間が長くなるので、テレビなどない時代では、皆さん、本を読むことに時間を利用していたのでしょうか。
歌詞にもありましたが
会えない時間が愛育てるのさ♪
これは郷ひろみさんの歌でしたね。
遠距離は実を結ばないことも多いようですが
お二人はそうはならない気がします。
応援したくなりますね。
やはり「本」は良いですよね。
昔、読んだ本を再度読み直しても違った発見があります。
本に親しむ時間を作ろうと思います。
大学や高校、公立図書館にも、本を売っています。
一冊一ドルぐらいで買えて、興味のある本を見つけた時など本当にうれしいです。
ニューヨーク、サンフランシスコ、ロスアンジェルスなどの都市の本屋でもいろいろの本を買いました。
それらを読んで、思わずいい話に出会い、それらが、人生の糧になっています。
この物語は前半 アパラチアントレイルの事などが
入っていますね
多分、人生についての本なのでしょうね
英語でこう言う本が、読めるようになりたかったです
もう遅いですが 。。。