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グレッグには、ニューヨークを出てから、ずいぶん時間がたったように思えた。
毎日が目まぐるしく変わっていった。普通では体験できないことも体験した。
生まれて初めて民宿に泊まったこと、宿の女主人と深夜まで話し合ったのもニューヨークにいては体験できないことで、いろいろと啓発もされた。
アパラチアン・トレイルを渡り歩いていたジムにも出会った。彼は、人生で大きな挫折を迎えていた。彼の場合、頭もいい、分別もあるから、これからの人生をうまくやっていくだろう。
愛車のポルシェを駆けながら、道を間違え山間の細い道を走ったりしたが、ようやく海岸の道に出て、ひたすら北に向かっていた。
急に賑やかな港町に出たと思ったら、丁度フェリーが出帆するところで、間一髪船にポルシェを滑り込ませた。どこに行くのかまるで当てがなかった。
島の図書館に立ち寄り、観光地図でも貰えればと思ったのだが、そこで思いがけずレベッカに出会ったのである。
" I like to see it lap the miles,
And lick the valleys up,
And stop to feed itself at tanks;
And then, prodigious, step
Around a pile of mountains "
( 汽車は何マイルも走り続け、
谷間をなめるように巡り、
やがて貯め池のところで立ち止まり、乾いた喉を癒し、
それから、再び連なる山々のなかを力強く走り始める、
そんな汽車を見るのが好きなのだ )
知らず知らずにディキンソンの詩に出てくる「汽車」に自分を例えていた。
いつもは、控えめで、出しゃばることが嫌いなグレッグも、レベッカに関しては、機関車のように勢いよく、心を割りさらけ出し、なんとしてでも自分をレベッカに受け入れてもらいたい気持だった。
レベッカをレストランに招ったとき、" I'd like to. "( 喜んで!)と言ってくれたのは、おそらく「特別な彼氏」( steady relationship )はいない、あるいは、結婚もしていないだろうと勝手に判断した。
グレッグは、女性に対しては控えめで、積極的に自らのめり込むことはなかった。
ジョージア時代には、同じ医学部に好ましい女性がいた。グレッグの家にもよく遊びに来ていた。グレッグの母親も、「あの人はいい人だねえ!」と言っていて、母は、彼女こそが、グレッグの将来の配偶者だと思い込んでいる節があった。
しかしお互い大学を出て、遠く離れてしまった。遠距離恋愛が原因だったのか、おそらく女性のほうの心が離れてしまったのだろう。
ある時、「あの人には恋人がいるようだよ!」と旧友と話していた時に耳にした。
振り返ってみると、ふたりの間の気持ちが、「恋」だと言えるかどうか、今から思えば、それほどのめり込むような気持は、もともと無かったのかもしれない。
グレッグの場合、まだ配偶者も子供もいなくて、身軽だったから、思い切って人生を変えることができました。
アメリカ人の場合、【上昇志向】(upward mobility) があって、いつも上のほうや別の世界を考えながら生きている気がします。
後で振り返っても人生の分岐点って幾つかあります。
未来を見据えて前へ前へと進まないといけないのですね。
自身の人生だけでなく親や子の人生にも関わってくることを感じています。
旅に出たことが、思わぬ展開になってしまいます。
仕事自体は気に入っていたので、やめるつもりはなく、このままニューヨークで医者を続けるか、研究医として大学に戻るかなどの選択肢を探る機会になりました。
何となく毎日同じ仕事を続けるのがいいことなのかを反省する機会になりました、。
神が与えてくれた機会に違いないと、人生で、これほど本気になったことはありませんでした。
故郷の母にこの気持ちを伝えたくて電話をしてしまいました。
たまたまの連続でレベッカに会った
ニューヨークでの生活からは想像もできないことです。
思うことの多い一人旅だったから ということも
手伝っているのでしょうか?
旅の中で自分の中に変化があり、そんな気持ちになったのか・・・
なんにせよ、気持ちに余裕があり、嬉しさを故郷の母に
伝えたい
具体的なことは言えなくても・・・
そんななのでしょうか
一人旅はもしかしたら、とてもいいものかもしれませんね