マディと愛犬ユーリ、親友のクリスティ、それにハワイのこと

ハワイに住んでいたころ、マディという女の子が近所に住んでいて、犬のユーリを連れて遊びに来ていた。

" dying is not crime " ( 死は罪ではない )

2011-06-06 03:45:49 | 日記

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 ケボキアン医師 ( Jack Kevorkian ) が亡くなったことをCNNのニュースで知った。
 1928年の生まれであるから、享年83歳だったことになる。
 彼のことは、長らく忘れていたが、良きにつけ、悪しきにつけ、彼は、世論を惑わせ、動揺させ、混乱させたひとである。
 彼は「ドクター・デス」 (Dr. Death )、つまり「死の医師」と言われた人で、130人にも及ぶ末期症状患者の「自殺ほう助」 ( assisted suicide ) に関わってきたのである。
 彼の行いが、テレビや新聞などに取り上げられるようになると、専門家や一般の人たちも加わり、「自殺ほう助」について熱い議論を戦わせるようになった。
この時期、「末期患者の死を選ぶ権利」 (terminal patient's right ) とか、「安楽死」( euthanasia )、「尊厳死」 ( death with dignity )とかの言葉を、毎日のように、耳にしたり目にしたのである。
 
 世の中には、自ら死を求める人たちがたくさんいる。
 ただ、失恋などから世を儚んで、死んでしまいたいという人のことではない。
 重い病気で、これから先、回復の見込みがなく、自らには、死ぬこと以外に選択肢がないと思える人たちがいるのである。
 病院の医師たちは、これらの人たちに、生き長らえる可能性があると認めれば、限りなく延命の処置を施さなくてはならない。そのようにするのは当然であると、一般に考えられてきたのである。
 彼は、そうではなかった。
 彼は、末期症状患者に対して「カウンセリング」を行っていて、おそらく、そのような患者と接触していくうちに、たどり着いた結論だと思うが、これらの人たちを、「人道上」からも、安楽死させることの方が、神に許された行為だと確信していった。
 不治で、末期で、かつ耐えがたい苦痛を持つこれらの患者たちは、彼を頼り、出来るだけ速やかに、「神の下」に行って、救われたいと願う人たちだった。

 世間の人たちは、彼に賛成する人は、少数だった。
 いったん生を受けた人間は、どのような苦難があっても、最後まで生を全うすべきだと考えるのが、多数だった。
 彼の行為を、あからさまに「殺人」だと呼ぶ人が多かった。
 すぐにでも、彼がやろうとしている行為を辞めさせるべきだと考える人が圧倒的に多数だったのである。
 しかし、彼は、その後も、自殺ほう助を続けたのである。
 ミシガン州には、自殺ほう助を犯罪だとする法律がなかったのである。
 手をこまねいて見過ごすしかなかったが、ミシガン州議会は、このことを切っ掛けに、ついに「自殺ほう助」を犯罪とする刑法を成立させた。 

 彼が自殺の手助けをする瞬間を、テレビの画面で、目の当たりに見て、死刑執行に立ち会ったかのような重苦しい体験をしてしまった。
 ミニバンが木立に止められ、外からはカーテンで中が見えないようになっていたが、車内では、人間が、一人まさに死のうとしていた。
 辺りは、静かな木立で、異様な静けさが、かえって重苦しい雰囲気を醸し出していた。
 車の中は、どのようになっていて、誰が、どのようにして死に至るのか、その瞬間に居合わせてしまって、名指しがたい気持ちになってしまったのである。
 果たして、このような光景を見ていいものかと居た堪れない気持だった。
 この実況中継、と言うか、「死の瞬間の記録」を流したのが、CBSのテレビだった。
 「死への志願者」の手助けをしたのが、ジャック・ケボキアンという医師だったのである。
 彼は、自ら「死は罪ではない」 ( dying is not crime ) と言うように、信念を持って、末期患者の希望で、彼らの死に至る道を導いた、いわば「確信犯」だったのである。

 1998年9月、回復の見込みがない筋萎縮硬化症の52歳の男性に薬剤を注射して、死に至らしめたとして、ミシガン州法で殺人罪で逮捕された。
 第1級殺人の罪であったが、後に第2級殺人罪に格下げされている。
 10年から25年の不定期刑であったが、「もう自殺ほう助はしない」という約束で、8年後に仮釈放になった。

 彼の自作の「自殺装置」は、「タナトロン」( Thanatron )と言った。
 あらかじめセットされた点滴装置には、生理食塩水が入っていて、その作動を患者自らが行う。
 次に昏睡状態に陥り、その後でケボキアン医師が、塩化カリウムを注入すると、最後は心臓発作に陥り、死に至るというもののようだ。
 医師免許をはく奪された後は、「マーシトロン」 (Mercitron )と言う方法に変えている。
 彼は、もう薬物を使用できないので、顔面のマスクの中に、一酸化ガスを引き込み、それを飲み込むことで、やはり昏睡状態に陥るというものだった。

 ケボキアン医師は、病理学者であったが、後で聞くと、多彩な人だったようで、絵を描いたり、作曲をしたり、ジャズの奏者としてもかなりの人で、CDを出したりしているということだった。