北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。
今日は6月17日です。だから何だ?と思われるでしょうが、今日はアイスランド共和国の独立記念日なのです。というわけで、今日はもちろん国をあげての祝日です。
アイスランドに人が住み始めたのは西暦800年台のことのようです。当時北欧はバイキング時代だったのですが、いろいろな政治的あるいは人間的しがらみから故郷を離れなければならない一門が移住したのがきっかけ、というようなてんまつがサーガの本に記されています。
移住者たちは大体がノルウェーから渡ってきた人たちだったようで、1262年にはノルウェー国王を自分たちの王としてもいただくということが決められました。それからの時代は何となくノルウェーにくっついていく時代だったようですが、大旨自治というものは保たれていたとのことです。
ところが北欧大陸自体でもいろいろな勢力関係の変化がありました。1397年にデンマーク、ノルウェー、スウェーデンの三国がカルマル同盟を結びました。この同盟はデンマーク主導だったため、ノルウェー国王の力はだんだんとデンマーク国王の方へと流れていってしまいました。
当然デンマークはアイスランドにも影響力を増していきます。1500年代、ドイツから広まってきた宗教改革を受けてデンマーク国王はアイスランドもカトリックからルター派へ宗旨替えする命を出します。
こうしてだんだんとデンマーク国王の干渉が大きくなっていき、ついに1602年にはアイスランドの通商貿易権を独占してしまいます。こうして事実上デンマークの属領化が進んでいってしまったのです。
1800年代、ヨウン・シグフスソンという人が果敢に自治闘争を展開します。1854年には通商貿易権を奪還し、さらに1874年にはデンマーク国王より憲法の制定と財政的自治を承認されます。ヨウンは1897年に世を去りましたが、1904年12月1日をもって完全自治を達成します。
この間一切暴力を用いなかったヨウン指導の自治闘争は無血革命にも例えられ、ヨウンは今でも独立の父と見なされています。
その後1940年に宗主国デンマークがナチス・ドイツにより占領されます。すると英国が中立地だったアイスランドに駐屯しその後アメリカが入ります。そして1944年6月17日についにデンマークからの独立を果たしました。初代大統領はスヴェイン・ビョルンソン。
独立記念日、おめでとう アイスランド!
Myndin er úr iceland.is
こうしてみるとアイスランドでは自治がなかった時代も、別に国外からの占領政府が来たわけではありません。第二次大戦末期の英米兵の存在はちょっと特異ですが、これを侵攻とか占領とか見るのはちょっと難しいのではないかと思います。それ故にでしょうか。自治獲得や独立達成の運動の過程において流血事件と全く無縁に進んでくることができたのです。まあ、バイキングの時代にはそれなりの暴力沙汰はあったのでしょうが...
今日ソイチャンディ・ユニ 6月17日には、午前9時55分に教会の鐘が鳴らされ祝日行事が始まります。カセドラルでの礼拝後、国会前の広場では大統領、首相、さらに「フャットルコーナ」と呼ばれる、何というか大和撫子と同じようなアイスランド女性の象徴として年毎に選ばれる女性のスピーチなどが持たれます。
そしてその後には独立の父ヨウン・シグフスソンのお墓まで徒歩約10分の道を行進し、墓前に花を捧げるのです。
大国にはいろいろな歴史と物語りがあるのでしょうが、それは小国も同じ。今あるアイスランドを創るために献身してきた人々のあることを覚え、感謝の思いを馳せる気持ちくらいは、外国人の私としても持ちたいと思っています。
応援します、若い力。Meet Iceland
日本では先日ザックJapanが早々とW杯ブラジル大会への切符を手に入れ皆々大万歳でしたが、こちらでも先週の金曜日の7日、欧州予選Eグループの試合スロベニアvsアイスランドがレイキャビクで行われました。
この試合、その時点ではアイスランドが勝てばグループ首位になるという興味深い試合で選手たちも相当緊張していました。アイスランドのフォワードにはチェルシーで活躍したエイズル ・スマウリをはじめ、欧州プロリーグ活躍する選手が何人かいます。
ただバックス陣には海外組が少ないようで、それがそのままチームの弱さになっているようにみえました。結果は4-2でアイスランドの負け。最後の一点はまったく余計な失点と思いました。
でもよく考えてみると、ここまでやるのはなかなかなものだとも思うのです。アイスランドは人口32万。そのうち男性は約半数の16万。子供や老人を除いたら現役サッカー選手年齢層は2万か3万人でしょう。全員がサッカーをするとしてもです。
その中から世界に通用するイレブンを排出するというのはなかなか大変なことだと思います。母体となる集団が格段に小さいのですから。日本の本田や香川はすごいですが、それは日本一億人の中から競り合い勝ち残っている選手たち。
それに比べるとアイスランドでのイレブン作りは、新宿区だけでナショナルチームを作るのに等しいのです。
ですから私は以前より、アイスランドがオリンピックなどでメダルを獲り得るとしたら水泳や陸上などの個人種目だろうと思ってきました。ところがビックリ。男子ハンドボールが北京で銀メダルを獲ってしまいました。サッカーの場合と同じく、これはすごいことだったと考えます。(ハンドボール ・ファンでないので興奮しませんが)
この事象は当然のことですがスポーツだけではなく、国に関する全ての領域についていえることです。大統領、首相、諸大臣、会社経営者、教授、パイロット、小説家等々。国を維持するに足る人材を人口32万の母体から排出しなければならないのです。
このアイスランド的宿命?がアイスランド的珍現象の源だと考えます。先日もこちらの邦人の方々とお話しする機会があったのですが、アイスランドでの仕事の仕方や社会の通念にはいかんとも理解しがたいところがある。こんなのが通用するわけがない。ここは先進国の皮を被った後進国だ、等々。
確かにそうですが、しかしです。結果帳尻が合うことも多いというのも事実なのです。「アホかいな?こんなやり方で結果が出るわけがないでしょ..... ホンマや!」っていう感じでしょうか?
理屈上では辻褄の合わないような結論というものを、32万国家の運命が作り出しているように思われます。途中経過はともあれ、帳尻が合わなければ国が倒れるというプレッシャーは、おそらくアイスランドの隠されたエトスになっているのかもしれません。
個々人が持つ最高のポテンシャルを引き出すという点では、母集団は小さ目の方がいいのかもしれませんね。多分日本もJRの区分に合わせて独立国とした方が活性化するかもですね。冗談ですが「真理」が含まれているような気もしないでは...(^_-)☆
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もう少しアイスランドのシネマ事情です。ただ今回はカンヌ映画祭やトム ・クルーズからはぐっと下がったあたり、ド素人の映画参加につてです。
前にアイスランドでは「本は読むだけのものではなく、自分でも出すものだ、という気風があり、その証拠に自費出版の率が大きい」というお話しをしたことがあります。
映画に関しても同じ線のことはいえると思います。「映画は観るだけのものではなく、自分で作る...」とまではいきませんが「自分が出たっていいだろう」というのはあると思います。
例えば日本でもよく売れたアルドゥナドゥル・インドリーザソンの小説「湿地」の映画化作品には私の同僚の牧師さんがふたり、マンマの牧師役で出ていました。もちろんエキストラの範囲ではありますが。
この小さな社会の中では映画作りといえども(それが国内ロケものであるなら)、その現場は遥か遠いところではないし、参加できる可能性があるのです。
ってなこと言うからには経験ありますよ、ワタシにも。CFでなくシネマの撮影に初めて参加したのはもう十年以上前です。もちろんエキストラでセリフなどもないのですが、何と日本大使の役。
(^-^;
映画は「全世界の天使」というアイスランドでは名作と見なされるの小説の映画化で、監督は巨匠フリズリク・フリズリクソンさんでした。
本物の大統領官邸の前庭を舞台に、控え室兼用の特装バスで待つこと数時間、収録は半時間の主体性のない?空間でしたが、それでもバスの中でベテラン俳優の方や先の「湿地」でも主演のイングヴァールさんが挨拶してくれたりしてそれなりのワオ!感はありました。
数ヶ月して封切り前に試写の招待券をもらいましたが、観る勇気がなく知人に譲りました。そしたら後から「あなた、映ってなかった」との報告。撮影参加とスクリーン登場の間には越えがたい壁があるのです。トホッ...
2008年夏にはもっと確実なチャンスが来ました。日本でも公開された「Reykjavik Whale Watching Massacre」という映画で、これは制作側からセリフのある役の打診がきたのです。
作品の内容は全く知らなかったのですが、監督との面接に行くと「イメージはとても合っている。シナリオを届けるから是非見て欲しい」やったー! ついに田舎牧師からスターへ転身だ!
届いた台本を見てビックリ。作者は第一級の作家Sjon! 確かその頃アイスランド作家協会の会長も務めていたはずです。これはなかなかだぞ。フムフム、話しは鯨観光船を舞台にしたものか。
で、台本を読みいくと私の役は日本人の富裕な夫で、まあ好色であまりいけすかない人物です。でもそれは仕方ない。話しは話しだし(全くハズレでもない?)。ところが読み進むにつれて、これが方端から登場人物が殺されてくジェイソンも真っ青のスプラッターであることが分かりました。
当然、私も海に飛び込んで逃げるところを背中からモリで打ち抜かれるようです。面接の時、訊いてたな「泳げるだろ?」って... 海での話しかよ...
記憶に間違いがなければ生き残るのはただひとり、私の妻のメイドの女性だけでした。(完成作品では日本からきた女優ナエさんが演じていました)
トレイラーはこちら
実はこの物語り、捕鯨禁止で生活を破壊された鯨獲りの一家が、自分の船を鯨観光船に改造し、鯨観光に来た人たちを端から餌食にしていく...という風刺作品でした。作者Sjonのモチーフはとにかく、スプラッターであることに変わりはなく、国教会牧師で諸々の行動規範規定の下にある私は丁重に役のお断りをお伝えしました。(›_‹)
いや別に出ちゃいけないと上から言われたわけではないんですけどね。言い訳として使っただけです。
なかなかうまく噛み合ないですねエ... でもこれがアイスランド的日常なのです。小さな田舎国なのに退屈しないのもこの辺に理由があるのかも...
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先日のカンヌ映画祭で是枝裕監督の「そして父になる」が審査員賞を受賞したそうですね。おめでとうございます。ガリレオ先生が主役だとか。ちらとネット記事を見ただけですが、取り違えられた赤ちゃんを知らずに自分の子として育ててしまう二組の家族の話しだそうで、興味深いテーマですね。
同じ日のうちにアイスランドの短編映画「Hvalfjoldur(Whale valley)」が特別審査員賞を獲りました。監督はグビュズムンド・オルン・グビュズムンゥスソンという方だそうです。こちらの方はどのような話しか全く存じません。
調べてみたのですが、農場に住む二人の兄弟の話しで、ある日兄弟の関係にとって運命の出来事が起きる...とだけ記されていました。ちなみにタイトルの「クヴァールフョルズル」は鯨のフィヨルドという意味ですが、実際はレイキャビク近郊のフィヨルドの名前で捕鯨基地のあるところです。
で、すみません。実は映画は得意の分野ではないのです。って、いうか現代のアイスランド映画や邦画は門外漢です。もっとも洋画でも最近観たものは007やインディ・ジョーンズですから、映画ファンからは相手にされないでしょう。
そういう素人の話しだと思って読んでください。初めて観たアイスランド映画は日本人の永瀬正敏さんが主演した「Cold Fever」でした。1995年のアイスランド映画の巨匠フリズリク・フリズリクソン監督の作品でした。ちょうど私がアイスランドへ移ってすぐの頃の映画なわけです。
この映画は1984年の八月に実際に起った悲しい事故をもとにして生まれたのだそうです。もちろん私はその事故のことは知らず、人から伝え聞いただけなのですが、地質調査のために来ていた東大の先生らが乗ったジープが川の深みにはまってしまい邦人三人が亡くなってしまったのです。
ご遺族の方々が後に供養のためにいらっしゃったニュースをフリズリク監督が見てインスピレーションを得たというのです。彼はご遺族の方が事故のあった川に花を捧げたり、お酒を流したりする様子をニュースで見て、そのような行為を行う日本人の死者への接し方や自然への関わり方に興味を持ったとのことです。
主役の永瀬さんはまさしく供養のためにアイスランドへ来て、そこから意外な展開の旅が続くのですが、その道中でアイスランド人の死生観、自然への想い、現在のアイスランド人の生活などが入り交じって物語りを織りなしていきます。
映画音痴の私には「コールド・フィーバー」が良い作品であるのかそうでもないのか判断がつきませんが、退屈はしなかったので機会があれば是非観てみてください。
くだらないことなので言うまい、と思っていましたがやはり言います。三鷹の神学校にいた頃、ロケに来ていたキョンキョンを一度見たことがあります。「すげえ可愛いなあ!」と同級生と歓声を上げてしまいました。
そういえば最近アイスランドは、自前の映画よりもアメリカ映画のロケ地になることが多いようで、少し前には007の「Die Another day」やイーストウッド監督の「硫黄島からの手紙」(もうかなり昔か?)、ごく最近ではトム・クルーズの「Oblivion」やコミック発の「Thor」がロケにやって来ていました。
あと、作品の名前は知りませがベン・スティラーや確かジェニファー・コネリーも滞在していた記憶があります。誰とも道でバッタリはありませんでした。別にいいけど。
でも水野真紀さんかベッキー、もしアイスランドに来るなら是非バッタリしてください。
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気がつけば六月になっていました! 嬉しい季節になってきたわけです。何故嬉しいか?それは一日中明るい感じだからです。単純な奴だ、とお思いになるでしょうが事実明るいというだけで嬉しい気分になってしまいます。
冬の暗さのことは以前書いたことがありますが今度は明るさの方です。
アドベントと墓地と歌舞伎町
ちなみに昨日6月3日の日の出・日の入りはどうだったかというと、日の出が午前3時16分、日の入りが午後11時35分でした。従って日没時間は約3時間40分くらいということになります。
アイスランドでも一番日の長くなるのは6月21日(または22日)の夏至ですから、あとしばらくはまだ明るくなり続けてくれます。それでもアイスランドでは北部のごく一部の場所を除いては文字通り「陽の沈まない」ということはありません。
ただそれでも気象庁などでいう「日没」後にも太陽の光は届いてきますので、暗くなるということが起る前にまた日が昇ってくるのです。結果「気分は白夜」という日が続いてくれるのです。
私の住んでいるのは国の南西部のレイキャビクで、市の中でも西側の街で海に面しています。4階の猫の額のバルコニーから日没の様子を見ることができます。そしてしばらくして、バルコニーと反対側の寝室の窓から伺っていると日が昇ってくるのを見ることができます。
自宅から見た様子。5月末の午前2時14分です。
それでもよくできたもので明るくても夜は夜です。なぜそうなるのかというとやはり人の動きがなくなり、静寂が街を覆うからです。静ーかな夜中の明るい街中を歩くのはレイキャビク住まいの特権を感じるひと時です。(歌舞伎町がここにあったら、昼夜の見境はつかないかも、ですね)
「夜まで明るくて眠れるのか?」と訊かれることがよくあります。はっきりいって睡眠時間は短くなると思います。眠れないというよりは眠る必要がないような気分になるみたいです。これはワタシが単細胞なのもあるでしょうが、脳の働きなどのきちんとした科学的な理由もあるはずだと思います。逆に冬にはいつまでも眠くなりますし...
もちろん途中で眠りが覚めてしまった場合には、明るさの故にまた寝付くのが難しくなることもあります。私はアイマスクが必要ですね。
というわけで、夏の一日は平均の1.5倍くらいの利用価値があるような気がします。オーロラ観光で冬にいらっしゃるツアー客の皆さんが多くなっているのですが、ワタシなら断然夏に来たいと思うでしょうね。個人的には完璧に夏派です。(*^^*)
「逆に冬は最低の気分だろう?」と思われるかもしれませんが、それがそうでもないんです。ワタシだけかもしれませんが、真夏、真冬というのはどちらも「明るい」「暗い」で安定してしまっているので、慣れてしまえばそんなに精神的に難しいことはありません。
冬から夏に向かっての明るくなっていく時期も大丈夫です。難しいのは夏が過ぎて加速的に冬に入って行く時期でしょうか?頭と身体の対応が間に合わずに苦労すること多いようです。
でもその心配はまだ当分は無用。六月、七月、楽しみます。v(^_^)
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