こんにちは/こんばんは。
今回は前回に引き続き「サッポロ北街ひとり日誌」となります。その前にちょっとだけアイスランドを付け加えますと、これを書いている今日は6月17日で「ソイチャンダ・ユニ」(6.17のアイスランド語の読み)と呼ばれ、アイスランドの独立記念日です。

6月17日はアイスランド共和国の独立記念日
Myndin er eftir Andrea_zanenga@unsplash_com
もちろん国民の祝日ですが、レイキャビクではあいにくの雨に見舞われ、気温も9度。ここのところこんな感じで「冷夏」のいやな気配... 今日のニュースでは日本では長い「梅雨の中休み」で気温もうなぎ上りとか。羨ましくもあり、気の毒でもあり... 「羨ましい」方が勝ってるな。(^-^;
さて五月に三週間近く札幌へ帰っていたのですが、これは予定外の帰省でした。母が天に召されたのです。もう九十を超える高齢でしたし、召される前に帰り着けたので神に感謝です。
歳のいった親御さんを持つ海外在住者の方には共通することだと思いますが、毎回帰省して顔を見るたびに「これが最後だ」という心中(しんちゅう)でしたので、心構えはできていました。それでももちろん、これまでいた人がいなくなるのは(家族ならなおのこと)寂しいものです。
私の母の場合は、良いスタッフの方が揃っている高齢者施設にお世話になっていたのと、兄が札幌人で近くにいたため、普段の心配といったものはありませんでした。
また、また母は最後の最後まで頭ははっきりとしていて、記憶の混濁や理屈に合わないようなことを言い出すこともなかったため、きちんとした会話を保つことができました。これも神に感謝。

今回は「札幌で見かけた花」特集
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ただ亡くなる直前の頃になって一度だけ「アレ?回線がショートしたかな?」と思う出来事がありました。私は娘と一緒に見舞っていたのですが「畑の先生はどこにいるの?」と訊いてきました。
「畑の先生」という言葉は初めて耳にしましたので、娘の顔を見ると、娘も「わからん」と首を振ります。母に尋ねると「は・た・け・の・先生」と一文字ずつ区切ってはっきり答えます。
学生時代とかの思い出がフラッシュバックしたのか?と思い、娘が「それいつの頃の話し?昔のこと?」と尋ねると「うーん、最近のこと」
母はしばらくは車椅子生活だったのですが、農家さんへ出向くようなレクがあったとも聞いていない。これはなんだろうか?と娘と相談。もしかしたら「畠野先生」という名前のお医者さんがいるのだろうか?
「人の名前なの?」「違う、畑で働いている先生」と母。これは困った、というところで母もお疲れらしく眠ってしまいました。
しばらく後で、娘が聞き出したのですが「畑の先生」というのはリハビリを担当してくださっている療法士のFさんのことで、趣味が家庭菜園とかで、以前キューリとトマトを持ってきてくれたことがあるのだそうです。
人名が飛んでしまうというのは、私でもよくあることなのですが、母も名前を失念し「畑の先生」と呼んだらしいです。その時、ちょうど週末でFさんは出勤されていなかったので、「どこかにいっちゃったか」と心配だったようです。
まあ、母が残してくれた最後の笑い話しですね。

札幌の五月は花の楽園
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人の一生は地上では無限なものではなく、寿命という前提条件の上で与えられているものです。そのことを考えると、母の最期は非常に祝福され、恵まれたものだったと考えます。
その恵まれていたことの大きな部分は、母がお世話になっていた高齢者施設がとても良い施設であったことだろうと思います。スタッフの皆さんがとてもよくしてくれるありがたい環境でした。
この施設は入居料もそれなりにかかりますし、入居者もそれなりの経済環境にある方々です。日本のすべての高齢者の皆さんが、このような居住環境にはないことも承知していますし、それでいいとも思っていません。日本での高齢者の方々の生活の有り様は真剣に取り組まねばならない課題でしょう。
だとしても、私がこの施設の皆さんの働きに感謝をしてはならない理由にはなりません。母が召された後に、多くのスタッフの皆さんがお別れをしに部屋まで足を運んでくださり、涙を流してくださる姿に、とても心慰められるものを感じました。
母は父がまだ存命だった2009年からこの施設にお世話になりました。まあ、父も–というか父の方がもっとお世話になったのですが、両親とも道産子ではなく、都下の八王子からの「移民」です。
当然私も道産子ではありません。母が(父もですが)恵まれていた、と感じることのもう一点は、ここが札幌だったということにあるように思います。なんというか、住みやすいのですよ。
もちろん私は「住んで」いたわけではなく、年に一度か二度の短期滞在者でしかありません。が、そういう私でさえ「いいよなあ、札幌は」という気になるのです。もちろん、冬の寒さや大雪、あるいは出没するクマのような生活上の困難はあるでしょうし、それは私のよく理解していない点です。
私が言う「いいよなあ」というのは、ちょっと次元の違うことであって、なんというか他所者をフツーに受け入れてくれる土地柄、メンタリティみたいなもののことなのです。

花、また花
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日本のどこかを例に取ると角が立ちますので、アイスランド。「アイスランドではアイスランド語を喋れ」「ドライフィッシュはバターを塗って食べろ」とか、だいたいあるんですよ、「郷に入っては郷に従え」的な不文律が。「いや、オレはドライフィッシュに醤油が好きだから」とか言うと、機嫌を損ねられるみたいな。
札幌は –北海道全般かもしれませんが– そういう他所者に対するディマンドが極端に少ない土地であるように感じました。札幌滞在中に「他所者」と感じたことはほぼほぼなかったような気がします。人生の半分を過ごしているレイキャビクでは、いまだに「他所者」感を拭いきれていないのと好対照です。
そういう札幌に、2009年以降の十六年間毎年帰省する理由があったのが、その理由がなくなってしまいました。八王子出身の私にとっては正確には「帰省」ではないのですが、「帰省」と言ってしまうようなのが札幌です。
札幌と、そして日本との絆が少し薄くなってしまうのは寂しいものですが、考えてみれば「絆」は与えられるだけではなく自分でも作るべきもの。そうだ!
だから、前回書きましたような、新千歳空港のJALの4番チェックインカウンターの一番右にいたグランドサービスの女性のような方との「絆」が生まれると嬉しいのですが。またそこに戻るのか?(^-^;
末筆になってしまいましたが、Sompoケア・ラヴィーレ真駒内の皆さん、長い間父母がお世話になりありがとうございました。また、私自身滞在中にはお世話になり感謝です。リップサービスではなく、本当に心より感謝しております。m(_ _)m
これからも良いお働きをお続けください。
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
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北海道は慶弔のしきたりが緩やか、だと聞いたことがあります。故郷を出て開拓地に入った人間にとっては、重要なことではなかったのでしょうね。
>そうだったのですね。最後のお別れができたのは何よりでした。間に合わないと悔いが残... への返信
つきみさん、ありがとうございます。
慶長も含めて、ところ変わればしきたりも変わりますね。北海道はいろいろな地域からの人が集まっていたので、共通項的にゆるらかなきまりになったのかもしれませんね。
>今回の記事、少し身につまされて読みました。お悔やみもうしあげます。私も妻の母を施... への返信
kuwasan、コメントいつもありがとうございます。はい、北海道のしきたりには押し付けがましいところがないので、私は好きですね。