レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

「歳とってやっちゃいけないことは『説教』と『昔話し』と『自慢話し』」

2023-08-06 22:31:17 | 日記
こんにちは/こんばんは。

8月6日の日曜日です。この週末はVerslumannahelgiヴェルスルマンナヘルギ「商人の週末」と呼ばれ、明日の月曜日は国民の祝日となっており、三連休のウィークエンドなのです。

八月の第一月曜日を含む週末が、この「商人の週末」と定められています。「商人」というよりは「商業活動に携わる人々」という意味に受け取った方が正解と思います。

この週末は、ヴェストマンナ諸島をはじめ、あちこちで「ワイワイガヤガヤ野外どんちゃん騒ぎ」パーティーが催されるのが慣例となっていて、多くの人々がこぞって出かけていきます。とても楽しみにしている人々も多いのです。理解できませんが。

「商人の週末」についてはこちらも:「シーズン開幕直前情報」


この「商人の週末」が終わると、「夏休みも終わった」感が一気に浮上してきます。実際には、休み中の人もまだ多いのですが、少なくともいくばくかの人々は秋に向かっての仕事に着手し始めます。

私もそのひとりです。あさってからは仕事再開となります。この週末は夏休みの送別です。




清涼感アップ用ピック1
Myndin er eftir Hari_nandakumar@unsplash_com


ただ「まったり」しただけのワタシの夏休み。いろいろと自己啓発の本を読んだりメンタル系のYoutubeを見たりしていました。今年は「自分のありようの見直し」の年であり、その努力をまだ続行していますので。

いくつかの本やYoutubeは、とても良い内容を提供してくれましたので、いずれまた詳しくご紹介したいと思いますが、今回は特に高田純二さんの「教え」から考えたことを書いてみたいと思います。そうです、あの「天下のテキトー男」の高田純二さんです。

ワタシ、別に高田さんのファンでもなんでもないのですが、たまにバラエティで見かけると面白かったり、そうでもなかったり、というような存在の方です。ずーっと昔からいらっしゃる気がしていましたが、今、76歳でいらっしゃるそうな。

その高田さんが、2015年だかに「情熱大陸」の中で「歳を取ってからしてはいけないこと」を語ったそうです。「歳とってやっちゃいけないことは『説教』と『昔話し』と『自慢話し』」

なるほど。別に斬新な発想ではないと思うし、むしろ高田さんのようなキャラクターから出た言葉だから「へえー?」と感じさせる気さえします。ただ。その後に続く言葉が高田さんらしく「だからおれはエロ話ししかできないんだよ」あはっ!

お年寄りの「説教」「昔話し」「自慢話し」に辟易させられた経験は誰でもあることだろうと思います。実際、この三つを日常的に行なっているお年寄りの方々自身も、以前はそのように思ったことがあるはずだと考えます。

では、なぜ自分でも体験しているのにも関わらず、自身がお年を召した時に同じ轍を踏む道を辿ってしまうのか?




ヴェストマン諸島の「ワイワイガヤガヤ野外どんちゃん騒ぎ」の一コマ
Myndin er ur Visir.is/VILHELM


現在、私も「高齢者」の範疇に入っていっているので、そのことを考えてみました。自分を顧みてみると、まず「説教」は私の場合はチョト特別です。牧師なので「説教」というお話しをする機会が職業的かつ定期的に与えられています。

そのせいか、職場やプライベートでもことさら「説教」するようなことはない、と思います。もちろん必要な「説教」は個々人に対してもします。まあ、説教というよりは忠告・アドバイスと言った方が適当でしょう。

「昔話」「自慢話」はどうか?この二つは、二つのように見えて実際はひとつのことであるように思えます。「昔話し」はだいたい「自慢話し」の導入ですし、「自慢話し」は過去の自分についての話しに思われます。

この二つに関してはですねえ、私も常習的にではないにしても、それなりにしているなあ、と認めざるを得ません。多分、このブログの中でもしてきているはずです。

この点に関しては、私自身も若い頃には気がつかなかったけど、今にしてその裏にある「理由」に気付かされたように感じていることがあります。それはですねえ、誰しもその人自身の「前史」を持っているということです。

例えば、ある会社のある職場に初老の男性がいたとします。在籍三十年としましょう。その職場にはその職場の歴史があり、この男性が囲まれていた職場の条件や環境もあり、その中で男性が経験した苦労やもたらした功績もあることでしょう。

ですが、普通の職場では、そのような「職場小史」はオフィシャルには存在しません。ですから、最近職場に加わった若いスタッフは、その男性が「以前よりいる」ということ以外には、何もわからないのが普通です。

当たり前の話しですが、新たに職場に加わったスタッフにとっては、その時が「始まり」であり「スタート地点」です。そこから「あれが足りない」「これは非効率だ」というような健全な批判精神が働き始めるわけです。




清涼感アップ用ピック2
Myndin er eftir Michael_behrens@unsplash_com


ですが、その「始まり」「スタート地点」は、決して本当の「始まり」でも「スタート地点」でもありません。以前からあるものを維持したり、発展させてきたものの「途中経過」であるわけです。

ですから、それまでの経緯の理解なしに今あるものを評価することは、ある意味無理解の上に立った評価になってしまいますし、その場にいる三十年勤務の男性についても正しい評価を持てないことになります。

そのギャップを埋めるために、その男性がその職場の「昔話し」をし、必要に応じて「自慢話し」をして職場の成り立ちや自分自身を分かってもらおうとしたとしても、私にはそう「耐えられないこと」ではないと思えますし、むしろその職場の誰にとっても有益なものだろうと考えます。

「小史」というものは、社会の中のいずれの局面においても大切なものではないでしょうか?ある意味、歴史は小史の塊ですからね。

私自身は、アイスランドでの移民の生活に関連して、三十年近く働き続けていますが、残念ながら「小史」は残されていません。ですから、過去にどんな状況にあり、誰がどんなことをなしたか?についても、人が移り変わっていけば、何も残るものがなくなります。

そうすると、いつも新しくその場に立つ人たちが、自分たちの「始まり」から物事に着手することになるわけで、これは非効率です。実際に、現在の移民に関する議論の多くは、ずっと前からなされている議論の蒸し返しに過ぎません。

これは変えた方が良いのですが、そうなると高齢者が「昔話し」をしなければならなくなるわけです。




天下のテキトー男 高田純二さん
Myndin er ur Twitter


社会のある分野でも、職場でも、プライベートな集まりでも、とにかくその場にいる人々はすべからずそれぞれの「前史」を持っています。もちろん、高齢者だけではなく若い人たちもです。

周囲にいる人たちの、そういう「前史」を理解するには、まずもって話しを聞くという、多少の努力と忍耐は必要でしょう。

高田純二さんの言葉から、そんなことを考えていた私の夏休みでした。それでもこの言葉はしっかりと胸の引き出しに放り込んでおきます:「歳とってやっちゃいけないことは『説教』と『昔話し』と『自慢話し』」


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。

藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
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