『21g (21グラム)』、観ました。
命が消えるとき、人は21グラムだけ軽くなる‥‥。心臓移植を待つ男、
信仰に没頭することで罪悪感から逃れようとする男、そして愛する夫と
2人の娘を交通事故で奪われた女。1つの心臓に引き寄せられた3つの
運命が絡みあう……。
映画のタイプとしては、あの『メメント』を想像すればよろしいのでは?
ただし、『メメント』が現在から過去へ、過去へと時間の流れを逆行して
いったのに対し、この『21グラム』は、進む時間の流れを一旦分解し、
シャッフルした後でランダムに 映し出す“応用編”。例えるなら、
順に身体のパーツだけを見せられて、それを頭で組み立て、完成した時に
霧の中から霞んでいた実体が現れてくる仕組み‥‥となれば、
何故この複雑な構成にしたのかってことなんだけど、思うにそれは
“人生と人生の 絡みつき”‥‥つまり、哀しみを持つ人間同士が傷つけ合い、
慰(なぐさ)め合う、“この世の摂理”について。ボクはそれを描く上で、
このスタイルは十分に効果をあげていたと思うよ。
さて、ここには3つの人生が存在し、彼らはそれぞれに過去を悔やみ、
己を責め、運命を呪う。しかも、そこにはハッピーエンドなどある筈もなく、
ただそれぞれの“哀しみの果て”に暮れていく‥‥。ボクがこの映画を
観て思ったのは、人は誰しも少なからずの“哀しみ”を背負って生きていて、
だけど彼らが生き続ける限りはその痛みから逃げることはできないってこと。
その哀しみは、神も…、ドラッグも…、偽りの愛さえも…、取り払っては
くれない。自分自身の力でその哀しみに打ち勝つしかないんだよ。
ここに描かれる3つの人生は、決して褒められたものではないし、
むしろ敗者のそれかもしれぬ。だけど、ボクがそこに“一筋の光”を
見たような気がしたのは、きっと錯覚なんかではないはず。だって彼らの人生は‥、
そしてボクの人生も‥、ずっとこれから続いていくのだから‥‥(涙)。