肯定的映画評論室・新館

一刀両断!コラムで映画を三枚おろし。

『ノスタルジア』、観ました。

2007-03-14 20:53:05 | 映画(な行)






監督:アンドレイ・タルコフスキー
出演:オレーグ・ヤンコフスキー, エルランド・ヨセフソン

 『ノスタルジア』、観ました。
モスクワの詩人アンドレイが、通訳を伴ってイタリアのトスカーナ地方を訪れる。
静かな村の温泉場に着いた彼は、そこで世界の終末に怯え、狂人扱いされている
ドメニコに興味を抱く。その後、ドメニコと交流を重ねたアンドレイは、彼から
世界救済のため、村の温泉場にろうそくを灯し、消さずに渡って欲しいと懇願
される‥‥。
 何とも、オイラみたいな“凡人”が言うのはおこがましいが、アンドレイ・
タルコフスキーのような“才能”は、もう二度と再び、この地上に舞い降りて
こないのでは?、何故に今更、こんな事を書くのかというと、タルコフスキーの
映画って、普段ボクらが映画館で楽しむものとは少々趣が違うように思うんだ。
その詩的な情感は観る者に“安らぎ”を与え、その哲学的な内容は観る者の
“心を深く誘(いざな)う”。そこに明確なるストーリーがあるわけではなく、
型通りに起承転結で区切られているわけでもない。むしろ、“自身の心の中”を
投影し、映像として表現したかのような印象を抱く。勿論、ボクのような凡人に、
そんな天才の胸の内など100パーセント理解出来る筈もないのだけど、ここでは、
遠い日の母の面影、遥か故郷への郷愁など、万人が共有する“ノスタルジック”に
吸い込まれていきそうになる。恐らく、タルコフスキー作品で“鏡”や“特徴的な
水の描写(澄んだ水面から中を覗き込むような)”が多いのは、そこに自分の
(歩んできた)“人生を映す”という意味合いが込められているからではなかろうか。
 だとすれば、尚一層、この映画『ノスタルジア』を知るにあたって、製作当時
タルコフスキーが“置かれていた状況”を切り離して考えることは出来ますまい。
さて、映画主人公は著名なるロシアの詩人だが、今はモスクワからイタリア・
トスカーナへ放浪の旅を続けている。実は一方、当時のタルコフスキーもまた、
祖国ソ連から“自由”を求め、西側に亡命していたのだ。だが、ここで誤解しては
ならないことがひとつ。彼は祖国ソ連に愛想を尽かし捨ててきたのではない。
いや、結果的に“捨ててしまった”のかもしれないが、今も祖国を愛し、誰よりも
祖国に自由がもたらされることを待ち望んでいるのだ。例えば、映画でこんな
シーンがある…。主人公が、いつかの夢で見たそれは、伯爵の劇場にて彼自身が
“裸の白い彫像”になるものだった。少しでも動けば、厳しい罰を受ける。そして、
ついに力尽き、崩れかけたとき、目が覚めた‥‥。明らかに、これは当時のソ連
体制の現実を物語り、日本で育ったボクらに想像もできない“恐ろしさ”だ。
ならば、その“恐怖”に立ち向かうにはどうすれば良いのか??、タルコフスキーは
映画の中でこのように言っている。「1滴プラス1滴は、2滴ではない。大きな1滴に
なるのだ」と。つまり、祈りであったり、信念であったり、自己犠牲であったり、
みんなひとりひとりが“個人の利益”のためじゃなく、“世界全体の平和”のために
力を合わせ、想いをひとつに結集すれば、何かが変わる。勿論、時間は掛かる
だろう。でも、世界を変えるにはそれしかないのだ、と。1滴1滴の水が集まり、
やがて小さな水溜りができる。そして、そこに更なる水の1滴ずつが加わったとき、
川となって流れ出し、激しく大きな滝へと変わり、硬い石をも砕くのだ。



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