書名 わたしの風姿花伝
著者 河内 厚郎
発行社 沖積舎
発行年 2006年11月30日
頁数 217頁
価格 2,500円+税
当世のドラマに世阿弥の“花伝書”はどう反映されうるか?
演劇評論家・河内厚郎が語る“平成風姿花伝”気鋭のユニークな論考をお楽しみあれ。
目次
1 「花」のいのち
2 「気」は「機」なり
3 死と真実
4 言葉の海へ
5 場に宿る神々
6 都市という劇場
7 日本の楽劇、その将来
・もともと、「はな」とは、物事の先端という意味。そこは、「めだつ」・・・花、華、鼻、ハナ
・「機」をつかむこと、それは「気」をつかむこと。
・人は、ふつう、世間という劇場の中で、何らかの役を演じ分けて生きているはず。
・死は、向こうからやって来るものでなく、足元から忍び寄ってくるもの。
・制約あってこそ。
・何でもできる人は、結局のところ何もできぬことになりかねない。
・私達は、死者たちの築いた歴史の上に生きている。
・三枝和子 著 「丹波夜能」
・死は、ある日突然訪れる「事件」ではなく、
自分自身のなかで刻々と進行中の「事態」だ。
・予定調和:つまり「最初に結論ありき」のこと。