書名 土に還る
著者 中島美千代
発行社 ぷねうま舎
発行日 2020年7月22日
頁 219
価格 1,800円 + 税
死者を悼み、弔い、見送る。
ここには、その時代と社会の風潮が現れる。
いま、死者をいかに遇し、死とどのように向き合うか、これを考えるために、故郷福井県の山村に残る野焼きの習俗を訪ねた作家は、「この村の土になりたい」と願う人たちと出会った。
この言葉にこもる、いまは遠くなった生き心地を探して谷間の村を歩き、死者を送る場所を訪ね、歴史に残る信仰の跡を探った記録。
・野辺送り
・私の実家の栃木県那須群の子供の頃の葬儀(思いつくままに)
・湯灌
・葬式のことを『じゃーぼ』と云った。
・人が亡くなる予感:「烏(からす)鳴きが悪い」と云った。
・棺桶を庭で三回まわし、野辺送りに出発。
・野辺送りは、行く道と帰る道を必ず違えた。
・『霊』が戻らないようにとか・・・。
・野辺送りに途中で竹の竿の上の小さな手作りの竹かごに
色とりどりの色紙を細かく四角に切ったものや一円を入れ
振って落とした。竹竿の籠は、2つ。5円玉(ご縁)は、入れなかった。
・落ちた一円玉を拾うし縁起がよいとか・・・。
・棺桶を村の共用神輿に格納し担ぎ、墓場まで野辺送り。
・花輪
・くだものカゴ
・土葬
・葬式饅頭
・子供の頃、引き出物のもみじのような葉っぱの焼き印の大きめの葬式饅頭が
美味しく、楽しみだった。
(ちなみに結婚式の引き出物の一つにA4サイズくらいの中に餡が入った
2センチメートルほどの分厚い『鯛の塩竃』も楽しみでした。)
・おじいさんが亡くなる直前、就職先から帰省したら翁の顔のような『死相』を見ました。
・私の子供の頃は、今のように葬儀会場は、お寺や葬儀会館ではなく、
亡くなった人が住んでいた家が当たり前でした。
・葬儀当日、組内の奥様方が、焼香客に振る舞う『白いおこわご飯』や
『酒粕の里芋のずいき汁』や『おにしめ』、『こんにゃくと豆腐の白和え』など
作っていました。また、お膳やお椀も組内で共有のものがあり共有納屋に
保管されていました。
・祖父が亡くなった時、実家の祭壇の前に安置された棺桶の前の部屋で父と叔父は、
一晩添い寝していました。
・光魂(ひかりだま)
・私が生まれて間もなく、母のお父さんが亡くなった。
当時は、電話がないので母の実家の組内の飛脚の人が
危篤を知らせてくれたとのこと。
急いで母が赤ん坊の私をおんぶし、父母が一台の自転車に相乗りし砂利道を
50分くらいかけて母の実家に向かっていたら、
実家の近くで薄い橙色の『鬼火』が見え、
その『鬼火』が母の首筋をすーっと触れるように通過したとのこと。
その瞬間、母は「ぞぉっ」としたとのことです。
田舎では、『鬼火』のことを『光魂(ひかりだま)』と云っていました。
・親終い(おやしまい)
・田舎では、親を送ることを『親終い(おやしまい)』と云っていました。
・母のおとうさんが亡くなった時は、父母は、結婚して3~4年だったため
『親終い(おやしまい)』をするお金がなく難儀したとのことです。
・いつの時代もお金が無いのは、辛いですね。
・墓は、お寺から借りていて山の斜面にあり、坂道ですべりやすかった。
墓で滑って転ぶと縁起が悪いのでお墓参りの時、転ばないように気をつけていました。
・祖母が98歳で亡くなった時は、火葬でした。実家から火葬場までは、宮型霊柩車で
棺桶を運びました。