go-ichi-maru blog

気ままなつぶやきです。

行ってきました。能登。番外編

2007-04-11 20:09:08 | 能登,震災のつめあと

 ボランティアも初めての経験で,とまどうことも多かったのですが,なによりも,震災のつめあとを生で見ることができたというのが貴重な経験となりました。



 雨が降ったときのために,ビニルシートをかけている家が多かったです。遠くから見たときは何でもないようでも,実は屋根にダメージがあるんでしょうね。


 海岸沿いの家です。右側が砂浜になっていますので,こちらは砂が入らないように家の側面をビニルシートで覆っています。

 


 日本海の冷たい風が吹き付けますが,美しい海岸線です。

 


 崩れてしまっていますが,鳥居があったところです。灯籠も,上半分がありません。

 


 赤で囲ったところはその形にくぼんでしまったところです。この上に乗ると,崩落しそうです。トンネルの向こう側は,被害がひどかったところの一つとされる門前の深見です。

 


 帰り,泣き砂で有名な琴ヶ浜に寄りました。どんな感じなのか,海岸に下りてみることにしました。


 いやあ,大変なことになっています。岩が崩れてきています。


 崖崩れが発生し,看板もぐちゃぐちゃです。


 だだっ広い砂浜が広がるキレイな海岸です。向こう側(北側)やや左に見られる町が,ボランティアを行った門前地区です。


 反対側(南方向)はこんな感じです。


 シャワー室もこんな感じで落石です。


 なにやら洞窟がありますが,崩落しそうです。


 上からは土砂崩れ。被害に巻き込まれてたら大変なことに。


 柵の棒が抜けちゃってます。手前側に力が加わったんでしょうね。

 


 帰り,回転寿司によることにしました。高速道路沿いにある普通の店だったのですが・・・。


 こんな感じの回転寿司。しかし,ここの寿司屋が激うま!!サワラの刺身なんかあって,初めて食いました。ほかにも,地物の甘エビやサバ,コノシロなど,青物が激うまだったですね。寿司や刺身は,青物のうまさでその店の味が決まると思うんです。青物って,傷みやすいので,新鮮な魚でないととたんに生臭くなります。青物がうまいと言うことは,それだけ酢で締めるにしても,締め方がうまいわけだし,いいネタを仕入れていると言うことです。


 思わず入ったありきたりのファミリー寿司なのに,この味とは!!恐るべし。さすが日本海は魚がうまいですね。

 

 そんな感じで,能登ボランティアツアーも,今日で終了です。また違うネタでいきまっせ!!


行ってきました。能登。9 報道のあり方編

2007-04-09 21:42:40 | 能登,震災のつめあと

 あいかわらず能登地方のことが新聞やテレビで報道されていますね。我々は,そういったメディアを通していろんな事を知るわけですが,「百聞は一見にしかず」でもあるわけで,やっぱ本物を見たり,地元の人の話を聞いたりしていると,いろいろ感じることがあるわけです。

 ボランティアで道間違えたときに,車に乗っけてくれた人が地元の情報をいろいろ教えてくれました。

 その人の家も見事に倒壊したそうです。地震というのは不思議なもので,被害の大きな所はすっごいことになっているんだけど,場所によっては,何にもなっていないところもあるみたいです。

 「一番ひどいところはあのへんこのへん・・・」と教えてくれたんだけど,その中で,「もう今にも崩れそうな家がある。ホントに崩れそうなくらい傾いているから,その家の周りには,テレビ局のカメラが陣取ってカメラを構えている。いかにも,『はよ崩れろ』と崩れるタイミングを心待ちにしているみたいで,その家に住んでいる人はやるせないだろうなあ」なんて話をしてくれました。

 確かに,自分の家が崩れそうになっていて,その周りにテレビ局のカメラ・・・なんて言う状況があったら,許せんなあと思います。自分だったら,報道陣に向かってロケット花火を打ち込むかもしれません。

 後でその「崩れそうな家」の所に行ってみると,もうすでにその家は崩れ,テレビ局の人たちは撤収しつつある状態でした。


 撤収する報道陣です。何か記事になることはないか,常に記者たちは獲物を探しています。

 スクープをとってこれば,それが金になるわけですから,記者にとって記事は命です。それに,我々は,記者の活躍があるからこそ,世界中のいろんなニュースを知ることができるわけなんですが・・・。

 報道活動は自由でいいわけですが,人のプライバシーや知られたくないことにずけずけと入ってくるところは少し考え物ですね。よく,芸能人のスキャンダルなんかも問題になりますが,芸能人もたまったものではありません。

 


 つかのま,門前東小学校でボール遊びをしている子どもたちも,報道陣にとっては格好の記事になっちゃうわけです。テレビカメラなんかが近くにあると,思わずピースをする510ですが,今回ばかりは,カメラの目というものに嫌悪感を抱きました。

 


 これはNHKの車。5台ぐらい連なって走っていました。常にテレビ局の車は動いてましたね。

 


行ってきました。能登。8 避難民編

2007-04-08 22:11:22 | 能登,震災のつめあと

 震災から2週間が経ちました。

 避難民の心のケアなんかがよく報道されてます。実際たまらんと思います。自分のウチは倒壊し,帰る場所はない。とりあえず寝泊まりしてるところはほとんどプライバシーのないところ。先の見えない避難生活は,想像しただけでも嫌気がさします。

 避難場所になっている門前地区の町民会館に足を運んでみました。 


 建物の外には,たくさんの仮設トイレが設置されています。そして,水の配布も行われています。


 仮設トイレ,まだ新しいせいか,割ときれいな感じです。向こう側には傾いた家が分かるでしょうか。

 


 町民会館の花壇も,見ての通りです。


 いろんな地区から運ばれた水が,小分けされています。飲料,洗面,何にでも使われます。


 2Fのホール入り口付近には,無料でティッシュなどの日用品,チョコパイなんかが使えるようになっています。


 手前にはゴミ袋が設置されていますホールは見ての通り,まあ,テレビでよく報道されているような感じです。固い床の上に毛布を敷いて,たくさんの人と一緒に寝るわけです。


 電話は無料で使うことができます。

 


 門前地区は,お年寄りの多い場所です。当然,建物の前の仮設トイレまで降りていくのが困難な人もいます。そういう人たちのための簡易トイレです。車いすからの移動もこれでOKです。


 届けられた物資の中にはおむつまで。もちろん,お年寄り用のものです。


 毛布もたくさんあります。

 一日も早く,元の生活に戻れることを祈ります。

 


行ってきました。能登。7 仕事編

2007-04-06 23:40:34 | 能登,震災のつめあと

 「震災ボランティア」と聞いて,まず思い浮かぶ仕事は崩れた家から荷物を運んだりする仕事だったのですが,やった仕事は交通整理。

 まず,門前東小学校のボランティア本部に,仕事の依頼が届きます。

 本部で待機しているボランティアの人たちに,「こういう仕事があるけど行ってくれる人いる?」と声がかかるわけです。

 今回,交通整理の仕事の依頼が来ました。水道管が破裂したので,道路工事をしたいとのことでした。
 ボランティアで来ているわけだから,仕事選んじゃいけないと思うんだけど,やっぱり,みんな荷物なんかの撤去作業がやりたいんでしょうね。交通整理の仕事には手を挙げないんです。その空気に耐えられなくなって,杉浦先生と2人で手を挙げて交通整理を引き受けることになりました。

 地図をもらって,行き方も教えてもらい,5分ほどでつくと言われて,その通りに進んでいきました。

 5分どころか,20分後ぐらいに要約目印っぽいところについて,「このあたりじゃないのかなあ」

 と思いながらも自信なさげにうろうろしていると,地元の人が,「どこに行くの?」と聞いてきたので,地図を見せると「これは全然方向が違う」と言われました。ここですでにガーンですわ。「なんやそれ」「今までのこの労力はどないしてくれんねん」心の中で怒りの声がこみ上げてきます。

 でも,その地元の人が親切に,軽トラの荷台にのっけてくれて,地図の場所へ運んでくれることになりました。 

 楽ちんなんだけど,働かずして疲れてしまい,ちょっと渋い表情です。


 杉浦先生は相変わらずです。向こう側は,一緒に交通整理をやることになった人です。名前忘れました。

 車で10分ぐらい走ったところで,ここが地図の場所だけど・・・と車をおろされました。でも,ボランティアが必要な感じではありません。

 「また違うんじゃねえの?」心の中で何度もこの言葉が繰り返されます。

 しかたなく,ボランティア本部に電話を入れてみました。

 そしたら,やっぱり違うとのこと。今度は,市の人が車を出してくれて,そこまで運んでくれるということで,再び待つことに。

 そしてようやくたどりついたと思ったら,そこは最初についたところ。

 「なんだそれなんだそれなんだそれなんだそれ・・・」

 そこにいた工事の人に「よろしくお願いします」ってあいさつしたら,えらく喜んでくれました。「愛知県でなんかあったら,今度はオレら行くよ」って言ってくれました。

 しかし,工事の人は集まってるのに,水道管工事をする資材が来てないと言うことで,再び待つことに・・・

「・・・。」

 「はよこいはよこいはよこいはよこいはよこい・・・。」

 時々杉浦先生と相撲をとって退屈をしのいで待っていると,ようやく資材到着。工事開始です。


 これがアスファルトに穴を開けるマシーン。

 渡されたのは赤旗と白旗。ホントは一人が2本の旗を持ってやるわけですが,今回は2人で赤と白。つまり,一人が「止まれ」を意味する赤。もう一人は「進め」を意味する「白」を持つことに。ここは,杉浦先生に赤,510が白を持つことにしました。


 こんな風に車を止めちゃうわけです。

 


 理想はこんな感じです。(いずれも人形ですが)

 白旗一つの交通整理には恐怖がつきまといますが,なんとか要領をつかんでやれるようになってきました。


 こんなごっつい自衛隊の車も,パトカーも510の旗で止まってくれます。白旗でも空気を読んでくれるんでしょうね。一番いかんのは地元民の車。やはり白旗では限界があります。旗で止めてるのにつっこんできて,一台正面衝突を起こしそうになってました。


 道路左側で工事をしていました。

 まあ,そんなこんなで無事,役目を終えて我らのボランティアは終了しました。

 テレビなんかでは,ボランティアの活躍をうまく報道してますが,実際はすっごい不手際でした。何しろボランティアは組織化されていない善意だけで集まった人たちなので,指示系統なんかがないわけです。だから,ボランティアに指示を出す人も,ボランティアの人たちで,もちろん地方からやってきた人なので,いろいろとミスもあるわけです。組織や指示系統って大切だなあと思いました。


 それぞれの地方からボランティアバスが運行されてました。がんばってほしいものです。

 そうそう,ボランティア受付の時に,「ボランティア保険」なるものに加入しました。保険料は石川県が負担してくれて,1年間有効なので,もしケガをしたときにも,治療費なんかは心配ありません。こういうところは県がしっかりやってくれていますね。 

 

 


行ってきました。能登。6 学校編

2007-04-04 23:55:10 | 能登,震災のつめあと

 学校という場所は,地震が起こると避難場所になるわけです。

 ということは,学校が学校としての機能を失ってしまうわけです。

 今回訪れた門前東小学校は,ボランティア本部が置かれました。



 ここが門前東小学校。キレイな作りの学校です。三角屋根になっているのは,さすが雪国の学校という感じですね。


 この看板にしたがって我々も登校です。

 
 生徒が出入りする昇降口前にこんなテントが置かれ,ここでボランティアの受付をします。タオルやトイレットペーパーを持って行きましたが,えらいありがたがられました。


 昇降口はこんな感じになってしまいます。


 一番最初にした仕事は,災害復旧用の物資が到着したので,それをトラックから降ろす作業でした。クロネコヤマトのトラックいっぱいに物資が入ってました。


 脚立やロープ,シャベル,竹ぼうき,テープ類,一輪車・・・。とにかくすごい量です。しかも新品。いったいどこから送られてきたのでしょう。


 ホントにこれだけの量のスコップが必要なのでしょうか?雪国の人って,雪下ろし用にスコップ(アルミの軽いヤツ)を各家庭持ってるんですけどね。


 運動場には,いろいろな地域から給水車がやってきていました。水道はストップしていますので,これに頼るしかありません。


 我が愛知県からも,名古屋市が給水車を出していました。岡崎ではなかったですが,ちょっとうれしいですよね。


 その他,自衛隊のすごい車がたくさん止まっています。医療車や装甲車みたいのも止まってたりして,ここは戦場か?と思うほどです。


 自衛隊の人たちは,体育館で寝泊まりしているみたいです。それにしても,キレイに片付いています。この時は作業中なので,見張りの人が数人いるだけでした。


 上の2つの写真で,分かりますかね?校舎が持ち上がってしまっているんです。これが,全体的に持ち上がったものなのか,こちら側だけ持ち上がったものなのか分かりませんが,いずれにしても,地震の力はすごいものです。


 学校正面のレンガ組がしてあるところ,見事に「おみわたり」状態になってしまってます。両側から圧力がかかったんでしょうね。

 結局,地震が起きると,学校が「避難場所」として生徒以外の人たちを受け入れなくてはならない公共の場所になるわけです。一般の人たちにとってはすごくありがたい存在になるわけですが,学校で授業を受ける生徒にとっては,通常の学校生活が送れなくなってしまうわけで,学校の機能を失っていきます。

 入学式も,遅れることが決まったみたいですね。

 ボランティアを終えて帰るとき,ボランティアの人が,「学校の中が休憩所になっているので,そこで温かい飲み物飲んでくつろいでください」と言ってくれました。ボランティアの人たちは親切心でそういう場所を設置してくれたと思うのですが,学校がそういう場所として使われていることにムッとしてしまいましたので,丁寧にお断りしておきました。

 この地域にも大きな地震が来たら,北中も学校としての機能を失うことになります。地震のそれ自体の被害も大変ですが,そうした施設のあり方もむちゃくちゃになってしまいます。


行ってきました。能登。5 総持寺編

2007-04-03 11:34:26 | 能登,震災のつめあと

 門前町の「門前」は,寺の門の前に拓かれた町という意味があります。だから,全国至るところに「門前町」はあります。

 鎌倉時代には,寺の前で市が開かれたりして賑わいを見せ,町として栄えていったわけです。

 輪島市の門前地区は,総持寺という寺の門前町であるわけです。その総持寺も,大変なことになってしまいました。


 総持寺入り口です。


 重いものを支えるのは耐えられる石垣も,振動にはたえられません。


 重い灯籠もひっくり返ってます。

 

 


 手を洗う場所も屋根がくしゃけて倒壊しています。


 このでかい門はさすがに盤石です。日本の建築技術も捨てたもんじゃないです。法隆寺など,日本の木造建築が現在まで残されている理由が分かりますね。


 石垣を見てみると,飛び出しているものもあり,不安定です。一応,寺の壁については支えがしてあります。余震が発生したらやばい状態ですよね。


 これは補修作業中なのか,あるいは,地震で崩れかけてあわてて補修しているのか・・・。
 総持寺は,北陸地方ではかなり大きな曹洞宗のお寺です。再び復興することを願います。


行ってきました。能登。4 道路編

2007-04-02 10:06:45 | 能登,震災のつめあと

 家もかなりやばい状態でしたが,道路を見ると,そのすさまじさは一層増します。なんと言っても,あの堅いアスファルトが割れたりしちゃってるわけですから,すごいもんです。


 こんなのは序の口


 こういう部分的な陥没も至る所にあります。


 川の土手も沈下してコンクリートが崩落しています。


 歩道と車道の境目に地割れ。


 やっかいなのは,倒壊した家から出たごみが路上におかれてしまっていると言うこと。こんな所も結構あります。


 とりあえず砂利で応急処置をしてあります。


 この道路の下ではいったいどんな地殻変動が起こったのでしょうか。


 部分的な湾曲などで,道路はベコベコ。平らでないので,平行線が分からなくなって,道を歩いていると気持ち悪くなってしまいます。


 傾いてしまった電柱を直す復旧作業も急ピッチで行われています。


 地震発生での走行注意案内。


 塀も道路もぐちゃぐちゃです。


 マンホールの部分だけ盛り上がっちゃっています。


 道路沿いの崖が崩れちゃっています。


 川岸の土地が崩落して川が埋まっちゃいました。

 いやあ,地球の力ってすごいですね。


行ってきました。能登。3 家倒壊編2

2007-04-01 16:16:29 | 能登,震災のつめあと

 壊れちゃったのはほとんどが木造の古い家ですが,鉄筋の建物も被害はあります。


 屋根の下の部品が落ちちゃってます。地震があってすぐに建物の外に出ちゃいけないっていう理由が分かりますね。


 農協の建物の中です。建物の中はヤバイ状況です。


 自動ドアは使えなくなってしまいました。こういうとき,電気で動くものは全く役に立ちませんね。


 駐車場も地割れだらけ。花壇が傾いちゃってるの,分かります?


 スーパーです。なんとか立ってますが,建物としてもはや使い物にならない状態です。


 中の棚もぐちゃぐちゃ。かろうじて商品だけは撤去した模様です。


 こちらも,中身は撤去したあと。右側のカーテンがこちらに垂れていると言うことは,建物自体がこちらに傾いていると言うことです。


 コンクリートの塀なんてヤワなものです。


 同じく。


 こちらは左奥に傾いています。もちろん赤ラベル付き。


 かわらや木材のかけらたち。いったいこれらの撤去作業はどのようにして進められるのでしょう。


 2階が無事でも,1階がもはや支えきれていません。


 前日は雨だったので,ビニルシートで雨が入らないように覆っていますが,天井からの雨漏りもあるでしょうね。


 木材加工場です。路面には地割れ。建物はくしゃけています。地震当日は日曜日だったため,従業員がいなくて,職場でのけが人は少なかったみたいです。


 竜巻が来たかのような光景です。


 スギケンカメラからです。自分の家がこんな風になってしまったら泣けちゃいます。


 ここはかわら置き場ではないのですが,ひとたび誰かが起き始めると,そこがゴミ置き場のようになってしまいます。

 


行ってきました。能登。2 家倒壊編1

2007-03-31 21:47:15 | 能登,震災のつめあと

 正直言って,壊れた家を撮るのは忍びないです。だって,自分の家が壊れていて,全くの赤の他人が,その家の写真を撮りに来てたら,あんまり気分のいいモンじゃないですよね。

 そういう気持ちをくみ取りながら見てください。


 完全に倒壊しちゃってます。この家に住んでた人は大丈夫だったのだろうかと思います。


 壊れた家が,道路の方に崩れちゃってます。すごいことがおこったんです。


 なんとか立っていますが,柱が傾いちゃってます。余震で崩れる可能性大です。


 折れた柱で支えていますが,こちらも時間の問題かもしれません。


 家の復旧作業はどうなるんだろうかと思うとぞっとします。


 もう屋根が湾曲しちゃってます。


 やっぱり木造の古い家はダメみたいです。


 家にこのラベルが貼られると,その家の住民であっても入ることが困難になります。いつ倒れてもおかしくないという状態です。このラベルが貼られた人は,避難生活を余儀なくされます。


 一見すると大丈夫そうなのですが,床のあたりを見てください。足下がヤバイ状態です。こういうのの見極めって大切ですよね。


 ここも,中がぐちゃぐちゃなのが,窓越しに分かります。普通そうなのですが,やっぱり危険な状態の家屋です。


 これだけ太い柱でも,地面と設置している足下が不安定なので,やっぱだめです。


 この辺はひどいもんです。

 


 黄色い紙は,入ることはいいのですが,要注意です。同じように避難生活を送っている人がほとんどです。

 


 壊れた家,壊れきってはいないけど,柱が傾いている家,何にしても,ただではすんでいません。


行ってきました。能登。1

2007-03-30 20:56:53 | 能登,震災のつめあと

 疲れた~。

 でも,行ってきましたよ。

 杉浦先生と合流し,北中を出発したのが午前7時20分頃。

 そのまま豊田東インターから北上し,東海北陸自動車道などを経て,石川県輪島市。特に震災の被害が大きかったとされる門前地区へ入ります。ホント,遠い道のりです。

 今回は,できるだけこのblogで震災の様子をわかりやすく伝えたいので,写真を少し大きめで載せています。少し重たいかもしれませんが,じっくり見てやってください。

 出かけた29日は午前中あいにくの雨。カッパを持っていったので,まあ,雨降る中の作業となっても大丈夫です。


 雨が上がってきて,山に虹が架かりました。ちょっぴり嬉しいですよね。こういうの。


 能登半島有料道路は「柳田」まででSTOP。この道の向こう側では,急ピッチで復旧作業が行われているのでしょう。やむなく,下道で頑張っていくことに。


 海岸線に出てきました。ボランティアではなく,観光目的ならば,手前にある千里浜なぎさドライブウエイとかを走りながら,ゆっくり車を進めていくのですが,今回は崇高な目的がありますので,車を止めて景色みたいと言う誘惑にも負けず,車をかっ飛ばします。


 こんな三角岩もあったりで,能登半島の海岸線は,なかなか景色がキレイです。


 西山先生(来年度から連尺小勤務)のふるさと羽咋市は大丈夫だったのですが,さらに北の志賀町北部から震災の爪痕が現れてきました。くしゃけた倉庫です。これだけで十分びびります。


 わかります?アスファルトの色が違うところ。道路の至る所に新しく舗装したような跡がありますが,陥没して通れなくなってしまったところを急遽舗装したところです。こんなところがそっこらじゅうにあります。震災から4日目で,なんとか被災地までの道路は復旧されてきています。


 ここは復旧作業中ですが,左側は新しく舗装したところ。向こう側は,陥没して通れなくなったところです。


 ここは,テレビでも流れていました。モロ,陥没して寸断された道路です。横のスペースを上手く使って迂回することができるようになりました。雨が降ると,土砂崩れの危険があり,ヤバイ状態です。


 山崩れがあり,土嚢で押さえている状態です。車載ってて上から土砂が来るとひとたまりもありません。


 再び海岸線に出てきました。またまた奇岩が現れます。


 海は大しけです。ちょうど海の向こう側に,我らが目指す輪島市が見え始めました。


 おーっと,再び陥没修正ゾーン。道路の左側がへこんでるの,分かるでしょうか。そして,左手にブルーシートをかぶった家が見えてきました。近い,近いぞ!