僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(12/2)中国人の彼女

2017年12月02日 08時43分53秒 | 日常、仕事、認知症
先週の金曜日に、中国の友人の家にお邪魔した。
前日の突然の約束だった。
新しいアパートに移ったので、ぜひ遊びに来てほしい、一緒にギョーザを作ろうと
前々から約束していたのが延び延びになっていた。
そして金曜日に行ってきた。
約束の場所はここ。

私の家から自転車で15分ほどだ。
この日は特別寒かった。
それまであまり寒さの感じない11月であったが、きっとその日が一番冷え込んだ日であろう。
行くときは小雨のような霙のような空から降ってくるもの。
寒さの中で、彼女を待った。
そしてフル防寒した彼女が自転車でやってくる。
その姿を写真に撮った。
明るい笑い声が駅前に響いた。
ここから、自転車で5分もかからない所だと言った。
ビルの裏通りの坂を上って、神社や寺の墓などが点在する所を抜けて、線路沿いの古いアパートだった。
冷え切った身体を温めるためにいざ、中に入ろうとすると
ドアを開けたとたん、毛布のカーテンだった。
部屋も真っ暗。ベランダ側のサッシもカーテンと同時にやはり毛布をかけていた。
せめて日中はそれらを開けないと、暗いままで寒いのでは?と言ったが
開けると寒いからだめだ、と言う。
エアコンはあるが、ストーブはなかった。エアコンもつけられなかった。コタツはあるけれど、ヒーターがついていなかった。
ベッドのみ。
服類は押入れのビニール袋に入っている。
台所兼玄関の細長い通路にコタツ板をテーブル代わりにして椅子は風呂のあの椅子に座布団を載せたもの。
朝から大量に作っておいたギョーザの山をどんと出されて、3つばかり食べる私。
炊飯器もない、テレビもラジオも音楽を聴くものもない。
娯楽は何?休日はどうやって過ごしているの?いろんな疑問が出てきた。
彼女の素性はある程度知ってはいるが、
この侘しい生活をしてでも、なぜ日本に残っているのか、一番の疑問だった。
だが、あまり深く詮索するのも憚られるが、真実を語ってくれるわけではない。
以前は横浜にいた。
横浜からなぜ、この東北の町に?仕送りを中国にしているの?などなど、私の質問に答えていった。
結局日本が好きだから、中国には帰らないと言っていた。
今のところ、日本が好きで、休日には仙台近郊の観光地などを巡っているようだ。
それにしても寒くて、身体が温まらないので、そして彼女も別の約束があるので
予定よりも早くにそこを出た。
まずは温めよう。
そして考えよう。
彼女の心を忖度してみよう、と喫茶店に入った。

駅前(北仙台駅)のドトールだった。
ドトールがここにあるとは。
これは便利だ。

あの冷え切った部屋の寒さと暗さと家具のない、娯楽のない侘しさが私の心に突き刺さっていた。
そういえば、夏の七夕祭りの時に、彼女と七夕を観て回ったんだっけ。
綺麗だねえ、と言いながら一生懸命写真を撮っていた。
先日も船岡の菊人形祭りに積極的に行っていたし(誘われたけれど、行かなかった)、外に娯楽を求めている彼女なんだ、と言い聞かせた自分。
だが、仕事から帰宅してホッとする時間を持つのが住まいなのに、その生活感のなかったことにちょっと哀愁を感じただけなんだ。

ドトールを出ようとしたら大粒の雨だった。雨具をその場で着て
すぐ傍のスーパーに寄って買い物をし、
駐輪場に向かう。
駐輪場の傍の家の昭和的な雰囲気が好きだ。
この界隈はじっくり眺めたことはないけれど、少し自転車の散策コースの範囲が広がったと思っている。
いつもは大通りのビル街を通ってばかりだが、こういう小さな脇道を通ることが好きな私だ。
帰宅して
漸く身体を温める。

ほんの数時間の出来事だったが、あの日のことを記しておきたいと思った。
季節が暖かくなったら、桜を観に、誘ってみよう。