僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(3/11)みやぎ鎮魂の日

2017年03月11日 21時15分20秒 | 東日本大震災
今年からなのか
今日この日を「みやぎ鎮魂の日」と県が定め
各地に献花、記帳、黙祷と、追悼の場を設けた。
勿論昨年もそうであったが
6年目を迎えて
あの日の悲しみを風化させないためにも
そう呼称するようにしたのであろう。

午前中から雪が舞っていた。
午後2時に家を出る。
目的地(県庁)はうちから自転車で6、7分の所だ。
いつもは職場の帰りに寄る年が多く
お昼過ぎには到着する。
今日は自宅から向かい
外であの時刻(2時46分)を迎えようと思った。
土曜日の県庁。
大勢の方々が記帳、献花をしに。
そしてあの時刻に合わせて追悼式があるからか
喪服の方々がたくさん来ていた。
私は
県庁を出て、そこから自転車で3分ほどの市民広場へ。
ここで追悼をしようと思った。
                   




この写真は6年前の地震の数日後の市民広場の様子です。
神戸市の車、人々。
あの時は嬉しかった、心強かった。
阪神淡路大震災を乗り越えてきた人たちが
東北の町にこの車に分乗してやってきた。
私は思わず立ち止まって頭を下げた。
あちらの方も黙礼した。


その市民広場に今日は我が町の人々がたくさん
献花(ここにも献花台が設置されている)し、追悼しようと集まってきた。
国歌斉唱、そして2時46分、東の方向に向いて、皆で追悼。
目を閉じて、心から祈る。
そして私の耳から、車の音が消えた。
車が激しく往来する音が消えた。
なにゆえに?
車も止まっているのか?
目を閉じているから様子を見ることができない。
何百人もいるにも拘らず、車も何台も往来するにも拘らず
都会は静寂の中に在った。
まさに
鎮魂の日であった。
泣けてしまった。
隣の方も泣いていた。
あれから6年なのに
ついこの間のような悲しみの涙だった。

あの
車の音が消えた不思議。
雪がちらつく。
あの日の象徴的な大粒の雪ではないが
あの日と同じように寒空の雪である。







コメント
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