僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(3/7)今年のカエルと義母の様子

2017年03月07日 13時55分28秒 | 日常、仕事、認知症
今日は普通に寒い。
まだまだ「春」とは言いがたい風の冷たさ。
だが日差しは強い。
昨日の夕方、雨が降りそうな雲になった。
そして気温は少し温かめ。
私の頭、ピコーン。
カエルが出てくるかもしれない、と。
夜、懐中電灯を照らして
庭を見れば
やっぱりカエルたちがモソモソと出てきていた。
南の庭の巣穴は
目が覚めたカエルが順番待ち。
懐中電灯の明かりに、出るのを躊躇していた。
東側の庭のカエルは小、中のカエルが4匹ほど出てきた。
うちのカエルたちがこうなので
路地を一応チェック。
が、1匹もいなかった。
「明日からまた寒くなるからもう少し待っていてね。」とうちのカエルたちに声をかける。
まだまだ、春の雨が降る時期じゃない。
春の雨が降れば、カエルたちはすぐ交尾期になる。
路地や庭のあちこちで重なる。
それを私が拾って安全な場所に移す。
そして6月ごろ、小さな小さなカエルたちが庭に出てくるのである。
そんな季節になろうとしている。
またカエル救済の日課が始まる。
その前に
庭の片づけにも手をつけなくては、ね。
義母の捨てたあれこれが南の庭に散らばっている。
寒くてそれらを拾う気のない私。
温かくなったら、やります。

その義母
先日の夜
私と夫が食事をしていたら
義母の部屋でドーンと音がして
覗いてみると

ベッドの横に倒れていた。
真っ暗な部屋から廊下に出ようとして
ふすまにぶつかって(ふすまは開いているものと思っていたらしい)
そのはずみで尻もちをついていた。
ふすまに額をぶつけたらしい。
そのまま起き上がり、大事に至らなかった。
しかし
それから2、3日して
その額が青くなっていた。
ふすまにぶつかったことは忘れていた。
日頃
豆電球もつけないで真っ暗にして寝る習慣がある義母なので
明かりをつけて寝よ、と言っても
絶対に言う事をきかない。
廊下の明かりをつけておいて、と言っても
「夜中にトイレに行かないから大丈夫。」
「トイレに行かなくても、例えば地震があった時や急なことがあったとき
慌てるから、つけといて。」と強制的に洗面所の電灯をつけて寝させたが
早朝、出勤するときに廊下を見ると
いつのまにかその電灯を消していた。
消したことすら忘れる。
前夜のそれについての会話すら忘れている。

今度は腰の痛みだ。
尻もちをついたところだ。
痛くて動くのがつらいので、コタツに入ったままの姿勢。
その場で湿布薬を貼ってやる。
寒いから、何枚も重ね着である。
服を脱ぐときも、着ているものは前閉じのものではなく
頭からかぶり着るものばかり。
なぜ、そんな脱ぎにくいものを着るのか、前開きのほうが動きやすいし、脱ぐのも簡単だろう、と言っても
全く聞く耳なし。
タイツもピッタリしたものを穿いている。
若いときの習慣はなかなか直せない。
股引のような緩やかなもののほうが温かいし、脱ぎやすいと言ってもダメ。
それらを脱ぐときのあの姿態。
30分近くかかった。
その割に
動いて外に出たりしているのだ。
痛くて動けない、と言っていながら
外に出て洗濯物を干している。
仕事から帰宅すると、テレビがついたまま、部屋にいない。
トイレかと思い、声をかけたがいない。
外から台所のドアを開けて中に入ってきた。
「洗濯物を干していたの。手洗いしたの。」と言いつつ。
しかし私の目の前では
這うようにしてコタツから出てくる。
そんな時
世の介護をする人たちは手を差し伸べるだろう。
夫に何か言いがかりをつけるために
自分の部屋からスタスタと駆け寄って
何か言う。
「なんだ、動けるんじゃないか。」と夫。

彼女は
手を差し伸べられるのを期待している。
まだまだ
私の心は抵抗感がある。

老人のあれこれに基準はない、それはわかっている。
90歳過ぎても元気で社交ダンスをしている人もいる(父の姉)。
86歳の父が毎日、料理をしている。
83歳になる母が料理はできなくなっても、掃除をしたり洗濯機をかけたりとしている。
義母の姿を見ていると
急に何もできなくなった、ということではない。
若い時から、することが限定してきた。
たいていは、義父がやっていた。
義母が拭き掃除をしているところを見たことがない。
掃除機を使っているところを見たことがない。
(掃除機があっても、部屋は掃くのみ)
庭の草取りを見たことがない。
せいぜい、花を植えたり、ごちゃごちゃと可愛いものをずらっと棚に並べるくらいだ。
それが自慢である。
小言を言う私に不満があるだろう。
飾ることだけは一人前で
捨てることをしないから(不要な物や腐ったもの)
私に言われる。
義父の仏壇を見ればそれはわかる。
お菓子やお茶が干からびている。
飾るのが愛情なら、捨てて綺麗にするのも愛情だろうに。
庭に、着ないものやサイズの合わなくなった下着を捨てて、それでおしまいである。
片付ける人(私)がいるので、気にしない。
自分のものじゃない、と言えばそれで彼女は済む。


言う事だけは一人前、立派だ。
そんな彼女に
私はまだまだ、心から
「お義母さん、大丈夫ですか」なんて手を差し伸べることはできないのである。
生き方の違い、愛情のかけ方の違い、これは仕方ないだろう。
そこまでいっしょになることはない。
お互い選び合った者同士ではないのだから。
同居した当時は嫁姑問題は抱えてこなかった。生活費の問題はあったが。
お互い、干渉なしの同居生活だったから。
二世帯にして(台所はいっしょだが、食事も別。風呂、トイレ、洗濯も分かれている)、彼女たちの生活分野に入ることはなかった。
そしていよいよ、彼女の域に入らねばならなくなったとたん、
仏壇のお供え、トイレ、納戸の状態などなど、干渉しなくてはならないことが増えた。
そう、ここから我が家は嫁姑の問題になってきているのだ。
こうしてね、ああしてね、とその都度言わなければならないし、見届けなければならない。
ゴミはプラと一般ごみに分けてゴミ箱に捨てるように、と言ってそれをするまで見届けなければならない。
後でやる、と言われたら、今やれ、となる。
なぜなら、次の日にはそれを忘れているから。
急に干渉が多くなれば、私のことを恨むのは大きいだろう。
それをテレビの画面に向かって言っている。

私の知人に
介護が終わったとたん、離婚問題が出てきている人がいる。
他人事ではないね。
まあ、まだまだ「介護」というには抵抗があるが、今の自分。
干渉している時は口うるさくても、問題は解決していくから。
言ったことを覚えていない、何を食べたか忘れる、これは自分にとって
さほど気にならない。
対処は幾らでもある。







コメント (2)
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