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僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(3/2)映画「それでもボクはやってない」

2008年03月02日 01時10分09秒 | ドラマ
それでもボクはやってない


いい映画を観させてもらった。
いい映画には
最終的にスカッとして終わるとか
感動したとか
そういう感想が付き物だが
この映画は
その2つともあてはまらない。
現実を見させてもらった、という
感想である。

映画やドラマは
なるべく多くの視聴者の共感を得ることが
前提で
そのために
すっきりとした終わり方を望むが
今日の映画はそうではなかった。

おそらく自分も含めて多くの人は
正義が勝つ
裁判所は公正に裁く
と望んでいたと思うが
終わりに近づいて
ああ
これは有罪判決だなとそっちに傾いてきた。

裁判員制度の導入を目前にして
いろいろと問題提起している。
見方によれば
退屈な裁判映画、と思われがちだが
さすがに
たくさんの賞を取っただけに
骨のある作品だった。
現実はこうなのか
と全般通して思った。
明日はわが身
身近な事件である。

痴漢冤罪について
時折週刊誌やワイドショーでも
取り上げられる。
家にあるHなビデオでさえ
不利な証拠になるとは。
世の中の男性の部屋には
それらは普通にあるに違いない。
何でもない日常のものが
いったん事件を起こしたら(この映画では起こしてはいないが)
事件を結びつける証拠品として
押収されるとは。
例えば私がなにか犯罪を犯したとして
うちにある「犯罪史」の数々の本も
押収されることになるのか。
明治以降の犯罪史の本も
少年犯罪史の本も山とある。
「やけに犯罪に興味ある人間」と
思うに違いない。

裁判なんて
自分が犯罪を犯さない限り
身内にそういう犯罪に巻き込まれない限り
永遠に触れるものではないと思ってきた。
しかし
今後裁判員制度が導入されることで
裁判というものを
半強制的に学んでいかなければならないもの
になってきた。
未だに、その制度の詳細がわからない。
おそらくやっつけ仕事になるのだろう。
やはり、きちんと学ばなくては駄目だ。

主人公が
最初に電車の中での自分の行為を説明するときの
語尾のあがるところは本当にリアルだった。
人間て
何かを説明する時は
あのようなしゃべり方をする。
これがドラマの取調べだったら
もっと大袈裟にとか、感情的にとか
いかにもドラマの話し方に訂正されるだろう。
でも
映画にては、現実の話し方を再現していた。
痴漢被害者の女子中学生もあのような
口ごもりの話し方が現実のしゃべりだ。
その点監督はリアル性を出していた。


裁判官も人間。
所詮人間、とでも書こうか。
弁護士も検察官も警察官も人間。
彼主人公は最後に
「裁判では、公正に判断してくれるものと
思っていた。
真実をわかってくれるものと思っていた。
が、真実を知るのはボクだけで
裁判官はまちがっている。
ボクは裁判官を裁く。
控訴します。」
の力強い言葉を言って終わる。
控訴する、というのは
また戦いであるが
やっていない限り、人生を賭けて
自分の潔白を証明しようということになる。
その言葉に救われるが
現実はどれほど遠い道のりだろう、と
ため息が出る。
正義が勝つ、というのは
当たり前じゃないんだ。
よく心しておかなくてはね。
「死刑台のメロディ」(サッコとヴァンゼッティ事件)
を観て大泣きしたことを思い出した。
あれも冤罪事件、初めからでっち上げ事件だった。

被害者の女性の勇気ある告発
真摯な受け答え
には、裁判官は好感を持つが
被告人の
絶対に自分はやっていないという
発言には、反省の色なし
という判断をする。
なぜ
その発言に耳を傾けようとしないのだろう。
頼みとした唯一の目撃者の存在、発言も
被告人に有利な証言として効力なし、
と判断。
もっと様々な角度から見ることはしないのか。
被害者も確信を持って犯人として見たのか
を検証するべきだ。
裁判のそうした杜撰さを指摘している映画でもある。
現実はこうなんだ、と警鐘している。
現実にはそんな裁判官は少ないと反論があるのかも。
きちんとした証拠に基づいての審判である、と
反論するかも。
どれが現実なのか、実際は
自分が裁判に関わらない限りわからない。
ただ、全くのフィクションではなく
こういうケースが現実にあるのだよ、と
警鐘している。
身につまされる映画だった。
身体がゾクッとする映画だった。