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僕たちの天使

私の愛する天使たち、ネコ、山P、佐藤健君、60~80年代の音楽、バイクなどを徒然に語っていきます。

オトメちゃんが母親になっていました。

zooさん、お元気ですか。 もうご承知かもしれませんが、オトメちゃんが お母さんになっていましたね。市川動植物園のHPに 2013年、オトメちゃんがお母さんになっていたことが載っていました。赤ちゃんを抱いてカメラ目線です、オトメちゃん。こんなに嬉しいことはない。またブログを再開してくださることを願っています。 このブログの2014年8月4日の記事を読んでください。

(2019/10/1)ガラケーからスマホに替えた。

2019年10月01日 16時30分24秒 | 日常、仕事、認知症
漸く、ガラケーからスマホに替えた昨日。
消費税8%最終日の駆け込みです。

いつかは替えなくちゃいけない、とこれまで思ってきたのだが
何しろ、ガラケーでも不便を感じない私だから、きっとこのままズルズルと行くのだろうと思う半面、
もし、ガラケーが廃止されて、スマホのみの時代に突入したら(それがあるかどうか私には情報がない。)、
どんどん年を取っていく自分に操作ができるのだろうかと心配する面もあった。
周囲はスマホを簡単に扱っているし、夫もスマホを使っている(会社のだけど)。
そして、先日の煽り運転でテレビで取り上げられた「ガラケー女」という言葉。
そんなに世間は「ガラケー」は「化石」の如く扱われているのだろうか、なんて思ったり。
何かきっかけでもなければ、替える機会を逃すなあと思っていたら、
バッテリーも怪しいし、ドコモから消費税値上がりする前の案内も来たし、9月以内に替えようと漸く決心した。
そして最終日に駆け込む私である。

仕事を終えて近くのショップに気軽に行ったのだが、大誤算。
予約しなければダメなようで、中途半端な2時半という時刻を設定された。
予約時刻より、10分前に来てください、とのことで、1時間くらいのつもりで再度訪れる。
ところが。
ところが。

終わったのは6時近く。
新幹線で、仙台から東京を過ぎて名古屋にでも着きそうな長い時間だった。
こんなに機種を替えるのに時間がかかるものなのか。
そういう知識がないものだから、倍以上の時間に感じる。
スタートに30分以上待たされた。
それはいい。
しょうがない。
スタートしたとたん、速いのだろうと思った。
しかし、途中、何度も係の人は中座して、何十分も待たされるのである。
これがきつかった。
なぜ、待たされるのかわからない。
こんなの常識、と言われれば、全く無知の私を恥じねばならない。
しかし、係の人も、もっと親切に教えてくれれば、とは思う。
これこれの理由で中座してこのくらい時間がかかります、と言ってほしいものだ。
少々お待ちください、の少々って、何十分も待つということ?
そして、漸く新スマホが来て、その後の説明も長い。
でもこれはきっとしなければならないことだろうから、これもしょうがないと思う。
あとは何とかのパスワードとかを決めなければならないのだが
「何でもいいですよ。」と言われれば、自分の名字や名前がすぐに出てきて数字と組み合わせれば
何とか一発で通る、ということだったが、なんのなんの、名前も、ネコの名前も「既に使用されている」とのこと。
なんでその数字使われているんだ?と思った。
そして、死んだ愛猫の1匹の名前にすると、それは引っかからなかった。
これにも時間がかかった、おそらく係の人はイライラしていただろう、
いやいや、次にこういうことをやるので、お客様、私が中座しているあいだに、幾つか、あまり使われないものを
考えていて下さいね、と予め言われていれば、余裕を持って考えていることだろう。
あれも既使用、これも既使用と言われると、焦ってすぐには出てこない。
時間の無駄。
時間をきちんと有効に使わなくては。
そういえば、待っている間に、予約の男の人が来て何か食ってかかっていたなあ。
待たせるのが当たり前、待つのが当たり前なら、もっと流れを最初に説明してくれなきゃ、スマホ初体験の私には
なぜ中断して待たされているのかわからないことは怖い。
その説明をしてもらったが、そういうわけか、それは最初に説明しなくちゃ、と思った。
皆さんはよりいいものを求めて何度も機種交換しているから慣れているかもしれないが、
初心者の私は疲れに疲れた交換であった。
それにしても、機種交換したのは2回くらいガラケー時代にあったが、こんなに待たされたかな、と
その記憶がない。

6時過ぎの街の中は、私の知らない世界のようだ。
まるでスマホの世界のようだ。

いやいや、私だって6時過ぎの街の中ぐらい知っている。
だが、散々スマホに手こずった後だから、周りが「この経験」を難なく通り過ぎてきたことに
「知らない世界」を感じ取ったのである。

スマホにしたからって、私の生活は変わらない。
電話も夫の帰るコールくらいだ。
なんだか、さっきからピロリン、ピロリンと鳴っているが、無視、無視。






(9/26)久しぶりに、元同僚に会う。ネコキャリーバッグ、good.

2019年09月26日 09時39分13秒 | 日常、仕事、認知症
さすがに4カ月のブログ空白期間を埋めるのは難しい。
順を追って、備忘録のつもりで書いていけばいいのだが
時間、出来事はどんどん蓄積されていく。
ここ数日書かなかった分だけでも、あれもこれもという気持ちになる。
他人から見れば、平凡な小さなことばかりだが。

今月は3連休が2回あった。
連休こそ、仕事が忙しい私である。
体力の衰えや、暑い日々を恐れる自分は相変わらずである。
しかも、風邪を引き、咳痰が止まらない。
肺の機能が半分ほどの感覚である。


体調不調の中、
昨日の仕事は結構スムーズに行き、自分なりに満足した。
そのぐらいの気持ち、もっとあってもいいくらいだ。
とにかく忙しい毎日なのだ。

その気持ちを一日持続させたい、というささやかな希望。
仕事を終えてから、同僚と一緒に、元同僚のお宅訪問というイベントが待っている。
現役の同僚の名をk子さんとしよう。
元同僚の名をm子さんとしよう。

k子さんは、私と誕生日が一日違いの人だ。
m子さんは、私の後から入り、6月に辞めた人だ。
私含めこの3人で、コードブルーやマスカレードホテルの映画を観に行ったりしていた。
夏には、おっさんずラブを観に行こうと約束していた。
ところが、彼女の事情により、惜しまれて6月に退職した。
昨年初め、夫を事故で亡くし、娘さんたちも独立していて、家にネコと彼女のみ。
娘さんの暮らす栃木や神奈川の方に行くと予定していた。
辞めてから一度、送別会をやったのだが、贈り物をきちんと決めていなかった。
漸く、贈り物が決定し、そして私達の仕事の都合と合致し、昨日彼女の所へ行くことになった。
自転車で職場から15分ほどである。

自宅そのものはわからないが、地理的に高校時代、大学時代、あの辺で遊んだなあと
懐かしい気持ちで東北大学構内を横切って、坂を下りていった。

家には、2匹のネコ。
ネコって、初めて訪問する人が怖くて、一目散に逃げてひきこもる。
うちのネコたちもそうだ。

途中、牛タン弁当を買っていった。

これは正解。

私のネコ遊びが始まる。

隠れていたネコが、ネコじゃらしにつられて出てくる。
そこからバタバタと始まる。
馴れたところで
プレゼントの「ネコキャリー」に入れてみる。




キャリーを背負ったm子さん。


これで、病院や災害時の避難、娘さんの所に行く時にもう1匹のネコを別なキャリーに入れて運べる。
両手が空くというのが心強い。
流行りの「宇宙遊泳?キャリー」。
うちでも欲しくなった。

話は一切職場のことは出なかった。
彼女が辞めたあとに、以前いた人がまた戻ってきたのだが
その話は全く出なかった。
うちの姑と私のやりとりに、また彼女は大笑いしていた。
腹の底から笑っている彼女を見て安心した。
また会おうね、と約束して、家の前でお別れするつもりが、ずっと一緒に東北大の構内を歩いて別れた。
いつかまた、3人で映画を観ようよ。

おっさんずラブは、13日に、k子さんと2人で観に行った。m子さんは都合がつかなかった。
その話もした。
私もk子さんも、あの騒々しい映画の中で眠ってしまっていた。
唯一笑ったのが、サウナの中での喧嘩だった。ひしゃくで、本気でぱこーんと頭を叩き、水を思いっきり飛ばした場面だ。
あとは、ストーリーが急ぎ過ぎ。
期待した「笑い」のツボが年をとった自分には合わなくなったのかもしれない。
跳んで埼玉然り。
それでも懲りずに、また何か興味のある映画があったら行こう、となった。

久々に、楽しんだ一日だった。







(9/9)義母との毎日

2019年09月09日 21時18分46秒 | 日常、仕事、認知症
私が仕事で家を出る時刻は早い時で4時、遅い時で5時半。
3時には起きる。
夫は6時前後に出ていく。

朝のルーティンとして
猫たちのトイレ掃除や水の交換、食餌作り、義母の朝食の準備は
夫がやっている。
夫が不在の数日間、それらを私がやったのだが、
自分の支度とは別にそれらが入ってくるので、3時に起きてすぐにそれらを始める。
義母は寝ている時もあれば、夫のガタガタ台所の音でおもむろに起きて部屋をフラフラしている。
さすがに私の3時起きにはついてこない。
4時には出なくてはならないから、朝食をテーブルの上に置いて数時間後に義母は食べることになる。
猫たちは一辺にガツガツ食べないので、何時に用意してもあまり支障がない。
義母には、お腹が空いた時のために、菓子パンやら菓子を置いていく。
配給制。
菓子の袋を置いておけばいいじゃないか、となるが、残ったものを隠すので、そしてその存在を忘れてしまい、
何かの拍子に数か月後に出てくれば、それを口にすることがあるので、危険だと思い、数個置いておくことにしている。
一時(いっとき)、それらの菓子類が無くなれば、お腹が空いたのか、台所の戸棚の下段に置いてあるストック物を
荒らしたことがあった。ストック物なので、封を切っていないドレッシングなどが置いてあるのだが、ある日、
レモンのドレッシングが台の上にあった。封が切ってある。私が置き忘れたのかと思ったが、
いや、使用のものはまだ冷蔵庫に入っている。義母が何かの飲み物だと思い、開けて口にしたのかもしれない。
勿論、問いただしても、そんなことするわけない!と返ってくる。
これは気を付けなくてはと、それらを棚の上段に移動する。これがまた、私には不便なんだ。
どこにどう置いたかわからなかったり、取り出すのに背伸びをしなくてはならないから不便。
だしの素や砂糖類まで上にあげた。
これで安心と思ったら大間違い。
ラップ、業務用のラップを置いてあるのだが、それは食べ物じゃないので対象外だろうと思うのだが、
ある時やはり、ビリビリと段ボール製の口が破けていた。
どうしてこんなものを、と思って眺めると、その大きな箱の模様が、果物か何かの写真なのだ。
おそらくその写真を見て、食べ物が入っていると思い、力を入れて開けたのだろう。
これも、とがめたって、否定されるに決まっている。
そのくせ、冷蔵庫は絶対開けない。
冷蔵庫の方が色々食べるものが入っているのに、開けたことがない(と思っている)。

そんな義母と毎日戦っている。
昨日の頭に巻いたヒモを取り上げたので、今日は別なヒモ(贈答品に附いているもの)を頭に巻き、首にも巻いていた。
夫は「アミダババアみたいだ」と言ったので、
私はその姿を思い出して笑ってしまった。
若い人たちはわからないでしょうね、明石家さんま全盛の頃の姿。

なんだか、事象を述べて終わり、の文章になった。
3人のバランスについて書こうとおもったのに。
またも時間切れ。
寝る時刻が過ぎた。
トモがニャーニャー、寝床に行こう、と誘っている。

このテンプレート、改行がおかしくなるなあ。



(9/8)夫、無事帰宅。

2019年09月08日 19時37分26秒 | 日常、仕事、認知症
夫が帰国した。
4泊したことになるのか。
無事帰ってきて安心する。
昨年はそんな思いしたのかどうか記憶にない。
いつもの夕食の時は
義母と夫が向かい合わせで食べるのだが
この数日、夫の姿を見ないことにいつ気付くのかと思っていたが
何も問われなかった。
昨日、漸く、「旦那がいないけれど、どうした?」と聞かれた。
「ベトナム。」
「ええ?!」
「ベトナムってわかる?」
「ソ連の方でしょ?」
「東南アジア。」
これで会話が終わった。正常ならば、目的とかいつ行ったのか、いつ帰るのか、あちらの気候はどうかなど
会話が成り立つのだが、それで終わった。
私も話し方がぶっきらぼうだ。
それよりも、義母の頭に巻いた、荷造り用のビニールテープとつなぎ合わせたみかん入れの網の方が気になる。
猫用の遊び道具として昔私が作ったものだ。どこから引っ張り出してきたのか、赤い物を見れば身に着けたくなるのか
頭に巻き付けていた。
「寝る時は危ないから取ってよ。」と話はそちらの方に行った。
夏バテにウナギを食べようと、九州産のウナギを買ってきて義母に夕食として出したのだが
「朝からこんなものを食べろって言うの!」となぜかご立腹。
「今、夕食でしょ。」
結局ウナギ、残した。先にフルーツやサツマイモを食べてしまうので主食は後回しにしているうちに
残してしまうのである。
ウナギ、焼き肉、天ぷら、揚げ物、こってりしたものが好きな義母なのにね。

その夫と義母と私のバランスについてちょっと書こうと思ったのだが
夫がネットをするというので、ここで中断。
また休みの日にまとめよう。

(9/6)都会のカマキリとトンボ

2019年09月06日 09時21分54秒 | 日常、仕事、認知症
昨日と今日は仕事が休み。
夫は一昨日からベトナムへ旅行。
鬼の居ぬ間に洗濯。
文字通り2日間洗濯に費やす。
そして
梅雨辺りに庭の雑草取りをして以来、数カ月ぶりに
よく伸びた雑草を昨日の曇天下、手をつける。
東側の庭のほんの一部だけなので、南側や西側が終わる頃には冬になっているかもしれない。
あまり先を悲観せずに地道にやっていこう。
やらないより、ましだ。
今日は昨日と違って朝から暑い。
よって、風の出てくる夕方に着手しよう。
長い長い草を引っこ抜いていると、隠れていた蜘蛛や鈴虫たちが驚いて出てくる。
そしてカマキリも出てくる。
3匹ほど捕獲して、刈り取っていない樹木の下の草叢に放り投げる。
フワッと葉の上に降り立つカマキリ。
カマキリの生態については全く知識がない。
緑色、黄色っぽいもの、茶色と3色のカマキリたち。
擬態ってするのかな、カマキリ。
それとも違う種類?
見た目のいかつい姿よりも、小さい細い儚い姿のカマキリが結構愛おしくて好きだ。
うちの庭のどこかで子供を産んで大きくなったのかもしれないカマキリ。
今日のゴミ出しに、昨日の刈った草を少しずつ袋に入れていく。
紛れ込んでいるかもしれないのでね。

そして今朝はその庭でトンボが10匹ほど旋回している。
どこから来たのであろう。
今も2階の窓から眺めたがずっと旋回している。
こういう眺めも嬉しい。
都会のカマキリとトンボ。
日常の仕事や家事に追われると、それらに目が行くことも少ない。
が、こうして休みになると、それらの存在に気づかされるのが嬉しい。
あまりに心の余裕がない日々である。

もちろんカエルたちもどこかに潜んでいるし、梅雨頃、産まれた子ガエルが
庭でチラチラ姿も見かけているので今年も生命は引き継がれてたと安心している。

これから掃除をする。


(4/15)義母とのやりとりーーティッシュ捨て。

2019年04月15日 06時53分22秒 | 日常、仕事、認知症
今日は仕事が休み。
朝の気温高し。
早朝の雨の後の空気が美しい。
カエルが心配。

一昨日、義母のお風呂の説得に失敗したため
今日は朝から「今日お風呂だからね。」と何回も言っておく。
早朝5時過ぎに夫が朝食を摂っていると
義母が起きてきた。
何もすることがない義母には
「あなたの朝食はまだだからね。」と伝える。
もう準備はできていたが、6時過ぎの朝食としていた。
「私は何をしたらいいの。」と聞くので
「ゴミを拾って。」と言う。

このゴミ、とは。

彼女はティッシュが好きだ。
10枚くらい重ね折りして常にあちこちのポケットに入れている。
どんな時でもティッシュを離さない。
それを取り出しては、顔を拭いたり口をぬぐったりと、彼女にとって必需品である。
問題は
その拭ったあとのティッシュをあちこちに捨てることだ。
廊下に、
縁側から外に、
トイレの床に、その他。
その山盛りになったティッシュを見て私が
ゴミ箱に捨てろ、と言っても絶対に絶対に絶対に捨てない。
自分が使って捨てた、という自覚がない。
自分の部屋さえ綺麗になれば、後はどこが汚かろうと彼女の知った事ではない。
だから、廊下も自分のテリトリーじゃない、トイレもそう。
そんな廊下の山になったティッシュを見て私も腹が立ち、数日前に
彼女の居間に投げ返した。
見事、彼女は見て見ぬふりをして、そのまま放置。
いよいよ、そのゴミに彼女自身が気になりだして腹が立ったのか
「ガキどもが私の部屋にゴミを投げ捨てる、悪い奴らだ。」と言う。
いつもなら、私は「あなたが廊下に捨てたんでしょ!自分で後始末しなさいよ。
いつも、結局私がやっているんじゃない!」と正論で返すのだが、
今日は、その「ガキども」に私も便乗した。
「ひどいよね、綺麗好きなお義母さんなのに、部屋を汚されたら腹が立つよね。
でも、そのガキども今はいないから、お義母さんが自分で綺麗にするしかないよね。」と。
そして
ビニール袋とビニール手袋を持たせて、居間のゴミを拾わせた。
廊下のあちこちにまだまだティッシュなどが置いてあるのでそれも。
そして
トイレへ。
トイレのトイレットペーパーの下にはゴミの山。
まるで、陰部を拭いたあとのように山になっているが
そうではないようだ。
彼女は陰部を拭いたあとは便器の中に捨ててあるようだ。しかし、水は流さない。
だから夜、彼女が食事中などに、私が水を流しているが、あの山はそのままだ。
それを拾わせようと、トイレに導いた。
そしてそれを見て、言うこと、言うこと。
「ウワー、何、これ!気味悪い!なんで、こんなことするんだろう?キ〇ガイのすることだねえ!」などなど。
饒舌、ベラベラ。
私は内心、「お前だー!」を叫んでいたが、
いっしょになって「ひどいよねえ、お義母さんの使うトイレなのにねえ」と言ってビニール袋に捨てさせることに成功した。
「こんな気持ち悪いのを拾ったあとにゴハンは食べられない、ここはキ〇ガイの館(やかた)だ。」と、ベラベラ。
しかし、その後、手を洗わせて
食事を用意したら、食べ始めるお義母さんであった。
味噌汁は、昨夜夫が作った豚汁だった。
「この味噌汁、おいしいねえ。」と義母。
「これはあなたの息子が作ったのよ。息子もあなたのために色々とやっているのよ。」と伝えるが、どこ吹く風。
また、「今日こそお風呂だからね。」と確認の言葉を。
「ええー!?」と相変わらずである。
午後一番にお風呂に入れる。
まずは説得、服脱がし、二階に連れていく、お風呂、シャンプー、着替え、ドライヤー、髪切り、爪切り・・・サロンドトモロッシの午後である。


追記。
ああ、思い出した。
昨日仕事から帰って(私は日曜も出勤)、夫に
「あっち(お義母さん)が、ウンコまき散らされた、と騒いでいる。」と言われたんだ。
さては、自分のウンコをどこかに投げ捨てたか、と私は義母の所に。
彼女の肛門括約筋が緩くなっているので
無意識に便が出ていることがあり、急いでパンツの中を確認させた。
どうやらセーフ。
まき散らされたというのは、自分の居間のティッシュを見て言っていることだった。
そして先ほど記した今朝のことに繋がっていく。
自分の部屋にそういうゴミの類があると、落ち着かなくなるようだ。
君、それ全部あなたのゴミだからね。



(4/6)平成最後の花見を

2019年04月06日 12時10分06秒 | 日常、仕事、認知症

昨日は急に暖かくなった。
それまで、まだまだ冬、と言ってもいいくらいに、雪が舞ったり、早朝には積もっていたり、と
春が後ろに下がってしまっていた。
昨日の気温で、一気に桜が開花したであろうと
街の中のいつもの公園に行ってみた。
2011年の震災時、人々は非日常から通常の春を感じたいとこの公園の桜を眺めに、写真に収めにやってきて
私もその一人だった。それ以来、この公園に通っている。
職場の帰り道なのでたまにベンチに腰掛け、鳩を眺めに来たりしてもいるが、ここの桜には癒されるんだ。

まだ満開ではなく、チラホラ蕾がある。



いつだったか、数年前に、1本だけ花の付きが悪いような木があったんだ。
でも、今年はどれだったかわからないくらいに平均的に花が付いている。
あと数日経ったら、ピンクというよりは白くなるほどに満開になるであろう。

同じ公園の向こう側。



ここが花見客でいっぱいになる。
おそらく今日土曜日もたくさんいるかと思うが、外で数時間過ごすには不都合な強い風が吹いている。


これは昨年か一昨年か、ぐるりと植樹された桜。
大きくなってますます美しい桜光景が観られるであろう。
平成最後の花見である。


平成最後の月の4月。
新しい元号の「令和」(お、変換できた)に向けての1か月の猶予。

元号発表の時、職場で同僚たちと観る。
レイワ、という響きに思わず拍手をしてしまった私だ。
レイという響き、いいね。
名前にも相応しい。

元号は固有名詞なので、それそのもので単独で使う。
平和、は一般名詞なので、しょっちゅう日常で使う。
漢字1つ1つに意味がある、というのは素晴らしいね。
名前もそうだ。

うちにある「万葉集」全集を見ようと思っているが、何しろ、私の部屋は本棚をバックに荷物が積まれた納戸状態である。
いかに以前の仕事と遠ざかったかの証左である。

ところで私は昭和の人間なので
色々と計算するときに昭和で計算している。
今は昭和で言えば昭和94年である。
元号と西暦を一致させられるのは昭和まで、の人間である。
平成23年が西暦で合わせられない。
平成のどの時期に何があったかもわからない。
東日本震災も西暦でしか答えられない。
平成23年。覚えておこう。

職場の人たちと花見の計画だ。



(2/27)前年の出会い。嘘のような出会い。

2019年02月27日 21時28分10秒 | 日常、仕事、認知症
本日、2回目の投稿。
もう少しで寝る時刻なのだが、
明日で2月も終わるので、書きたいことが延ばし延ばしになっていて
1つ書こうと思った。

私は毎年末、その年の出会いとか別れについて書くのだが
前年はそれをしていなかった。
別れの件が悲しくて、まだまだ書ける心境じゃないな、と。
出会いについては、決して悲しいものじゃないので、まず
それを書いておこう。
今朝書いた、一緒に映画に行った同僚の1人である。
彼女は派遣でやってきて、仕事がテキパキとしていて非常に助かっている。
何よりも、明るい。
明るく、早とちりをする。
それが最初の印象だった。
私は例の如く、何月何日生まれ?と聞く。
すると、
4月10日だと言う。
偶然にも私と1日違いだ。
しかも、彼女のフルネームを聞いたときに、「あ、教え子と同じ名前だ。」と思っていた。
その教え子も4月10日で、同僚の誕生日を知って、
思わず、「えー!教え子と同じ名前、同じ誕生日だ!」と興奮してしまった。
まるで嘘のような話である。この偶然。
更に出身を聴いてみると、県北の小さな町である。
父も県北出身で、そこと近く。そこには父の姉〈故人)一家が住んでいる。
その名前を言ってみると、「あ、うち、そこの大家(借地?)。T子さん(父の姉)とは
よく話したのよ。」とピンポイントで繋がりがあった。
県北と言ったって、広いのに、なぜこんな狭い職場で偶然が重なるのかと
嘘のような話に盛り上がってしまった。
しかも明るい(強調)。
私と姑のやりとりを、もう一人の同僚と一緒に、深刻に受け止めず
ゲラゲラと笑ってくれる。おかげで気持ちが救われる。
どんなに忙しくても、私の笑い話をよーく笑ってくれて、気持ちが解放されるのである。
トモロッシさんとお姑さん、まるでコントだ、と言ってくれるのが嬉しい。
介護がつらい、なんてあまり思ってもいないなあ、私。
もう一人の同僚も先に介護を経験しているが、彼女は介護している間は無表情、能面のような顔だった、と言う。
私はそんな表情をしてはいないなあ。
それについてはまた後程。
というわけで、新たに加わった4月10日生まれの同僚の存在が大きかったことを書きたかった。
4月の誕生日会は、何を食べよう、と今から計画を練っている。
ではまた明日。

(2/27)スーパームーンと映画「マスカレードホテル」と

2019年02月27日 04時43分07秒 | 日常、仕事、認知症
一週間前の20日、職場の2人と一緒に映画を観に行った日だ。
家を仕事のために早朝5時前後に出て、路地を西に曲がって公道に出たとたん、
正面の空に大きな月が浮かんでいた。
その日がスーパームーンの日だって知らなかったから、
突如現れた大きな月に、「デカッ」とびっくりしたものだ。
月の表面のしみ模様もくっきり見えた。
もう明け方に近い時間なので、真っ暗な空というよりも少し明るい空模様。
そこに全身黄色の月。
ちょっと祈った。「良いものを見せてくれたので、今日は明るい一日でありますように。」と。
偶然なのだ。
スーパームーンの日だったなんて知らなかったから。
仕事がなければ、その時刻に外に出なかったはずだ。
意識して観てみようと思ったわけでもなかったから。

3人で映画を観るのは、夏の「コードブルー」以来だ。
キムタクの「マスカレードホテル」を、漸く3人の時間が取れて観に行けた。
3人とも映画通でもないし、キムタクのファンというわけでもない。
一応、今回も消極的に、「マスカレードホテルって知っている?」ということから聞いた。
そして、2人とも「行く、行く」となり、この時期にして実現したんだ。
観終わったとたん、「明石家さんまってどこで出ていた?」となった。
1人は、その「友情出演 明石家さんま」のテロップさえ知らずに、「なに、それ」と言った。
私の行きつけの喫茶店に行き、
いつものゲラゲラと笑い話であれこれと盛り上がって解散する。
今度は、夏に「おっさんずラブ」を観に行こうとなった。
映画でゲラゲラと笑いたい。
その前に「跳んで埼玉」もありか。
そんな小さな楽しみを共有できて有りがたい。
明け方のスーパームーンに感謝した。
帰ってきて、月のことが気になったり、明石家さんまの場面が気になったりと
ネットで検索する。
そこで初めて、今日はスーパームーンだったと知る。
一年で一番大きな月を偶然に観られたことに大いに感謝する。

ブログにすぐに書くべきが、今日になった。
2月中に書いておかねば、と思ったので、出勤前のこの時刻、書いた。

(1/4)あけましておめでとうございます。今年もよろしく。

2019年01月04日 08時39分30秒 | 日常、仕事、認知症
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。


元旦は休みであったけれど、自分にとって実家帰りは仕事以上に心に負担がかかるので
休みの部類に入らない。
しかし、想像していたよりも和やかに過ごせた。
父との確執を知っている、父の知人(故人)の奥さん、その子供2人も参加してくれて
こちらは、夫、義母の参加。にぎやかだった。
この父の知人というのは、父や母、私が北海道から仙台に来るきっかけを作った人だった。
父が北海道時代にサラリーマンをして家庭を持ったが、「仙台でいっしょに商売をしないか」と
誘った人だった。もともと父やその知人はこちらの県北の出身。10代のころからの友人である。
北海道から宮城へ、ということに思春期だった私は物凄く抵抗した。
それまで道内で父の転勤ごとに2,3年で学校、土地が替わっていたが、思春期のそれはこれまでと
違ったものだった。なぜ、今なんだ、という思いがあり、父に内緒で、2,3通、その誘いを辞めるように
手紙を知人宛に出した。それをそっくりそのまま父宛に返されてきた。
無駄な抵抗だ、と言わんばかりに。
そして仙台に来て、その一家と一つ屋根の下で暮らし、数年でお互いに独立した。
その子供たちはまだまだ幼稚園、小学生で、それが今では成人した子供もいる中年である。
私はその知人とはよく、互いに折れない議論をした。所詮、親の庇護下にある人間の話なんて、というのが彼の態度だった。
私と夫の結婚の話が出た時に、その知人が勝手になのか、あるいは父の命令なのかわからないが
突然、夫の不在中に、夫の家に来て、結婚を辞めるように、反対している、とか伝えたことが有り、
それを自分の親から聞いた夫が激怒した。自分の親を巻き込むことに腹を立てた。
一人っ子同士の結婚、育ての親を捨てて出ていく私のことなど、彼のことだから力説したのかもしれない。
だから、私にとっても夫にとってもあまりいい印象じゃない。
その後は、何度か会ったりしたが、私達の生活に影響を与えない存在だった。

最近、父の高齢のために、免許返納をして、車をどうするかとなったときに、
その知人の子供に譲ることになった。それを、その子たちが一応私に打診に来たのだが、
私は、「うちの車も古いけれど、もらうことによって、父は見返りを求める人だから。私達の都合をよそに、自分の
都合で、車を出してくれ、というような人だから。」私は父のその行動を見抜いているから、どうぞ、もらってください、と
彼らに伝えた。
案の定、元旦ではやはりその話になっていた。
しかし、彼らは車をもらえることのメリットのほうが大きいのか、
「どうぞ、いつでも声を掛けて下さい。すぐに来ますから。」と言っていた。
使われるぞぉ。
そういう例を幾つも見てきたからね。私は夫を巻き込みたくない。

それぞれ持ち寄った料理を食べ、それぞれに話をし、ゲラゲラ笑って、
父もにぎやかな元旦を過ごせたろう。
深刻な話、空気にならず、彼らが来たことに感謝する。
そんな元旦だった。
なお、認知症の義母は、一昨年、私の母が亡くなったことを覚えていない。
「お母さん、どこか悪いの?」
「何、言っているの?一昨年、亡くなって、あなたは葬式にも参列し、昨年は一周忌にも行ったでしょ。」と
何十回も言ってきたが、数分後には忘れる。
その義母、昨日で89歳になった。
食欲旺盛である。餅を食べるときも注意して見ているが、今のところ、気を付けて食べている。
ガリガリに痩せているが、食べることには執着している。
さて、これから職場に行って、同僚から田舎の餅をもらうことになっている。
ではまた。


      

(12/31)今年もあまり良いことなかったなあ。

2018年12月31日 21時33分14秒 | 日常、仕事、認知症
2018年、あと2時間。明日は年末年始の1日だけの休み。
しかも、実家に行かねばならないので、休養とは言えない日。
今日も仕事でした。午後は家事。
9時前にはいつも寝ている自分はまだ起きています。
昨日は早くに眠ったので、起きたのが夜中1時半です。それ以降、起きっぱなし。

今年は大事な大事なものを2つ失いました。
想定外でした。
それで、頭の中で整理しきれなくて、「なぜに・・」とその気持ちを抱えたまま
年を越そうとしています。

実家に行くことも結構、ストレスなのです。
父とは夏に会って以来、実家に帰っていません。
そして2日から仕事。4時出勤。
冬の暗い道路はツルツルで自転車が怖い。

ブログを書かずにすみません。
自分の空しさの答が見つけられないままずっとこの状態です。
年に勝てない、心身ともに。
ずっといつまでも若くいたい。

紅白、観ながら書いているんですけどね、チコちゃん、可愛い。
では、またゆっくり書こうと思います。
今年も不甲斐ない自分、ブログでごめんなさい。

(9/25)街の中で具合が悪くなったら・・・

2018年09月25日 08時36分43秒 | 日常、仕事、認知症
昨日、仕事の帰りに自転車で赤信号を待っていると
大通りの対面の路上の真ん中で人が蹲っているのが見えた。
具合が悪いのか、その他の理由があるのか、人通りの多い中でその姿は
尋常に見えなかった。
通り過ぎる人も皆気にしつつも声をかけるには憚っていた。
私も通り過ぎようか、それとも声を掛けようか、と躊躇した。
信号が青になり、その人の近くに行くと、どうしても声を掛けずにはいられなかった。
両膝を抱えるようにして路の真ん中に座っている姿。
転んで膝を強打したか、それとも具合が悪いのか。
声を掛けるには勇気がいったが、やっぱり声を掛けてしまった。
「転んだんですか?具合が悪いのですか?」
その人は答えなかった。
すると、若い青年も気にかけてか、背中をさするように声を掛けてくれた。
そして次々と、その異様な姿を気にしていた人たちが立ち止まって「救急車呼ぼうか」など、
スマホなど取り出していた。
その男性は苦しそうな表情をしながらも、「大丈夫です。」と言った。
道路の真ん中なので、建物の傍に移動させた。
「そうだ、飲み物ある!」と私は買い物の栄養ドリンクを差し出した。幸い常温ではない冷たいものだ。
男性は自分でキャップを開けて、そのドリンクを飲み始めた。「大丈夫です。」とまたつぶやいた。
「皆、心配しているから、助けを求めてね。」と言った。
おそらく貧血か何かだろうと思った。若い男性が傍についていてくれた。

私は3度ほど、街の中で具合が悪くなって、あのようにぐったりしたことがあった。

1度目はもう30年ほど前の東京出張の時。
胃腸の不調で、食事も摂れず、それでも研修をこなさなければならず、我慢して過ごしたが
貧血症状になり、長い地下鉄の階段を上り、地上に出たとき、サーッと血の気が引くような感覚。
とにかくベンチなどに横たわらなくてはこのまま倒れる、と思い、ようやくベンチを見つけて
ぐったりと横になっていた。小雨が降っていたが、雨具などなかった。
こんな姿は恥ずかしい、とは思ったが、仕方なかった。
おそらく人々には、酔っ払いの女とでも見えたであろう、昼間から。
そしてようやく這いつくばるようにしてホテルに辿り着いた。
散々な出張だった。

その後数年して、地元でやはり夏。
街の中で用事を済ませて自転車に乗り帰宅しようとしたら、具合が悪くなってきた。
自転車なのでこのまま倒れたら危険と思い、自転車を降りて、とある会社の前の階段で休んでいた。
女性が「あら、顔、真っ青!」と声を掛けてくれた。
そしてちょうどそこの会社の警備の人が「ここに座らないでくれ。」と注意してきた。
女性が「具合が悪そうなのよ!」と言ってくれた。
別の通りすがりの男の方が自販機でオレンジジュースを買って私に手渡した。
お礼を言うのが精いっぱい。気持ちの余裕があれば、お名前を、とかお金をとか言いたかったが
「ありがとうございます。」を言うのが精いっぱい。
その飲み物は非常に有りがたかった。生き返った気持ちだった。
それを飲んでしばらくそこで休んで警備の人に黙礼して家路を急いだ。

そして今年の初夏になりつつある日。
急に暑さを感じた日だった。
用事のために街に出る。
途中、心臓がバクバクし始めて、あ、これは具合が悪くなる兆候だ、と何度も経験しているからわかった。
日陰がない。信号待ちするときも日陰を求めたがなかなかなかった。
重要な用事を済ませて、とにかく涼しいところへ、と、とあるハンバーガ屋へ。
水を飲みたい、座りたい、と注文もそこそこに、テーブルにグタッと伸びる。
このバクバクしたものを抑えてから家に帰るしかない。
このグタッとした姿は、店員や客から見たら、奇異にしか見えないだろう。

小さい時からこんな私だ。そう、よく、小学校で、集会の時に具合が悪くなって我慢してバタッと倒れる子。
職場でも、倒れるのが予測できるから頭を打たないように、段ボールを敷いて倒れこむようにしている。
何度も何度も、これまでそんな経験をしてきた。
学生の時のアルバイト先では大失敗した。
空腹状態で、空気の悪い地下の厨房で倒れる。倒れたら、苦しくて苦しくてのたうち回った。
その姿に驚いて、バイト先の車で病院に運ばれた。母がのちにお詫びに行き、バイト禁止令が出た。

そんなわけで、無理をしないようにしている。
具合が悪くなったら、その場でなるべく水分を摂って休むようにしている。
なかなかそういうわけにいかないけれど、水分は絶対必要だ。
あと空腹もいけない。

どうしても、日常の街なかでのそんな姿は、異様だ、おかしい、と思うかもしれないが
取り敢えずは、勇気をもって声をかけたい。
そして水分を補給させたい。ひどい状況であれば、救急車を呼ぶようにしたい。
あの男性はその後落ち着いただろうか。
連休なので、旅人だったのか、あるいは地元の人だったのか。
もっと聞きたかったけれど、声を出すのも一苦労だったであろう。
しかし、人々は、やっぱり気にかかるのだ。
勇気を持って、声を掛けてほしいし、本人も助けを求めてほしい。

(8/8)仙台七夕3日目。雨。

2018年08月08日 21時32分47秒 | 日常、仕事、認知症
今日で3日間の仙台七夕が終わった。
3日目も雨。気温は少し昨日より上がったと思う。
うちの会社でもかき氷を販売したが(私も2日間食べた)、例年よりお客が少なかったようです。
昨日アップし忘れた大作の七夕飾り。
これは毎年楽しみにしていて、特に、震災後、県内の各小学校の生徒がたくさん参加し、願い事も添えて
皆で作り上げた、というのが実感できるのです。



ここは本当に大勢カメラを持った人たちで渋滞します。







ほんの一部ですが今年の仙台七夕でした。




今日は父と久しぶりに連絡を取り合った。
父は先日87歳になった。当日のお祝いの言葉もなく「暑中見舞い」のハガキの中で触れただけだ。
母の墓参りについて問い合わせ。
一緒に行く、とメールが来たが、急遽変更になり、お坊さんが来訪してくださるとのこと。
会話はスムーズに流れた。ホッとした。

何日か前に、夢を見たんだ。
母も父も笑顔だった。
夢の中に出てくるこちらの家の中。架空だけれど、前にも出てきた家だ。
普段、居住している部屋の他に、奥のとっておきの部屋があるんだ。
廊下もあって、玄関も別にあって、使っていない部屋が続き、ああ、ここも自由に使えるじゃないか、
ならば、父が住んでもいいかもしれない、と夢の中で思っている私だ。

そんな夢を見たから少し嬉しかった。自分の心の中に残る良心というもの。
でも、それもすぐに否定されるかもしれない。
老いたものを労わる、の前に引っかかる何か。


明日はコードブルーを観てくる。
台風ではあるが、職場の人たちと行く。
私の耳、大丈夫かね。
今、ドラマは全部字幕で観ている私です。
字幕の日もあるので、その時にも行きましょう。

(8/7)コードブルーを明後日観に行く(LVも目的)/仙台七夕

2018年08月07日 21時43分51秒 | 日常、仕事、認知症
仙台七夕期間は割と強い雨。そして急な低温。
本来なら暑くてかき氷や飲み物などたくさん売れるはずなのに
どこもヒマそうな店頭。
全国から旅行者が集まってきているのに、閑古鳥が鳴いている。
2、3日前まではあんなに暑かったのに、七夕になってから急に寒くなった。
寒がりの義母は、冬用の半コートを着て家にいる。
どんなに取り上げても次から次へと冬用のものを出して着ている。

今日は休日だったが、雨の中、街へ。
コードブルーの前売り券を買いに。
9日のLV(ライブビューイング)を仙台でも生中継をするので
それに合わせた時間の分。

コードブルーについては職場では話題にならないと思っていたので
1人で観に行く予定にしていた。
一応、映画に興味があるか、コードブルーなんて知っている?と話を振ってみて
「一緒に行きたい」となり、3人で観に行くことになった。
アルバイトの身なので、職場外でプライベートな会合なんて皆無だったのだが
今一緒に仕事をしている人たちとは結構スムーズに仕事が進むし、話もしやすいので
そんなことを軽く誘ってみたら、食いついてくれた。
というわけで、中年のおばさん3人が映画に行くことになった。
待っていてね、山P。
チケット購入の後に職場に寄ってお話し。

そして七夕見学や買い物をして帰宅。
夕方には
隣の奥さんから先日手製のコンビーフコロッケやフルーツを義母に頂いたので御礼のお菓子を持って
義母と訪ねる。
義母、何カ月ぶりかに外に出た。
認知症とはいえ、きちんと話が通り、安心していた奥さん。

七夕の写真を。




肝心の、老舗デパートの大きな飾りをアップロードしていなかった。
明日にアップします。