読書
処暑は通過したが、身の処し方に窮するばかりの熱波が日の出とともに充填されたような、そんな8月下旬に向かう水曜日のこの日、僕は外商いの車を運転しながら、他のどの場所よりも色濃い木陰を捜し、運よく見つけたその黒い影の塊の真ん中に車を停めて本を読んだ。
広い荷室に今日の配達分の品物(おお、たった4枚のワイシャツ)を積んで(と言うよりは置いて・・)、荷室と同じように心身の虚しさを持て余しながら、今日も多分余剰時間は必然的に生まれ、僕は倦怠感でその貴重さをきっと無駄にしてしまうのだろうと予測して(要領を得た企業戦士のように)助手席に同乗させてきた本を(この耐えきれない方向に気を向かわせている連日の真夏日の日差しに対処する方法として)読む。
それから緑陰で30分かけて(その間に、通って来た峠からこれから訪問する在所の方角へと3台の車が走った)、”色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年”という恐ろしく長い題名の付けられた「村上春樹」の小説を、14から15の章まで(247頁から262頁まで)読んで栞代わりの紐を挟んだ。
15の数字が目に入る頁に来て初めて姦しいセミの鳴き声に気づいた。物語は佳境に入り主人公はフィンランドに居る。面白くてワクワクと筋を追って一気呵成の所だが、逸る気持ちをなだめてそこから10分ばかりで到着するだろう在所での外交活動に復帰したのだ。
最近の僕は“ハルキスト”に為っていると言っても過言ではない。最新の長編こそ(発売日に並んで買う程の気概も忍耐力も、そんな風に展開できる規模の書店も近くにはないが)持ち合わせていないのだが(きっとその内に、それもそんなに長い間を置かず出版社はあらゆる方法で儲けにかかるだろうと断定して)、その様な展開になって手にした長編”1Q84"(確か文庫本6冊ぐらいに分割されていただろうか)の読破を皮切りに、僕は今彼の著作物を遡ってゆくという旅を継続中だ。

案の定外交は薄ら寒い結果になった。詳細を言えば、4枚のシャツの代わりに新たに3枚のシャツを預かっただけの展開に。閑古鳥の姦しい鳴き声を空しく聞きながら軽四貨物車を運転して、通常のルート上の取引のある6軒の家を(詳しく言えば、その内の4軒は留守で、言葉をやり取りしたのはたった2軒に過ぎなかったが)訪問した。
そこで僕は再び思考を巡らせる。此のまま直行で帰り着いても昼には少し早めだし、さりとてボイラーを炊いてアイロン作業をするには短すぎる時間だと。帯にも襷にもならない時間の有効活用は?と思索する。そうだ!!帰り道の途中にあるダムサイトの駐車場の日陰に車を止めて”多崎つくる”の旅の続きを読もうと心を定める。
さてさて、263頁の区切りの№15から次の段落の16までを読破しよう。きっとその間の(279頁までの16頁が)出来事がこの物語のクライマックスになるかも知れぬとドキドキしながら、起承転結の転と結の間の劇的さを、序破急の目も眩むような急の興奮を期待して所定の位置にスタンバイする。
最終ページの数字は370。あと100頁余りに迫った終焉への筋書きの期待と興奮の豊饒の時の間に間を体験する幸せ感に包まれながら、さあ、涼し気な北欧の国の静かな雑踏の唯中へ天翔けよう!!
08/24 07:26 まんぼ
午前6時の夜明け前の東の空
美しい色彩の。いい日でありますように。皆さんにも、もちろんボクにも