みやしたの気まぐれblog

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西から東へ戻る旅行 その12「有田川町鉄道交流館」

2011-08-14 14:17:19 | 撮り鉄
シリーズ12回目、8/2の火曜日の続きです。

和歌山から藤並へやってきた後、藤並駅ホームでの撮影を済まし、有田鉄道バスへ乗り換えます。
前回も書いたとおり、有田鉄道線は2002年12月31日に廃止されたローカル私鉄で、2001年11月1日から廃止までの約1年の間は、1日2往復しか列車が走らないという、日本一運行本数の少ない私鉄でした。ただ、実は廃止以前からバス路線を並行して運行しており、現在の有田鉄道はバス事業のみを行っています。鉄道路線が日本一運行本数が少なかった頃から、列車の代わりにバスが運行されていて、バスの定期券で列車にも乗れるという状態だったのだそうです。今回は、その有田鉄道バスで金屋口駅跡へ向かいました。


金屋口で撮影した有田鉄道のマイクロバス。路線バスは道路事情が良くないことや、乗客も少ないことから、このようなマイクロバスが主体のようだ

金屋口にある有田鉄道本社

旧金屋口駅。現在は有田川町の有田川町鉄道公園の一部になっている

ホームには車掌車と貨車の各1両が留置されている

改札口の後も残っている。なお、公園の入り口はこちらの駅とは反対側になるので、公園に入るには少し歩く

駅舎跡内にあった路線図

金屋口駅から少し戻って、鉄道公園の入り口側へ移動します。
鉄道公園の入り口には藤並駅から移動されたD51形蒸気機関車が有り、看板も出ているので、見ればすぐに分かるようになっています。

鉄道公園入り口に静態保存されているD51形

車番を見るとD51 1085。1115両製造されたD51の中でも再末期の製造車輌だ。ちなみに日本車輌製

有田川町鉄道公園の建物

公園内には線路が敷かれており、動態保存車2両による定期運転がある

建物の前にあったヘッドマーク

こちらもヘッドマーク。廃止前に使用された物だろうか?

ミニSLのような物があるが、電気で起動する。2台の発電用自転車が有り、人力発電で動く?ように見えた

DB107とト1形木造貨車、ワ11形木造貨車。ワ11形は蒲原鉄道(かつて新潟にあった私鉄)のマークが残っていた

キハ605。元紀州鉄道だが、紀州鉄道では一度も使用されなかったという車輌。紀州鉄道に来る前は岡山臨港鉄道、さらに前は常磐炭礦で使われていたのだそうで、紀州鉄道導入時に振動が酷くて使わなかったのだそうだ

動態保存車ハイモ180-101とキハ58003。これらは有田鉄道再末期に残っていた2両で、ハイモ180-101は樽見鉄道、キハ5800は富士急行からの移籍車両である

建物の中はNゲージのレイアウトがある。また、鉄道に関するものがいくらか保存されている

これもNゲージ

かつての有田鉄道を再現しているようだ

これは金屋口駅のようだ

富士急行で導入されたキハ58003は製造時から両運転台型キハ58形(キハ53形ではない)であり、国鉄キハ58形のコピー車両。中央本線の非電化時代に製造された。有田鉄道移籍時に、エンジンを片方取り外しており、実質的にはキハ28形相当であったらしい

この他にも懐かしい車両のNゲージも模型が

中央のレイアウトは最近の車両も多く、子供が運転できる(有料)ようにもなっている

Nゲージとしてはそこそこのサイズのレイアウト

こちらにもキハ58系がありました

映画「ALLWAYS 三丁目の夕日'64」の撮影を動態保存車キハ58003で行ったため、出演者のサインが飾られている

飾られている鉄道関連品

建物を出て、川の堤防沿いの道へ昇ると少し上の角度から保存車両を撮影できる

動態保存車2両は、使用時以外は車庫に入っている

旧金屋口駅ホームの駅名標は、動態保存車運行時用に作り直されている

旧金屋口駅と車掌車ヨ6114

元国鉄車掌車のヨ6114

元蒲原鉄道の木造貨車ワム1形

一通り撮影と見学が終了して金屋口に戻ると、ちょうど藤並行きのバスがやってきたため、バスに乗車して藤並駅へ戻りました。

藤並駅で撮影した有田鉄道バス

次回は、大阪へ戻って、近鉄を利用して東へ向かいます。
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2 コメント

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国鉄の面影が (風旅記)
2011-09-05 01:00:30
私鉄の中にも残っていますね。
富士急行から移ってきたとのことですが、両運転台のキハ58形を見ていると、気動車が全国の地方路線の隅々まで行き来していた時代を思い起こさせます。
今後とも、宜しくお願い致します。
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Re: 国鉄の面影が (みやした)
2011-09-05 07:46:22
国鉄と私鉄の乗り入れが盛んであった頃は、私鉄で国鉄規格の車両を作ることも少なくなかったようです。
富士急行のキハ58形以外では、島原鉄道のキハ20形とキハ26形・キハ55形、南海電鉄のキハ5501・5551形、定山渓鐡道キハ7000形等々。

現在でも電車ではありますが、相鉄10000系や11000系のようにJR東日本乗り入れのために製造された車両もありますね。
返信する

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