みやしたの気まぐれblog

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JR初期世代の新形式車両たち JR東日本編

2021-08-06 00:01:19 | 鉄道その他
1987年4月1日の国鉄分割民営化によるJR各社誕生から今年で34年が過ぎました。JR化直後に登場した車両でも一般的な鉄道車両の寿命(30〜45年)に近くなります。
実際の所は、車両の作りや運用により寿命は大きく異なるので、随分前に全廃されたJR時代の車両もいれば、未だ国鉄時代の車両も残っているのは、先日までの「今も残る現役国鉄形」シリーズで紹介したとおりです。

JR化後の最初の10年間(1987年4月〜1997年3月)で登場した新形式車両を初期世代として、現状を交えてシリーズで紹介していきます。JR化後しばらくは、205系や211系のように国鉄時代の車両をそのまま製造したものも多いため、JR化後の新形式のみを掲載します。
撮影できないままに廃車された車両もありますので、そちらは写真無しで文章だけ。また、事業用車や試験車両については、ほとんど写真が無いので省略させて頂きます。

今回はJR東日本の車両です。
JR東日本といえば、現在は新造される車両に原則として形式番号にEを付けていますが、このEを最初につけたのは1993年に登場したE351系でした。なので、今回紹介する車両は、Eが付く前の車両と、付き初めの頃の車両となります。すでに400系やE1系のように既に全廃された車両もありますが、今回のシリーズでは廃車された車両も紹介します。逆に国鉄車の延長で作られた車両(205系500番台、211系3000番台、415系1500番台など)や、国鉄車の改造車は掲載しません。
もっと少ないかと思っていたんですが、予想以上に多くて写真探しに時間がかかってしまいました。


107系
製造1988年〜1991年。国鉄時代から引き継いだ165系で運転していた日光線や両毛線の輸送力を改善するために登場した3扉ロングシートの直流近郊形電車です。足回りは165系を流用していて、車体の部品を東急車輌製造から購入し、ノックダウン方式でJR東日本の各工場で製造されました。JR東日本にとって、最初の自社製造車両であり、209系やE217系への礎になった車両でもあります。0番台は日光線向け、100番台は両毛線、上越線、吾妻線、信越本線向けとなっています。100番台は両毛線から東北本線への乗り入れ運用もありました。0番台は2013年に205系600番台へ置き換えられて全廃。100番台は2017年に同世代の211系3000番台に置き換えられてJR東日本から消滅しましたが、一部が上信電鉄へ譲渡されて、上信電鉄700形として活躍中です。


日光線用107系0番台の初期塗装。2008年以前は貫通扉のところのシールもありませんでした


日光線用107系0番台のレトロ調塗装。2009年から順次この塗装へ塗り替えられ、廃車までこの塗装で活躍しました


上越線運用の107系100番台。撮影当時は115系も走っていたので、ロングシート2連の107系100番台が来ると、ちょっとがっかりしたものでした



上信電鉄700形。107系100番台19編成のうち後期製造の6編成が譲渡され、うち5編成が転用改造されて運行しています。残る1編成はおそらく部品取り用でしょう


209系
製造1992年〜2004年。205系の導入後、103系を置き換えていくために、『重量半分・価格半分・寿命半分』を達成目標に投入された新性能電車。205系よりもさらに軽量化したステンレス車体に、VVVFインバータ制御による交流モーターで電動車を減らし、東急車輛と川崎重工での工法の違いも容認することで、コストダウンを図った車両です。最初は901系として試験編成の3編成が登場し、後に量産化改造されて209系900番台になりました。209系は使い捨て電車と勘違いされて、当時主流だった富士フイルムのレンズ付きフイルム「写ルンです」をなぞって「走るんです」などと揶揄されましたが、そもそも「写ルンです」は使い捨てカメラでは無く部品再利用率の高い「リサイクル製品」なので、京浜東北線撤収後に千葉地域で転用改造された209系が現在でも走っていることからすると、意図は違えど的は得ていた感じですね。なお、500番台は1998年、1000番台は1999年に登場していますのでJR化後10年以上経過していますが、同一系列ということで掲載します。ただし、3100番台は元々東京臨海高速鉄道の車両なので、対象外です。



京浜東北線・根岸線で走った209系0番台。901系では側面の上側帯が濃紺でしたが、209系となった際に水色に合わせられました。東京総合車両センターの入り口に飾られている901系も、水色のままになっています。E233系1000番台に前車置き換えらえれて、780両のうち半分ほどの330両が2000、2100、2200番台へと改造されています


南武線の209系。103系の一部置き換えに6両編成2本だけ投入されました。その後、1本を209系2200番台1本で置き換えられ、E233系8000番台の投入で0番台、2200番台とも消滅しています。ただし、2200番台1本は再改造されて「B.B.BASE」になりました






209系500番台。1998年に103系の老朽化に伴い、E231系の量産開始までのつなぎとして170両が製造されました。車体はE231系ですが、性能は209系です。同時に209系950番台が登場しましたが、こちらは後にE231系950番台となっています。中央・総武緩行線用として登場しましたが、一部の編成は京浜東北・根岸線へ転用され、また戻ってきたり、京葉線へ転用され、武蔵野線へ転用され、川越線・八高線用3500番台に改造されたりと、かなり流浪の車両でもあります



209系1000番台。1999年に常磐緩行線と千代田線の増発に伴い2編成だけ登場した車両です。電動機は209系ではなくE231系と同じ物になっています。E233系2000番台の登場で203系と一緒に置きかえとなり、2018年に常磐緩行線から撤退しましたが、中央線E233系のトイレ取り付け改造工事に伴う車両不足で中央線快速へ転属。E233系の工事が済んだら廃車になると思われます



209系2000・2100番台。京浜東北線0番台からの改造車で、6両編成と4両編成があります。初期型の空気式ドアエンジン車が2000番台、後期形の電気式ドアエンジン車が2100番台になっています。VVVFインバータ制御器は更新され、GTO素子のものからIGBT素子の物へ交換されています。なお、大半は東急車輌、JR東日本の自社製車両が転用されており、川崎重工製は先頭車の一部のみです。ロングシートだけだった0番台から、一部の車両はセミクロスシートへ改造され、トイレも取り付けました。E131系の投入に伴う運用減で一部の車両が伊豆急行へ譲渡されています。


209系2200番台「BOSO BICYCLE BASE」。通称「B.B.BASE」です。南武線で使用されていた0番台改造の2200番台をロードバイク搭載の貸し切り列車用に改造。主に千葉県内と両国駅を結んでいます。ただ、用途が限定過ぎてあまり利用客が居ないようで、私が3度見たときはいずれもわずかな乗客しかいませんでした。


209系3000番台。川越線・八高線用に製造された209系です。すでに209系3500番台とE231系3500番台へ置き換えられて全廃されています


209系3500番台。209系500番台を川越・八高線用に改造した車両です。4両編成化、ドアボタン取り付けなどが行われています


209系「MUE-Train」。0番台のウラ2編成を試験車両に改造したもので、新車両開発への無線LAN試験や台車試験、E235系で採用された車内制御システム「INTEROS」の試験などに用いられています


215系
製造1992年〜1993年。東海道本線での朝夕の着席通勤需要に応えるべく、全車2階建構造で登場した近郊型電車です。2扉で車内はクロスシートになっていますが、走行性能的には211系をベースにしています。10両編成4本が製造され、「湘南ライナー」「おはようライナー新宿」などで運用されたほか、導入当初は昼間に快速「アクティー」での運用もありました。しかし、2扉構造が災いして昇降に時間がかかることから、次第に「ライナー」以外の運用は「ホリデー快速ビューやまなし」くらいになりました。2021年3月のダイヤ改正で朝夕の東海道本線ライナーが特急化されることに伴い、全車運用離脱。すでに廃車回送も始まっているようです。


湘南新宿ラインの初期の運用で、新宿発着の普通列車運用があった215系。そういや、湘南ライナーとしての215系は私ぜんぜん撮ってません。会社の出勤前に、渋谷駅付近を走っているのを、しょっちゅうガード下から見上げていたんですけどね


ホリデー快速「ビューやまなし」の215系。新宿〜小渕沢での運用が基本だったが、茅野延長運転や、千葉延長運転をしていたこともありました。田切駅の帰りは、この列車のダイヤに合わせて移動することが多かったですね


251系
製造1990年〜1992年。国鉄時代の末期に製造された185系は、新快速列車レベルの内装(座席が転換クロスシート)に近かったため、観光地である伊豆への特急としては物足りないものがありました。そこで、高級感を打ち出して全車指定席というJR東日本の特急列車では最初のリゾート特急となりました。先頭車は前面展望に2階建構造、中間車もハイデッカー構造で大きな窓となっています。10両編成4本が製造され、2002年には内外装をリニューアル。その後も活躍しましたが、意外にも国鉄車の185系より1年早い2020年で運行終了となり、全廃されてしまいました。


登場時の251系。当初は水色と薄いグレーの塗装でした


リニューアル後の251系。リニューアル前と色のパターンが上下反転した感じで、下側がグリーン系の塗装になっています


253系
製造1990年〜2002年。成田線の成田空港、空港第2ビル駅開業に伴い、成田空港輸送特急「成田エクスプレス」用として登場した車両です。12年間で増備を繰り返し、合計111両製造されました。特急車ですが、集団見合い式のクロスシートでリクライニングがグリーン車にしかなく、後年登場した車両はリクライニングシートを装備しましたが、この座席が災いしたのか、2010年には「成田エクスプレス」をE259系に譲って大半が廃車に。ただし2002年に製造された6両編成2本は、253系1000番台に改造されて東武直通特急運用になっています。また、3両編成2本が長野電鉄へ譲渡され特急「スノーモンキー」として走っています。



特急「成田エクスプレス」時代の253系。この当時は、京成成田スカイアクセス線の開業前なので、新宿、渋谷、横浜で客を拾って、京成本線経由のスカイライナーと時間も大差ない成田エクスプレスは、営業上有利な立場にありました


2011年に東武直通特急「日光」「きぬがわ」運用になった253系1000番台。もともとリクライニングシートで製造された5次車を転用しています。転用に際して、前面扉部分への愛称表示用LED設置や、制御装置の交換、内装のリニューアルも行われています。



長野電鉄2100系となった253系。3両編成のうち1両がリクライニングシートと個室、残り2両が集団見合い式クロスシートです。1編成は成田エクスプレス時代の塗装のままですが、もう1編成は側面を白に塗って地獄谷野猿公苑の猿の写真を貼ったオリジナル塗装になっています


255系
製造1993年〜1994年。房総地域の183系特急電車の一部を置き換え、房総地域への観光需要を喚起するべく、京葉線東京駅発着の内房線特急「ビューさざなみ」、外房線特急「ビューわかしお」として投入されました。一時期は臨時特急「ビューかいじ」として、千葉発着の中央本線特急として走ったこともあります。2005年12月のダイヤ改正以降は、「しおさい」での運用が中心となり、「わかしお」の一部では走っていますが、「さざなみ」は列車自体の運行がほぼ無くなったので、臨時「新宿さざなみ」での運用がある程度です。



「しおさい」「わかしお」運用の255系。JR東日本のEがつかない最後の特急車両です


400系
製造1990年〜1995年。奥羽本線山形までの高速化のため、これまで485系で運行していた特急「つばさ」を置き換え、初の新在直通用新幹線車両として登場したのが400系です。新幹線初のボルスタレス台車の採用はありましたが、制御系はサイリスタ位相制御のままで、新幹線最後の直流モーター使用車となっています。ちなみに運行開始前の上越新幹線での走行試験で、当時の営業用車両として最速の345km/hを達成しています。導入当初は新在直通新幹線の成功は未知数だったので、車両はJR東日本ではなく、第三セクターの山形ジェイアール直行特急保有株式会社が保有していました。6両編成で落成した400系は好評により7両編成へ増結し、新在直通の利便性を確立しました。2010年にE3系2000番台に置き換えられて全廃。鉄道博物館に1両が保存されています。


鉄道博物館に保存されている411-3。外装は登場時の塗装になっています



新庄延伸に伴うリニューアル後の400系。グレー系の塗装から、シルバーに緑色を加えた塗装へ変更されています


651系
製造1988年〜1992年。常磐線の485系の一部置き換えと高速化のために登場したJR東日本としては最初の特急車両です。在来線特急としては初めて130km/h運転へ対応し、車内も485系時代に比べて座席間隔が広がってゆったりしました。制御系は211系等と同じ界磁添加励磁制御で、交直流車両としては珍しい存在です。E657系の投入により2014年以降常磐線からは順次撤退。7両編成の基本編成は主に1000番台として直流化され、185系を置き換える為に「スワローあかぎ」「草津」への転用されました。4両の付属編成は、波動輸送用や「伊豆クレイル」への改造もありましたが、「伊豆クレイル」の運行終了により全廃されています。



特急「スーパーひたち」「フレッシュひたち」時代の651系。基本は「スーパーひたち」ですが、間合いで「フレッシュひたち」運用もありました



651系1000番台「草津」「スワローあかぎ」。交流機器を使用停止したくらいで、あまり大規模な改造は行われていません


651系1000番台「伊豆クレイル」。2016年に運行開始した観光用快速列車で、小田原〜伊豆急下田という微妙な区間での運用でした。このため、あまり人気がなかったのか、2020年に後継車両もなく運行終了。廃車されています。1回だけ乗りましたが、その時はまずまず乗車していました


701系
製造1993年〜2002年。東北地方に残っていた50系客車や、715系、455系による普通列車を廃止し、輸送量に合わせた編成を可能とするために、2〜4両編成で製造された交流近郊型電車です。基本的にロングシートですが、秋田地域の701系の一部でセミクロスシート車があります。また、田沢湖線用5000番台は全てセミクロスシートです。東北本線、常磐線、奥羽本線、羽越本線、仙山線の交流区間において普通列車の主力ですが、ロングシートゆえに旅行者からは嫌煙されています。東北新幹線の延伸に伴う東北本線の第三セクター化では、IGRいわて銀河鉄道と青い森鉄道へ701系が一部譲渡され、両車で追加製造も行われました。また、標準軌用に、田沢湖線用5000番台、奥羽本線用5500番台がいます。


秋田地域の701系。もっとも初期に701系が投入されたのが秋田地域で、0番台初期車にのみ3両編成がいます


盛岡地域の701系。かつては東北本線の一ノ関〜青森で運用されていましたが、東北新幹線の延伸で現在は盛岡以南での運用です。写真は野辺地駅での撮影


仙台地域の701系。仙台の車両は1000番台、1500番台が多いですが、一部100番台もいます。番台違いについては見た目あまり変わらないので、ほとんど区別がつきません。4両編成と2両編成があり、E721系との併結運用も見られます。仙山線では勾配の関係か、仙台〜愛子での運用です


田沢湖線用701系5000番台。701系初の標準軌車両です。また、数少ない701系のセミクロスシート車でもあります


奥羽本線用701系5500番台。山形新幹線の新庄延伸に伴って製造された車両で、運用区間は主に米沢〜新庄となっています。米沢〜福島は719系5000番台が主に運用されています



IGRいわて銀河鉄道7000系。IGRの車両は全て7000系ですが、JRからの譲受車ではない追加製造された車両にセミクロスシート車があります


青い森鉄道701系の初期塗装。隣にいるのはキハ100形です。初期は濃い青色でシンプルなラインでした


青い森鉄道701系の青森移行後の塗装。青い森鉄道のマスコット、モーリーをメインにした水色系になっています


719系
製造1989年〜1991年。0番台は仙台地域に残っていた急行型電車451・453・455・457系による普通列車を置き換えるために製造された交流近郊型電車です。後に奥羽本線向け標準軌用5000番台が登場しています。0番台は台車やパンタグラフなどに485系の廃車発生品を利用していましたが、5000番台は完全新造です。集団見合い式セミクロスシートという珍しい座席を採用していましたが、評判がイマイチだったのか本車両より後の車両では採用されませんでした。東北本線、常磐線、仙山線、磐越西線などで運行されましたが、台車が廃車発生品ということもあり老朽化が進んで、0番台は2020年に全廃されました。0番台から改造された700番台「フルーティアふくしま」と、5000番台だけが現役です。


仙山線で走っていた719系。仙山線は勾配がきついため、E721系投入後は仙山線から撤退して磐越西線、常磐線運用が多くなりました



磐越西線色の719系。磐越西線は455系から719系へ置き換えられ、他の路線と違って専用の塗装(性格にはテープですが)になりました。E721系で置き換えられるまでは2〜6両の編成で運行されていました。ちなみに上の写真は、幕回しのタイミングで撮ったものですので、仙山線運用というわけではありません


701系700番台「フルーティアふくしま」。狭軌用719系では最後の生き残りになりました


719系5000番台。山形新幹線開業に伴う奥羽本線標準軌化で投入された車両です。福島〜新庄の全区間で運用されますが、福島〜米沢は719系5000番台での運用が中心です


952形・953形
製造1992年。次世代新幹線開発のためにJR東日本が製造した新幹線試験車両で、「STAR21」の愛称が与えられています。両方の先頭車で異なる形状となっています。1993年に当時の新幹線車両最高速度の425km/hを達成しました。1998年まで試験に使われ、その成果はE2系等へ反映されています。廃車後は、片方の先頭車が米原の鉄道総合技術研究所風洞技術センター、もう片方の先頭車と中間車1両が利府のJR東日本新幹線総合車両センターで保存されています。



上が米原の保存車、下が利府の保存車。米原の保存車は近江鉄道車内から姿を見られます。利府の保存車は、JR東日本新幹線総合車両センターの車両まつりなどで撮影可能です


E1系
製造1994年〜1995年。新幹線通勤が一般化しつつあった90年代半ばに、輸送力増強のために登場した初の全車二階建て新幹線です。Maxの愛称が与えられましたが、Maxまで詰め込むとか、Maxサイズという意味では無く「Multi Amenity eXpress」の略となっています。元々は600系となるはずでしたが、JR東日本の形式名にEを付ける方針への変更から、E1系となっています。当初は東北新幹線でも使われていましたが、E4系の投入で上越新幹線のみの運行となり、リニューアルで塗装も変更。そのまま2012年に全廃されるまで上越新幹線で活躍しました。現在、鉄道博物館に1両だけ保存車がいますが、リニューアル後の姿となっています。



登場時の塗装のE1系。400系ですでに国鉄型新幹線塗装から脱却していましたけど、この車両の登場はJR時代の東北・上越新幹線の方向性の変化を感じさせました


リニューアル後のE1系。この塗装はのちにE4系の上越新幹線塗装へ引き継がれています


E2系
製造1995年〜2010年。200系の置き換えと、長野行新幹線(北陸新幹線)の開業に向けて製造された新幹線車両です。JR東日本にとって200系に代わる標準型車両として製造され、最高時速も275km/hまで向上しました。東北新幹線用10両編成と長野行新幹線用8両編成が登場し、後年東北新幹線の八戸延伸と新青森延伸で改良型の1000番台が登場しています。その後は製造をE5系、E7系へシフトしたため、200系の全車置き換えには至っていません。長野行新幹線用8両編成の車両は北陸新幹線延伸開業に伴うE7系の増備で全廃されており、東北新幹線用車両も上越新幹線の200系置き換えのためにかなり転属していますが、E3系「つばさ」の連結相手として現在も東北新幹線で活躍しています。



長野行新幹線(北陸新幹線)用E2系。中央のラインが赤色でした


東北新幹線用E2系も最初は中央ラインが赤色でしたが、長野新幹線との誤乗防止と八戸延伸開業に合わせてのちにピンク色に変更されました



東北新幹線用E2系のピンク色帯。最近は東北新幹線の車両は基本的に1000番台となっています


上越新幹線を走るE2系1000番台。1000番台は側面の窓がグリーン車以外大型化されているので、0番台と側面で見分けがつきやすいです


E3系
製造1995年〜2010年。秋田新幹線開業に伴う400系の次の新在直通新幹線用車両として登場した車両です。当初は5両編成でしたが、好評により6両編成へ増結されています。最初に製造された量産先行車が400系ベースの構造となっているので、量産車とは明らかに違う見た目でした。0番台の秋田新幹線投入後、1999年の山形新幹線の新庄延伸に伴い1000番台が登場。その後、山形新幹線の400系置き換えで2008年に2000番台が登場しています。一方で0番台はE7系への置きかえが進み、新型コロナによる旅客減少で、「やまびこ」「なすの」の増結車として残っていた0番台も2020年で運行終了しました。一部の0番台後期製造車は、700番台として「現美新幹線」「とれいゆ」へ改造されたほか、1000番台初期車の置き換え1000番台化に使われていますが、「現美新幹線」はすでに運行終了しました。


E3系の量産先行車。形状が400系ベースなので、E3系量産車より流線型が細めになっていることや、前照灯形状が違うなどで見分けが付きやすいです


E3系0番台の量産車。すらっとした形状で、個人的には好きなデザインでした。なお、「こまち」は途中で全車指定席になった為、元々は自由席車だった車両は座席間隔が狭くなっており、編成内であたりの車両とはずれの車両がありました



E3系1000番台の登場時塗装。400系と共通運用でしたが、400系と座席数に差異があったので、車両運用決定前は販売されていない座席もあったそうです


塗装変更後のE3系1000番台。この塗装より前の方が格好良かったですね


E3系2000番台の登場時塗装。割とすぐに塗り替えられてしまったので、登場時塗装の2000番台は貴重な記録になりました。外観上は、ライトの形状が変更されたことで1000番台と見分けが付くようになっています


E3系2000番台の塗装変更後の姿。山形県知事の意向でこの塗装になりましたが、なんとも変な塗り分けで好きになれません


E3系700番台「とれいゆ」。秋田新幹線用だったR18編成を元に改造された車両で、新幹線の車内に足湯を設置したことから、足湯新幹線とも呼ばれています。車内も大型の和風ボックスシートが中心で、元グリーン車の先頭車だけが普通のリクライニングシート(シートはグリーン席時代のまま)になっています。福島〜新庄の運用なので、福島駅では新幹線ホームではなく、奥羽本線用ホームから発着します


E3系700番台「現美新幹線」。世界最速の美術館として2016年に秋田新幹線用だったR19編成を改造して登場しました。自由席車は片側の壁がギャラリーとなり、ソファー席となっており、1両の指定席車のみシートモケットを作品としたリクライニングシートでした。2020年に引退しています


E127系
製造1995年〜1998年。直流近郊型電車で、新潟地域の115系の一部を置き換えるために0番台が製造され、続いて松本地域の115系の一部を置き換えるために100番台が製造されました。100番台は前面が701系のスタイルになっていますが、0番台がロングシート、100番台がセミクロスシートになっています。0番台は北陸新幹線金沢開業に伴う信越本線の一部第三セクター化で、えちごトキめき鉄道へ2両編成10本が譲渡されています。残る2両編成2本は主に弥彦線で運用されています。なお、0番台1本は踏切事故で車両火災となったために廃車されています。100番台は、主に大糸線、篠ノ井線と中央本線の大八回り(辰野〜塩尻)で運用されています。


E127系0番台。以前は、越後線、白新線、羽越本線で主に運用されていましたが、2両編成2本だけになったことから、弥彦線の吉田〜弥彦の運用が中心になっています


E127系100番台。見た目は701系ですが、こちらは直流用。以前は大糸線でのみ運用されていましたが、クモハ123-1の廃車や、211系投入後は利用者の少ない大八回りと、一部の篠ノ井線列車で運用されています



えちごトキめき鉄道のET127系。最初は上の写真のJR時代のままでしたが、次第に下の写真のオリジナル塗装(というかシール)になりました


E217系
製造1994年〜1999年。横須賀線・総武本線の系統に残っていた113系を置き換えるために登場した近郊形電車です。近郊形電車としては初めて4扉を採用し、セミクロスシート車は残しつつも、209系と同タイプのロングシートが大半となりました。また、普通列車用車両で初めてEを付けた系列です。一方でグリーン車は2両とも2階建車両となり、以後のJR東日本の近郊形運用の車両では2階建2両が標準となりました。登場時は濃い青帯とクリーム色帯で、113系スカ色に合わせた帯色でしたが、2007年から実施された更新工事で帯色が薄い青色とクリーム色に変更されています。一時期は113系全廃による東海道本線の車両不足から、東海道本線用となっていた編成もありましたが、のちに横須賀・総武本線用に戻されました。E235系1000番台への置き換えが始まっており、2021年から廃車が始まっています。



オリジナルの濃い青帯のE217系。編成数が多いために、更新工事は全車終了まで5年かかったので、2012年まで姿を見られました


2006年から2015年まで見られた湘南色E217系。JR東海区間への乗り入れは行わず、東京〜熱海での限定運用でした



更新工事後のE217系。実は正面の帯カットもやや斜めに変更されています


E351系
製造1993年〜1996年。中央本線の松本発着の特急は、中央高速の高速バスに後塵を拝しつつあったため、高速化のために登場した制御式振り子を搭載した直流特急形電車です。この電車がEを付けた最初の形式となります。特急「スーパーあずさ」として、東京・新宿〜松本・南小谷を最高時速130km/hで結びました。大糸線乗り入れは最初は4両の付属編成でしたが、後に8両の本編成の方に変更されています。さらに後にE257系に大糸線乗り入れを譲り、その後は松本までの運用となりました。一時期は東海道本線の小田原発着ライナーにも使用されていましたが、その後「スーパーあずさ」限定運用に戻されています。2018年にE353系へ置き換えられて全車廃車されました。E353系は制御式振り子ではなく車体傾斜装置になったので、JR東日本では最初で最後の振り子式電車でした。


E351系「スーパーあずさ」。中央本線の高速化に寄与した車両でした


貫通扉側のE351系先頭車。こちらだと愛称表示器がありませんでした


E501系
製造1995年〜1997年。常磐線の取手以北は交流電化のため、上野から取手より先に行く電車は、通勤形では無く近郊形の415系が使用されていました。一方で、取手以北から都内への通勤が一般化しつつあり、地元から常磐線快速電車の延長運転を要望されていましたが、石岡にある気象庁地磁気観測所のために、取手以北を直流電化することができません。そこで折衷案的に生まれたのが、209系を交直流化した設計のE501系です。常磐線快速電車ということで、103系と同じく10両基本編成と5両付属編成で製造され、最大15両編成を組むようになっていました。その後415系がE531系に置き換えられ、上野口はグリーン車連結を基本とすることになったため、E501系の運用範囲は土浦以北へ変更。水戸線運用も付属編成で行われていましたが、これも無くなりました。なお、登場時はトイレがありませんでしたが、土浦以北の運用が中心となる前にトイレ取り付け改造しています。



209系の常磐線用のように見えるE501系。現在は土浦〜いわきでの運用となっています


E991系
製造1994年。JR東日本が次世代在来線特急の開発用に製造した試験車両です。1999年に廃車されるまで、常磐線を中心に試験を行いました。試験車両なので、営業運転はしておらず、期間も短かったのであいにく写真は撮影できていません。


キハ100系
製造1990年〜1999年。各地に残る国鉄型の旧式気動車を廃止し、気動車運行を高速化するために登場したのがキハ100系です。18m車のキハ100形、キハ101形と、20m車のキハ110形、キハ111形、キハ112形があります。電車に近い加速力を持って、キハ20系、キハ35系、キハ58系等の国鉄形気動車を順次置き換えていきました。従来の国鉄形気動車とは協調運転できない設計のため、キハ100系を投入する線区は、同一車種に統一することが多くなっています。一方で、後継車種のキハE120形、キハE130系とは協調運転可能となっています。初期に導入された線区で、すでにキハE130系へ置き換えられた線区もありますが、キハ100形は釜石線、北上線、大船渡線、大湊線等で姿を見ることができます。キハ101形は左沢線専用形式で、キハ110・111・112形のキハ110系は八高線、小海線、飯山線、磐越東線、磐越西線、只見線、白新線・羽越本線、米坂線、陸羽東線、陸羽西線、石巻線、気仙沼線、釜石線、山田線、花輪線、八戸線で姿を見ることができます。



18m級のキハ100形。閑散線区向けの車両です。大湊線用の車両は、青い森鉄道へも快速「しもきた」として乗り入れています


左沢線用キハ101形。キハ100系では唯一全車ロングシートの車両です。また、トイレもありません。



キハ100形改造の観光列車「POKÉMON with YOUトレイン」。2012年に東日本大震災復興支援として登場し、当初は色々なポケモンの姿を描いた水色でしたが、2017年にリニューアルしてピカチュウ塗装になっています。2両編成の1両がまるまるプレイルームになっていて、このプレイルームもリニューアル前はカビゴンのぬいぐるみが置いてあったり、色々なポケモンでしたが、リニューアル後はピカチュウオンリーになっています


キハ110系0番台。元々は、急行「陸中」用に登場した急行形気動車で、前面のスカートがパイプ状になっているのが特徴です。急行用ということで、車内がリクライニングシートになっており、現在は主に快速「はまゆり」で運行しています。なお、登場時は前面貫通扉が黒色に塗られていました



一般塗装のキハ110系。100番台、150番台、200番台があり、扉がプラグドアが100番台、引き戸が150番台、200番台です。150番台、200番台には元300番台も含まれています。キハ110系は、両運転台がキハ110形、片運転台のトイレありがキハ111形、トイレ無しがキハ112形です



陸羽東線、陸羽西線用のキハ110系200番台。陸羽東線用は側面が赤帯、陸羽西線用は側面が黄色帯ですが、運用上はどちらも陸羽東線、陸羽西線を走っています。また、石巻線でも運用されています。東日本大震災後の仙石線暫定復旧期間は、仙石線も走行しました



特殊塗装のキハ110系。上は国鉄首都圏色(小海線運用)、下はキハ38形塗装(八高線運用)です



キハ110系200番台「おいこっと」。飯山線向けの観光列車で、名前は「TOKYO」を逆読みしています。観光列車運用以外に普通列車としても使われることがあります


キハ110系300番台。秋田新幹線工事のために、1996年3月からの1年間だけ北上線経由で北上〜秋田を運行した特急形気動車。JR東日本が作った唯一の特急用気動車でもあります。秋田新幹線開業後は、200番台へ改造されて、飯山線等へ転用されました


キハ110系700番台「TOHOKU EMOTION」。キハ110系の0番台と100番台からの改造車で、八戸線を団臨のツアー列車として運行しています。車内で食事を楽しむための列車で、ツアー販売のみですので、みどりの窓口では指定席を買うことがで来ません



キハ100系700番台、キハ110系700番台「HIGH RAIL 1375」キハ100形0番台とキハ110形100番台からの改造車で、キハ110形はキハ112形へ変更されています。小海線で観光列車として運行しています

こんなところで。
かなり写真が多くなり申し訳ありません。大半が電車のために、電車・気動車で分けるのも微妙だったために1記事にしたら、かなりの量になってしまいました。
次回以降は、そんなに写真の数は無い予定です。
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