1/9の田切駅掃除と新年会の翌日、1/10は駒ヶ根駅から南回りで帰りました。
実は前日の田切駅掃除が土曜夕方になっていた理由の1つがこの1/10の朝にありました。駒ヶ根発天竜峡行きの普通列車1500Mに乗るためです。
1500Mは飯田線を走る特急「伊那路」の間合い運用で373系が使用されます。なお、天竜峡から折り返し飯田行きの1505Mも同様です。373系がかつて「ムーンライトながら」で毎日運転されていた時は、静岡から東京まで普通列車として乗ることもできましたが、この運用が無くなってからもしばらく普通列車は残存した物の、2012年3月のダイヤ改正で東京乗り入れ運用が廃止されてからは、もっぱら特急、ホームライナー、臨時急行での運用となり、普通列車運用は沼津近郊でわずかに残るのみとなりました。それがなぜか、2014年の春のダイヤ改正で飯田線と東海道本線での間合い運用が新規設定され(東海道本線は浜松からの送り込みも兼ねる)、373系に普通列車で乗れる機会が拡大されました。
夏場なら、もう明るいであろう朝の6:00頃。側線に居た373系が2番線へ入線するため、一旦飯田寄りにでていった
人影の無い早朝の駒ヶ根駅。いたのは我々5人だけ
入線した373系普通列車1500M
駒ヶ根駅の構内踏切より
うーん、行き先表示機を撮ったけど、暗すぎて光に潰れた
車内は回転式リクライニングシートで、特急運用の間合いと言うこともありヘッドレストカバーつき。クハ372形に車椅子対応シートがある。テーブルは肘掛け収納式
デッキがちゃんと仕切られていないのがこの車両の特徴。一応、ゴミ箱などは設置されています
扉はボタン押し式に対応。デッキが仕切られていない故の保温対策ですね
車端部にあるセミコンパートメント。リクライニングしないが、テーブルがあるので食事しやすい。静岡から普通列車で帰るときには、数人でここをよく利用した。今回もセミコンパートメントを利用しました
トイレ以外に洗面台もあります。この辺りは特急用らしいですね
ちょっと面白いのが、車両間の扉が自動扉なんですけど、押しボタン式のスイッチの場所と、赤外線センサーの場所の両方があること。なぜ統一されていないのか、よくわかりません
途中の伊那大島駅で行き違いの待ち時間
伊那大島駅。かつては有人駅でしたが、ここも無人化されました
天竜峡駅に到着
すぐに1505Mになって飯田へ向かっていきました
天竜峡駅では1時間ほどの待ち時間で後続の中部天竜行きに乗車しました。
待ち時間は周辺を少しぶらつきました。
天竜峡駅。昔は写真右側に駅蕎麦があった
駅前の踏切より、駅構内を見る
天竜川の対岸に渡って駅を見る
名勝天竜峡。天竜峡駅から橋で対岸に渡ったすぐのところに、天竜ライン下りの出発点がある。夏にお勧めです
昭和36年の水害ではとんでもない高さにまで天竜川が増水しました。そのときの最高水位点に立てられている碑
後続の213系5000番台がやってきました。これで中部天竜へ向かいます
中部天竜に到着。ここでも次の列車までしばらく待ち時間となりました
213系5000番台は一旦ホームから天竜峡側へ引き上げていきました
中部天竜駅。今でも有人駅です。佐久間レールパーク最後の日の賑わいが懐かしい
駅前の建物。かつてはここから佐久間ダムや西鹿島方面へのバスがありました
かつて佐久間レールパークだった敷地にはおそらくJR東海社員寮と思われる建物があります。いや、ここにアパート立てても、一般の入居者は居ないからね。駅前だけど、店舗何も無いし
かつてたくさんの車両が置かれていた場所は背の高い雑草だらけ
県道291号線の天竜川に架かる橋。ここはかつて佐久間周波数変換所へ向かっていた資材輸送用専用線の跡で、レール状にアスファルトのヒビが入っているのがわかる
時間余って、ぶらぶらしていたら、民家の前に猫がいたので撮影
373系「伊那路」が豊橋からやってきました
さらに朝乗車した373系も飯田から「伊那路」でやってきました
2本の「伊那路」が中部天竜で行き違いになりました
そして我々は普通列車で豊川へ向かいましたが、これが天竜峡から乗ってきた電車と同じだったり
豊川で一旦下車し、豊川稲荷へお参りしました。もう7日を過ぎているので空いているのかと思ったら、とんでもなく混んでいて驚きました。
豊川駅前
豊川稲荷にて。1/10でこれだけ混んでいるとは思わなかった
豊川駅で売っていた稲荷寿司シュー。シュークリームを稲荷寿司風に作っていました
この後は豊橋に出て、東海道本線を乗り継いで帰りました。沼津で乗り継ぎの列車が東京側でのトラブルで遅れることもありましたが、無事帰ることがで来ました。
実は前日の田切駅掃除が土曜夕方になっていた理由の1つがこの1/10の朝にありました。駒ヶ根発天竜峡行きの普通列車1500Mに乗るためです。
1500Mは飯田線を走る特急「伊那路」の間合い運用で373系が使用されます。なお、天竜峡から折り返し飯田行きの1505Mも同様です。373系がかつて「ムーンライトながら」で毎日運転されていた時は、静岡から東京まで普通列車として乗ることもできましたが、この運用が無くなってからもしばらく普通列車は残存した物の、2012年3月のダイヤ改正で東京乗り入れ運用が廃止されてからは、もっぱら特急、ホームライナー、臨時急行での運用となり、普通列車運用は沼津近郊でわずかに残るのみとなりました。それがなぜか、2014年の春のダイヤ改正で飯田線と東海道本線での間合い運用が新規設定され(東海道本線は浜松からの送り込みも兼ねる)、373系に普通列車で乗れる機会が拡大されました。
夏場なら、もう明るいであろう朝の6:00頃。側線に居た373系が2番線へ入線するため、一旦飯田寄りにでていった
人影の無い早朝の駒ヶ根駅。いたのは我々5人だけ
入線した373系普通列車1500M
駒ヶ根駅の構内踏切より
うーん、行き先表示機を撮ったけど、暗すぎて光に潰れた
車内は回転式リクライニングシートで、特急運用の間合いと言うこともありヘッドレストカバーつき。クハ372形に車椅子対応シートがある。テーブルは肘掛け収納式
デッキがちゃんと仕切られていないのがこの車両の特徴。一応、ゴミ箱などは設置されています
扉はボタン押し式に対応。デッキが仕切られていない故の保温対策ですね
車端部にあるセミコンパートメント。リクライニングしないが、テーブルがあるので食事しやすい。静岡から普通列車で帰るときには、数人でここをよく利用した。今回もセミコンパートメントを利用しました
トイレ以外に洗面台もあります。この辺りは特急用らしいですね
ちょっと面白いのが、車両間の扉が自動扉なんですけど、押しボタン式のスイッチの場所と、赤外線センサーの場所の両方があること。なぜ統一されていないのか、よくわかりません
途中の伊那大島駅で行き違いの待ち時間
伊那大島駅。かつては有人駅でしたが、ここも無人化されました
天竜峡駅に到着
すぐに1505Mになって飯田へ向かっていきました
天竜峡駅では1時間ほどの待ち時間で後続の中部天竜行きに乗車しました。
待ち時間は周辺を少しぶらつきました。
天竜峡駅。昔は写真右側に駅蕎麦があった
駅前の踏切より、駅構内を見る
天竜川の対岸に渡って駅を見る
名勝天竜峡。天竜峡駅から橋で対岸に渡ったすぐのところに、天竜ライン下りの出発点がある。夏にお勧めです
昭和36年の水害ではとんでもない高さにまで天竜川が増水しました。そのときの最高水位点に立てられている碑
後続の213系5000番台がやってきました。これで中部天竜へ向かいます
中部天竜に到着。ここでも次の列車までしばらく待ち時間となりました
213系5000番台は一旦ホームから天竜峡側へ引き上げていきました
中部天竜駅。今でも有人駅です。佐久間レールパーク最後の日の賑わいが懐かしい
駅前の建物。かつてはここから佐久間ダムや西鹿島方面へのバスがありました
かつて佐久間レールパークだった敷地にはおそらくJR東海社員寮と思われる建物があります。いや、ここにアパート立てても、一般の入居者は居ないからね。駅前だけど、店舗何も無いし
かつてたくさんの車両が置かれていた場所は背の高い雑草だらけ
県道291号線の天竜川に架かる橋。ここはかつて佐久間周波数変換所へ向かっていた資材輸送用専用線の跡で、レール状にアスファルトのヒビが入っているのがわかる
時間余って、ぶらぶらしていたら、民家の前に猫がいたので撮影
373系「伊那路」が豊橋からやってきました
さらに朝乗車した373系も飯田から「伊那路」でやってきました
2本の「伊那路」が中部天竜で行き違いになりました
そして我々は普通列車で豊川へ向かいましたが、これが天竜峡から乗ってきた電車と同じだったり
豊川で一旦下車し、豊川稲荷へお参りしました。もう7日を過ぎているので空いているのかと思ったら、とんでもなく混んでいて驚きました。
豊川駅前
豊川稲荷にて。1/10でこれだけ混んでいるとは思わなかった
豊川駅で売っていた稲荷寿司シュー。シュークリームを稲荷寿司風に作っていました
この後は豊橋に出て、東海道本線を乗り継いで帰りました。沼津で乗り継ぎの列車が東京側でのトラブルで遅れることもありましたが、無事帰ることがで来ました。
ブログを拝見してかなりハードスケジュールだと感じました。豊川駅着がお昼ごろですよね。
豊川→豊橋、ここから東海道線を乗り継いで帰られたのですよね。途中で遅れもあったようですが、長時間および長旅、お疲れさまでした。
3月末の清掃でまたお会いしましょう。
豊川で軽食くらいは取れるつもりだったんですが、まさかの大混雑でした。
結局、ヤマサのちくわの天ぷらと、稲荷シューで済ませてしまいました。夜は夜で、沼津の駅蕎麦でしたし。
さすがに駒ヶ根から南回りの鈍行帰宅は時間かかりました・・・。
また春にお会いしましょう。