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おじい様の独り言

地球一周ウオーキング(4万キロ)に挑戦、 2018.1 目標達成
『おじい様・・』は孫との会話中に 生れた固有名詞です

いそうろう

2006-10-08 | 家族のこと

 

 (フローリングで結構すばやく動き回る)

 早朝ウオーキングの道すがら 鳴尾浜公園で何かが 猫とカラスに囲まれていた。

様子わからず よくよく見ていると 15センチくらいの亀であった。

気味悪かったが持ち帰った。EMIYAが興味示せば居候として飼育する 

興味なければ武庫川に放してやることにした。

彼が非常に興味しめしたので居候として認めることにした。

名前 何を食べるか また生態について知識を集めている。

 今朝も元気で動き回っている。

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63年前の戦地からの父よりの手紙(つづき)

2006-10-04 | 家族のこと


ボウヤ オテガミ ヲ アリガトウ


オトウサン モ トテモ ウレシカッタヨ 


 コノツギニハ イナカノ オバアチャン ノ オウチ ノ 


エ ヲ カイテチョウダイ


ボウヤモ シガツニハ ガッコウ ニ ユクヨウニナッタネ


オメデトウ


ボウヤ モ ヨク アソビ ヨク ベンキョウシテ 


ツヨイコドモ ニ ナリナサイ 


ナイタリシタラ ダメデスヨ


 


 中支派遣第一四三 野戦郵便局気付


  呂第三八八七部隊  ○○  信彦


         軍事郵便  検閲済


 


 私のことを父も母も何故か最後まで名前でよばず「ボウヤ」とよんでいた。


 


この年 父は戦死 帰らぬ人となった。おそらくこの絵ハガキが最後のものと思う。


5歳の子供の絵葉書にも検閲印が押してあり戦争の非情さを考えさせられる。


 

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63年前の戦地からの父よりの手紙

2006-09-25 | 家族のこと

  (写真)


ボウヤハ ゲンキデスカ オトウサンハ イマ センチデ 


ハタライテオリマス


ボウヤモ ハヤク オホキクナッテ オトウサンニ テガミオ クダサイ


ソシテ エライヒトニ ナッテクダサイ      (昭和18年)


 


 ボウヤ オタンジョウビニハ ナニヲ タベタカ オシエテクダサイ 


オトウサンハ マイニチ イソガシク ハタライテオリマス 


ゲンキデ オトウサンノ カエルヒヲ マッテオリナサイ   (昭和19年)


 


 ボウヤ オテガミ アリガトウ タイソウ ジョウズニカケマシタ 


オフネノ エモ ジョウヅデス


マタ オトウサント イッショニ オフネ ヲ ミニユキマセウ  (昭和19年)


     


  母の遺品の中より戦地からの 自分宛の父の絵葉書が出てきた。


 いままで これらの葉書の存在すら知らないでいた。60数年ぶりにはじめて自分の目で読んだ。


 当時 母は読んで聞かせてくれていたんだと思う。


 


  いろんな夢を果たせぬままに 父は昭和20年  39歳で 中支で戦死。

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いろいろありました初盆!

2006-08-17 | 家族のこと
  笑也君今年の夏休みは塾の受験勉強のため帰ってこないことになっていた。
 しわしわばあちゃんの初盆のことを考慮したのか急遽娘たちもみんな帰ってきてくれた。
母も大好きだった曾孫や孫達のお参り本当に喜んでくれたと思う。
3日間の滞在の短い日程中 疲れの予想に反し朝のウオーキングに付き合うというので朝5時起きの散歩に付き合わせた。
37度越す炎天下の墓参りも終え昨日帰って行った。
彼の最後のリクエストはいつもながら くらの回転寿司にゆくこと。 
塾通いのストレスか?はたで吃驚するほど食べた。みんなつられて食は進んだ。
いよいよ空港に向かうバス乗車の直前 “食べすぎで気分が悪い”と言い出した。
お盆のチケットは満席 変更きかないし みんなどうするか 途方にくれた。

正直夕方遅く電話”無事着いた”には胸なぜた。
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合格通知

2006-07-30 | 家族のこと
 えみや君
 暑い日が続くけれど元気で頑張ってますか!
今年の夏休みは 中学入試勉強でこちらに来れないで 東京の塾通い 大変だと思うが 来年の夏休みにはいろいろ楽しいこと計画し おおいに楽しもう。

 弟がしわしわばあちゃん(母)の持ち物整理していたら小学2年の通知表に(前に紹介)つづき おじい様50年前の大学の合格通知書が出てきたと 届けてくれた。
 昭和32年 田舎の高校に通学 少し目標の高い目標にチャレンジした。
自分で言うのもおかしいいが 塾なんか勿論なく受験雑誌とラジオの進学講座でわれながらよく頑張ったと思う。
当時母は戦死した父に代わり小学校教員としておじいさんと弟を大学に出そうと頑張ってくれていた。
 この合格通知を見たことの記憶もなく 存在すら知らなかった。
母は自分より 当時よほど喜んでくれ大事に保管していたんだと思う。

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納骨式

2006-07-25 | 家族のこと
 
 本日 5月13日に95歳で亡くなった母(孫の命名による しわしわばあちゃん)のお骨をお墓に収めました。
 どうぞ安らかに !
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お父様は立派な方だったのですね!

2006-07-09 | 家族のこと
 7月7日開眼式の読経が終わったときのこと。
『お父様は偉い人だったのですね。本当に立派な戒名ですよ。』
突然の僧侶の発言は何のことか解からなかった。
父(しわしわばあちゃんの旦那さん おじい様のお父さん)は
1946年おじい様6歳のとき今の中国にて戦死。その後 
気丈な母に育てられ あまり父のことについて詳しく真剣に話を聞くことがなかった。
僧侶は父の戒名を見て判断されたのこと。
今日に至るまで母だけがじっと戒名を守り続けていたので今回60年ぶりに父も母とともに供養され
 両親も喜んでくれてよい開眼式になったのではと思う。
 戒名とは死んだ人に、仏の弟子になったという意味でつける名前とのこと。
よくはわからないが お坊さんによると父の戒名はお世辞ぬき立派とのこと。
母の死により  60年も前に亡くなった父のことも偲ぶことができた。
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誕生日プレゼントをメモさせられた

2006-07-04 | 家族のこと
『誕生日プレゼント何がよい?』
『考えて電話する』それから昨夜まで彼の返事なかった。
遠慮してるのかな。 塾が忙しいのかな。迷っているのかな。
誕生プレゼントの価値観の変化かな。
昨夜電話あり。『結局DVDにする。お爺ちゃん鉛筆とメモ用紙用意して。』
そこでDVD作品名をメモさせられた。
メモを用意させられたのは 物忘れさせないためか。爺さんが買物で困るからか?
おじいさまの解釈・・・彼も相手ことを考えるようになったか!相手が困らないようにと考えたか? 成長しているな。小生の考えすぎ?
ちなみにDVDは エルビス・プレスリー クエドサリバンショーとのこと。
いまから買いに行くが 上手くゆきつくか少し心配。
彼の12歳の誕生日は今日。これから送るも間に合わない。

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5月13日朝 永眠 

2006-05-19 | 家族のこと
 母(しわしわばあちゃん)95歳で亡くなりました。
言葉がありません。強く優しい私にとってはかけがいのない母でした。
15日家族みんなでお送りしました。 いろいろと今は頭がまとまりませんそのうちゆっくり母の事を書きたいと思います。勿論 ひ孫のE君(しわしわばあちゃんのなづけ親)も東京より参列しました。
最後のお別れにみんなで一言ずつ寄せ書きしてお棺にいれました。おじい様は『ありがとう』でした。何故か二人の孫娘(おじい様のお嬢様)も『ありがとう』と書いてくれました。
ひ孫のE君は『最後の最期のお小遣いありがとう』でした。そういえば母の依頼でほんの一週間前お小遣い送っていました。
6年生のE君が書いた 【最後の最期 】は意味深く天国でしわしわばあちゃんも苦笑していると思う。
コメント (1)
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2006年5月13日 6時55分 

2006-05-13 | 家族のこと
 ありがとう! 
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