(フローリングで結構すばやく動き回る)
早朝ウオーキングの道すがら 鳴尾浜公園で何かが 猫とカラスに囲まれていた。
様子わからず よくよく見ていると 15センチくらいの亀であった。
気味悪かったが持ち帰った。EMIYAが興味示せば居候として飼育する
興味なければ武庫川に放してやることにした。
彼が非常に興味しめしたので居候として認めることにした。
名前 何を食べるか また生態について知識を集めている。
今朝も元気で動き回っている。
(フローリングで結構すばやく動き回る)
早朝ウオーキングの道すがら 鳴尾浜公園で何かが 猫とカラスに囲まれていた。
様子わからず よくよく見ていると 15センチくらいの亀であった。
気味悪かったが持ち帰った。EMIYAが興味示せば居候として飼育する
興味なければ武庫川に放してやることにした。
彼が非常に興味しめしたので居候として認めることにした。
名前 何を食べるか また生態について知識を集めている。
今朝も元気で動き回っている。
ボウヤ オテガミ ヲ アリガトウ
オトウサン モ トテモ ウレシカッタヨ
コノツギニハ イナカノ オバアチャン ノ オウチ ノ
エ ヲ カイテチョウダイ
ボウヤモ シガツニハ ガッコウ ニ ユクヨウニナッタネ
オメデトウ
ボウヤ モ ヨク アソビ ヨク ベンキョウシテ
ツヨイコドモ ニ ナリナサイ
ナイタリシタラ ダメデスヨ
中支派遣第一四三 野戦郵便局気付
呂第三八八七部隊 ○○ 信彦
軍事郵便 検閲済
私のことを父も母も何故か最後まで名前でよばず「ボウヤ」とよんでいた。
この年 父は戦死 帰らぬ人となった。おそらくこの絵ハガキが最後のものと思う。
5歳の子供の絵葉書にも検閲印が押してあり戦争の非情さを考えさせられる。
(写真)
ボウヤハ ゲンキデスカ オトウサンハ イマ センチデ
ハタライテオリマス
ボウヤモ ハヤク オホキクナッテ オトウサンニ テガミオ クダサイ
ソシテ エライヒトニ ナッテクダサイ (昭和18年)
ボウヤ オタンジョウビニハ ナニヲ タベタカ オシエテクダサイ
オトウサンハ マイニチ イソガシク ハタライテオリマス
ゲンキデ オトウサンノ カエルヒヲ マッテオリナサイ (昭和19年)
ボウヤ オテガミ アリガトウ タイソウ ジョウズニカケマシタ
オフネノ エモ ジョウヅデス
マタ オトウサント イッショニ オフネ ヲ ミニユキマセウ (昭和19年)
母の遺品の中より戦地からの 自分宛の父の絵葉書が出てきた。
いままで これらの葉書の存在すら知らないでいた。60数年ぶりにはじめて自分の目で読んだ。
当時 母は読んで聞かせてくれていたんだと思う。
いろんな夢を果たせぬままに 父は昭和20年 39歳で 中支で戦死。