先日このブログの読者の方が来られまして、お話をした中で、
自分は目覚めて、自然体(無思考)で存在していれば、
それで良いのだと言う事に、あらためて気付かさせていただきました。
極端な話、知識は要らないのです。
この生きて色々なことを経験しているままが、自分の人生(存在)なのです。
そして、「存在は神である」という言葉を思い出しました。
無思考で(思考を手離して)、存在しているだけで良いのです。
日々瞬々刻々、
人生を生きる姿(消えてゆく姿=無思考)を成就させ続けているだけで良いのです。
無思考であるということは、自分や他人を評価したり、裁いたり、穿鑿したりしないことです。
それは、他人を神と見ることと同じなのです。