家内に、【1533】の「他人に、大きい方のりんごをあげることができますか?」の話をしましたら、
「当然、良い方をあげる」という答えが返ってきました。(^^;ゞ
ただ、それは、「他人を大切にしている」からではなくて、
「小さいのをくれた」と思われるのが嫌だからなのだそうです。(^^;ゞ
他人に「せこい」と思われたくないという「プライド」がそうさせるのであって、
「大きい方のリンゴをあげるのは、愛ではない」のだそうです。(^^;ゞ
これを聞いて、なかなか深い洞察(笑)だと思いました。(^^;ゞ
つまり、野島政男さんの「他人には、綺麗な心で接しましょう」という愛の話が、
「自分が、他人にどのように思われるのか?」という自分中心の発想(?)でも、
「他人に良い物が、手渡されるのだから、それでいいじゃん!」という話に
なってしまったのです。(^^;ゞ
「他人に、大きい方のリンゴをあげることが愛」と思っていた私には、目からウロコの話ですが、(^^;ゞ
家内の「心理描写」には、納得せざるを得ませんでした。(^^;ゞ
私は、表面的な解釈しかできていなかったのです。(^^;ゞ
「人間の心理」は、複雑ですね。(^^;ゞ
「当然、良い方をあげる」という答えが返ってきました。(^^;ゞ
ただ、それは、「他人を大切にしている」からではなくて、
「小さいのをくれた」と思われるのが嫌だからなのだそうです。(^^;ゞ
他人に「せこい」と思われたくないという「プライド」がそうさせるのであって、
「大きい方のリンゴをあげるのは、愛ではない」のだそうです。(^^;ゞ
これを聞いて、なかなか深い洞察(笑)だと思いました。(^^;ゞ
つまり、野島政男さんの「他人には、綺麗な心で接しましょう」という愛の話が、
「自分が、他人にどのように思われるのか?」という自分中心の発想(?)でも、
「他人に良い物が、手渡されるのだから、それでいいじゃん!」という話に
なってしまったのです。(^^;ゞ
「他人に、大きい方のリンゴをあげることが愛」と思っていた私には、目からウロコの話ですが、(^^;ゞ
家内の「心理描写」には、納得せざるを得ませんでした。(^^;ゞ
私は、表面的な解釈しかできていなかったのです。(^^;ゞ
「人間の心理」は、複雑ですね。(^^;ゞ