『知足日記』

『知足』とは、『生かされて、生きている』・『必要な物、必要な経験は与えられている』・『すべて必要。すべて良し』と知ること

創造主は、存在するのか?(法則としての神)

2004-11-23 22:41:42 | Weblog
それで、私たちは、「何」によって生かされているのかということが、知りたくなってきますよね。簡単に言えば、「創造主は存在するのか」ということです。

私は、「創造主」と聞きますと、キリストが浮かびます。
両手を広げている長髪で髭をはやし、白い服をまとった人物が想像されます。
「人格神」ですね。仏教では、この世界を創っている力を「空」と言います。
「無人格神」ですね。そして、つぎには、『創造主は、何の意図を持っているのか』ということが知りたくなりますよね。

先の『生きていくことの意味』の中に、
「猿がタイプライターを手当たり次第に打って、その結果偶然に、シェイクスピアの劇がつくられることは常識では考えられない」という例をもちいて「宇宙に人類が出現したことは偶然ではない」ということが語られています。これを読んで、「天地創造」には、なんらかの意図があるということを、私は納得をせざるを得ませんでした。(^^;ゞ

私は、「創造主」というのは、「無人格」だと思っていますが、
「すべてを知っている人格神」と捕らえた方が、親しみ深い感じがして
使い勝手が良いかもしれません。(^^;ゞ

なぜ、使い勝手が良いことが必要かと言いますと、
「神性」は、私の中にあって、それを顕していくことが、
私が「創造主」の法則に則って、生きていくことなのですから、
使い勝ってが良いほうがいいのです。

『神とは法則である』のですから、罰を与えたりすることはないというのが、
私の考えです。ですから、神の法則に則って、安心して生きて行けばよいと
思うのです。(^^;ゞ

それで、その『神の法則』とは何かを、つぎに書きます。
『法則としての神』には、どのような「意図」があるのでしょうか。