歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

奈良市・平城京左京六条三坊十二坪 東堀河の荷揚げ場 舟入遺構か

2019年03月19日 | Weblog
 奈良市教委員会埋蔵文化財調査センターの昨年4~5月の調査で、奈良市大安寺2丁目の平城京跡で、運河「東堀河」の東側で船の荷揚げ場「舟入(ふないり)」とみられる遺構が見つかった。
舟入遺構は東西16m、南北6m以上、深さ0・8m。西側で幅4・3m分検出した東堀河跡と幅約2m、長さ約1m、深さ0・6mの溝を介して接続されていた。
 古代の都城跡で同様の施設が確認されるのは初めて。
 出土遺物は、同市大安寺西2丁目の同センターで開催中の平成30年度春季発掘速報展(~29日まで)で展示されている。
[参考:奈良新聞、奈良市HP]

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奈良市・平城京左京二条四坊 「宮寺」と墨書された土器が出土

2018年01月18日 | Weblog
 奈良市法蓮町の平城京左京二条四坊十坪の発掘現場で、8世紀中頃の須恵器の杯か皿とみられる土器の底部外面に「宮寺」と書かれていたことが分かった。
法華寺(同市法華寺町)の前身寺院で、藤原氏出身の光明皇后が創建した宮寺を指すと推定。奈良時代(8世紀)の高級貴族の邸宅跡とみられ、藤原氏との関係をうかがわせる。
 続日本紀によると、宮寺は父親の藤原不比等の邸宅を受け継いだ光明皇后が天平17年(745)に創建。その後、法華寺に名前が改められた。
 調査地は法華寺から南東へ約800mに位置する。
[参考:奈良新聞]

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奈良市・平城京左京五条五坊十三坪跡 7世紀後半出土の軒平瓦片が和田廃寺跡(橿原市)出土瓦と同笵

2017年12月14日 | Weblog
 平城京左京五条五坊十三坪跡(奈良市西木辻町)で平成5年に見つかった7世紀後半の軒平瓦片が、和田廃寺跡(橿原市和田町、7~8世紀)から出土した瓦と同笵だったことが、奈良市埋蔵文化財調査センターの調査で分かった。
 文献史料から、出土地の東側には「葛木寺」があったと推定され、和田廃寺跡を聖徳太子創建七カ寺の一つ「葛木尼寺」とする説を裏付ける成果としている。
[2017.12.9参考:奈良新聞]

コメント
 葛木寺は、平城京の時代には左京五条六坊に移ったようである。五条大路に面し、東隣は空海が上京したときに滞在した、佐伯今毛人(いまえみし、719-790)の氏寺・佐伯院であった。
 続日本紀 宝亀十一年(780)正月庚辰【十四】の条に 
  大雷。災於京中数寺。其新薬師寺西塔。葛城寺塔并金堂等。皆焼尽焉。
と記される。
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