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古賀市・谷山北地区遺跡群 船原3号墳に隣接した埋納坑から古墳時代後期の金銅製馬具が一式出土

2013年04月19日 | Weblog
 古賀市教委は18日、同市谷山北地区遺跡群で、古墳時代後期(6世紀末〜7世紀初め)の円墳「船原(ふなばる)3号墳」(直径約20m)に隣接した埋納坑から、同時期の金銅製の馬具が一式そろって見つかったと発表した。 18点が確認され、14点が金銅製。 馬具専用の埋納坑は類例がないという。 古墳の外側だったためか、盗掘された形跡はなく、貴重な発見である。

 圃場(ほじょう)整備の途中で、7世紀初頭前後に築かれた船原3号墳の墓道入り口から5m離れたところに、長さ5.2m、幅0.8m、深さ0.7mほどの長細い穴(埋納坑)があり、馬具がまとめて納められていたのが発見された。
 鉄製の壺鐙や輪鐙、金銅張りの鞍、紐を連結する辻金具や轡引手(くつわひって)、雲珠(うず)や杏葉(ぎょうよう)、鈴などの馬装飾のほか、馬冑(ばちゅ、馬用の冑(かぶと))や馬甲(ばこう、馬用の甲(よろい))と見られる鉄製品も多数あった。 鞍や鐙の数から2セット以上の可能性もあるという。
 金銅製の轡引手は国宝の藤ノ木古墳や宮地嶽古墳(福岡県)の出土品など4例しかない。
 大きさから馬冑(ばちゅう)の可能性がある鉄製品がもしそうであれば、国内では行田市・将軍山古墳と和歌山市・大谷古墳の
2例しかない珍しいもの。
 繋なぎ合わせて甲にする小札(こざね)もあり、馬甲(ばこう)ならこれも数例しかない。
 辻金具は南海産のイモガイで飾られ、朝鮮半島をルーツとする型式という。
 馬具の下には類例のない黒漆の膜が確認されている。 これが何なのか、分析を進める予定としている。
 古墳時代の馬具は副葬品としての部分的な出土がほとんどで、馬具を着装した全体像は埴輪などを基に推定されてきた。
 古墳付近からは鉄鏃60点を出土した穴も見つかった。
 本格的な発掘はこれからになるとしている。
 現地説明会が21日午前10時〜午後3時に開催される。(雨天中止)市役所から送迎バスを運行される。
[参考:共同通信、西日本新聞、毎日新聞、朝日新聞、RKB毎日放送]

古墳時代の馬具一式出土 金銅製、国宝級か 福岡(朝日新聞) - goo ニュース



キーワード: 船原3号墳、船原古墳
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1 コメント

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船原遺跡と倭の五王の関係 (苫屋勲)
2013-12-05 19:23:24
新羅と対立中の「倭」にもかかわらず、新羅風の馬具が埋蔵されていた理由について、古田武彦古代史コレクションを執筆した「古田武彦氏」に
意見を求めてほしい。
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