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韓国・慶州市 チョクセム地区で5世紀前半頃新羅の完璧な鎧セットが出土

2009年06月03日 | Weblog
 国立慶州文化財研究所は2日、遺跡整備のための発掘調査中である文化財庁慶州皇吾洞古墳群(史跡 第41号、慶州市皇吾洞361番地一帯)に密集した4-6世紀頃の新羅の王族と貴族らの集団墓地の「チョクセム地区」のある古墳(C10号墓と命名)から、将帥が着用した鎧はもちろん、乗っていた馬に装着した各種鎧類と馬具類が完全なセット状態で出土したと発表した。
 C10号墓は新羅時代主副槨式木槨墓(주ㆍ부곽식 목곽묘)で、死体を直接埋葬する主槨の他に副葬品を入れる副槨を持つ墓をいう。
 東-西方向に主槨(440×220㎝)を掘り下げてその中に木槨(380×160㎝)を安置して、その西側には副槨(260×220㎝)穴を用意してその中にまた木槨(210×160㎝)を置いたことが明らかになった。
 調査結果、主槨では馬が着用した鎧である馬甲(마갑)を底に敷き、その上には将軍が着たと考えられる札甲(찰갑)が置かれた状態で発見された。札甲は胸甲(흉갑)と背甲(배갑)を広げて敷かれ、この二つはわき腹で整えるようにしたいわゆる「裲当式(양당식)」構造であるという。
 副槨では馬冑 (마주)をはじめとして、鞍装具(안교)・鐙子(등자)・轡 (재갈)・杏葉(행엽)などの馬具付属品が多量に出土した。
馬甲と馬冑をはじめとする馬具類一切と札甲とその付属具一切の鎧類が共に出土した前例はないという。
 馬甲は今までの発掘調査ではほとんどが一部分だけ発見されるだけであり、1992年国立昌原文化財研究所が発掘調査した咸安・馬甲塚(마갑총)で完全な形態の馬甲が出土したことがある。今回のチョクセム出土品は馬甲塚の馬甲より状態がはるかに良好でより一層完全な姿を見せているという。
 人が着用した鎧の場合、今まで板甲(판갑、鉄で作った鎧)はたびたび出土していてその原形を把握するのが難しくはない、札甲は一部付属具状態で出土して、その原形は高句麗古墳壁画(安岳(안악)3号墳・雙楹塚 (쌍영총)・三室塚 (삼실총)・鎧馬塚 (개마총)など)などからのみ察することができた。
 この他にも主槨では環頭大刀(환두대도)と鹿角柄刀子(녹각병도자)が発見された。
 環頭大刀のも柄の部分が東側へ向いていることから見て、ここに埋められた人は頭を東側に置いていたと推定される。
 一緒に主槨の死体頭側では高杯と長頚壷(장경호)等の土器と槍、斧などの鉄器類が出土し、副槨では大壷と有蓋四耳附壷等の土器類が収集された。
 墓築造年代は、高杯などの土器形式から約5世紀前半頃と推定されるとする。
[参考:聯合ニュース、CBSニュース]

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