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ソウル・牛眠洞で百済支配層の大型石室墓を発見

2010年07月08日 | Weblog
 ハウル(한얼)文化遺産研究院は6日、昨年5月から行っていたソウル瑞草区牛眠洞(우면동)牛眠山麓の発掘調査で、初期百済時代末(5世紀中~後半)の横穴式石室墳(횡혈식 석실분)2基と、これより早い時期に造成された百済人家の遺構などを確認したと発表した。
 発掘された大型石室墓の大きさは2号墳が374×445×H112cm、7号墳が297×272×H105cm。
 2号墳は割石を縦に積み上げた墓槨の壁面が基礎部分に残っているが、7号墳はこれらが取り壊されていた。ともに、墓槨の平面形状が方形で、中心軸は南北方向であった。また、ともに周溝痕がみられた。
 割石を積んだ墓の様相は、楽浪・高句麗石室墓などの影響を受けたと見られる初期百済石室墓で、最も規模が大きい部類に属するという。特に2号墳では鉄製鋤(살포)が出土して、墓主人は王族か最高位級貴族であるものと推定されている。
 発掘場所は、漢江の南側、ソウル市庁舎からは南に10km、風納土城からは西南に10kmに位置し、初期王城付近でも石室墓を造ったことに意義があるとしている。
 また、5世紀初めの漢城首都期の百済人家の跡地から全9棟が発見された。家の跡地が墓より下層から発見されたことから、住居地が先にできて廃棄された後に、墓が作られたとみられる。住居地では石臼、장군形土器などと共にガスレンジのノズルと同じ特異な姿の用途不明の異形土器が出土した。
 他に、これら百済墓の上の層から7世紀の遺構と見える新羅時代横口式石室墳(앞트기식굴방무덤、횡구식석실분)全7基が発見されたのをはじめ、旧石器時代の石器類と新石器時代の火を炊いた石跡、統一新羅時代の畑など多様な時代の遺物・遺跡が発掘された。
[参考:聨合ニュース]

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