国立文化財研究所は17日、漢城首都期百済王城の場所であることが確実視される風納土城(풍납토성)の旧未来の村敷地を発掘調査した結果、長さ25mに達する大型呂字形積心建物跡と基壇外装建物跡を確認したことを発表した。
呂字形建物跡は、隣の経堂地区で確認された推定祭儀施設の44号建物跡(注1)と平面形状が非常に類似し、広間規模が14.4×16mであり、出入口施設を含めると南北の長さが25mに達する。 この建物跡は約2m程度大地を掘り起こした後、土を満たして下を固めていた。 また、既にこの建物跡では川石を積んだ積心(注2)が確認されている。
呂字形建物跡の内部では、後に作った基壇外装建物跡も見つかった。 四隅を掘った後、底に礎石を置いてその上に木柱を建てた跡が発見された。 基壇は4~5段程度で石を積み上げ、土を重ね重ねて固めた版築技法が使われていた。 基壇すぐ外側に沿って一定の区間ごとに土にそのまま建てた掘立柱跡も確認された。
風納土城で柱基礎の礎石が確認されることは今回が初めてという。 このような柱を建てる方式は、北魏時代永寧寺(516年創建)の木塔跡(河南省洛陽所在)のものと似ており、位階が高い建物であったのを推定させるとしている。
この建物跡周辺では数千点に及ぶ瓦遺物が確認され、また周辺一部区間で、建物と関連した歩道施設も確認された。 瓦遺物中には経堂地区で出土したことがある蓮華文軒丸瓦をはじめとして獣面文と銭文等多様な模様を入れた軒丸瓦が出土した。
出土遺物から、この建物は4~5世紀頃造られたとみられる。
(注1) 44号建物址: 経堂地区だけでなく風納土城一帯で確認された百済時代遺跡全体を代表するマスコット格。 東西、南北長さが、最小18mを超える大型建物跡だったことを確認された。 宗廟のような祭儀建物跡と推定されている。
(注2) 積心: 柱基礎の下を掘って土や砂利などを満たした設備をいう。
[参考:聨合ニュース]
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2010.11.9 ソウル松坡区・風納土城 漢城百済期最初の積心施設建物跡を確認、「王宮の決定的証拠」?
2009.11.25 ソウル松坡区・風納土城 最古の住居跡発掘
2008.7.1 風納土城・木塔址 井戸のようだ (44号建物址について記載)
2008.12.11 風納土城・倉庫跡?から南朝宋時代5世紀中頃の中国製「青磁陰陽刻蓮弁文碗」(越州窯製)が出土
2008.6.19 ソウル・風納土城 中国製青銅鋪首出土
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この建物跡周辺では数千点に及ぶ瓦遺物が確認され、また周辺一部区間で、建物と関連した歩道施設も確認された。 瓦遺物中には経堂地区で出土したことがある蓮華文軒丸瓦をはじめとして獣面文と銭文等多様な模様を入れた軒丸瓦が出土した。
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