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ソウル・風納土城 中国製青銅鋪首出土

2008年06月19日 | Weblog
国立文化財研究所は18日風納土城内部「未来の村地区」発掘現場で、漢城百済(B.C.18-A.D.475)時代に築造した大規模道路と住居地、竪穴等200件近くの遺跡・遺物・土器などを確認したことを発表した。
主な出土品
① 青銅器などの横面に輪装飾で付ける獣面模様の鋪首(長さ3.5㎝,幅3.2㎝)
漢城時代遺跡では初めての出土。
平壌・石岩里9号墳出土青銅器「銅尊」、益山・弥勒寺地出土金銅香炉のように全体の形が完全に残った遺物では輪の形状で発見されている。
出土した鋪首は中国製と見られており、当時中国との貿易が活発になされたことを現わすものと解釈される。
② 銀製イヤリング装飾品(長さ5.4㎝,幅1.2-1.5㎝)
 中国・吉林省楡樹老河深遺跡出土扶余時代金製イヤリング装飾品と模様が非常に似ている。
③ 平面呂字形の住居地
この時代の韓半島中部地域の他の呂あるいは凸字形住居地と同じように、建物内部に台所、炊事場とオンドルを設けていて、壁体は一定区間毎に立てた柱らと板材が焼けた姿そのままで確認され、その底ではト骨したことが明らかな動物の肩甲骨が発見された。火災で壁や屋根が座り込んだ姿で発掘されており、漢城時代百済の住居形態を究明するのに決定的な資料になる。
④昨年すでに存在が確認された道路遺跡は、今年の調査で分布区間がより一層広くなって、南北の長さ124mに達する規模があらわれた。

銀製イヤリング装飾とト骨は、東夷族の色々な政治体のうち扶余的特性が強いものと推定され、百済王室の根源はやはり扶余だという点と関連して非常に注目される。
鮮文大李亨求教授は「三國志 魏志 東夷伝とか三国史記をはじめとする文献記録を見れば、百済は高句麗とともに扶余族一部が南下して建てた王国であり、そのために百済は泗(扶余)に遷都した後には国号を南扶余と直したりしたと出ている。扶余ではまた吉凶を占う時、牛のひづめや同じ動物骨を用いて、それを灼いて割れた形を見て吉凶を占ったという記録が残っている。」と話している。
[参考:聯合ニュース、朝鮮日報、大田日報]

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