国見町教委は22日、同町森山の「阿津賀志(あつかし)山防塁」発掘調査で、東山道とみられる古道跡が見つかったと発表した。
東山道を埋めて遮るように防塁が築かれていたことが分かった。源平合戦期の戦術が、遺構から具体的に判明した例は全国でもほとんどなく、奥州藤原氏の滅亡にかかわる重要な遺構と評価されるという。
調査では、防塁の下から幅約6mの切り通しの古道跡のほか、道を埋めて作られた土塁と深さ約2mの堀が見つかった。道幅は古代の官道の規格に合う約6mで、正確な年代特定はできないが、平安時代以前とみられ、東山道の可能性が高いという。
[参考:読売新聞、毎日新聞]
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東山道を埋めて遮るように防塁が築かれていたことが分かった。源平合戦期の戦術が、遺構から具体的に判明した例は全国でもほとんどなく、奥州藤原氏の滅亡にかかわる重要な遺構と評価されるという。
調査では、防塁の下から幅約6mの切り通しの古道跡のほか、道を埋めて作られた土塁と深さ約2mの堀が見つかった。道幅は古代の官道の規格に合う約6mで、正確な年代特定はできないが、平安時代以前とみられ、東山道の可能性が高いという。
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