前年度、慶北 軍威麟角寺(인각사)で金銅柄香炉と青銅浄瓶、青銅香盒、青銅二重盒、青銅飯子などが揃った仏教供養具が出土し、韓国美術史学界を震撼させた。これら遺物の製作された年代が統一新羅末期の9世紀頃であることは、さらに驚きであった。
これらの驚きの理由については、国立中央博物館が23日に開幕する「浄瓶と観音信仰」(정병과 관음신앙)展て確認することができる。(10月11日まで同博物館美術館Ⅱ白磁室で開催される。)
今回の展示には仏教儀式具であり日常生活用品でもある浄瓶の中でも、いわゆる名品とされる10点余りが一堂に集まる。
「青銅製水辺風景文淨」(国宝92号、注1)と「青磁水辺風景文淨」(宝物344号、注2)等が姿を表わす。
(注1)銅製 銀入絲 蒲柳水禽文 淨 (ほりゅうすいきんもんじょうへい、청동은입사포유수금문정병)
(注2) 磁 陽刻 葦芦水禽文 淨(いろすいきんもんじょうへい、청자양각위려수금문정병)
この展示は、浄瓶を観音信仰と連結しようとする。その理由は、仏と、菩薩の中でも大衆的人気が最も高い観音菩薩(관음보살)がいつも手に握る物がまさに浄瓶であるためだ。
展示品は、ほかに三国時代観音菩薩(国宝127号)と金で製作した高さ2.6㎝の高麗時代小観音菩薩像も登場する。
中国北宋の使節で1123年高麗を訪問した徐兢は、『宣和奉使高麗図経』という高麗見聞録で、今回展示される仏教供養具を高麗の人々が「浄瓶」と呼ぶと書いた。
古代インド社会で浄瓶は修行生活をする僧侶が飲む水を入れた修行道具であった。そうするうちに観音菩薩が柳の枝と清い水を衆生に与えた後、彼らの病気を治療したという内容が載せられた「請観世音経」という仏教経典が5世紀始め中国に知らされて、浄瓶は僧侶の生活容器から仏教儀式具として機能を拡張する一方、以後には浄瓶と柳の枝が入った「楊柳観音菩薩像」(양류관음보살상)という仏教彫刻も現れた。したがって浄瓶があれば、まず観音信仰(관음신앙)と関連があるかもしれない。
観音信仰は、仏教が色々な信仰に分かれた中でも、すでに三国時代には韓半島に上陸したとみられる。
それでも、これまでに浄瓶は「高麗時代」という年代が当てはめられた。例えば、水辺風景を描写した蒲柳水禽文(포류수금문)という紋がそれを示す主要な根拠となっていた。蒲柳水禽文は、柳の枝が伸びた水辺で泳ぐ鳥と船に乗った人などを描写した叙情的な模様で、この模様は高麗時代青磁浄瓶と大楪にもよく見られ、同じ模様が現れる浄瓶もまた高麗時代遺物とみられてきた。
このような状況下で、統一新羅時代作品だと主張する青銅製浄瓶が麟角寺址で出現したわけだ。これら仏教供養具が統一新羅時代に製作したことが明白な瓦箱中で発見されたためだ。
[参考:聯合ニュース、韓国国立博物館HP]
これらの驚きの理由については、国立中央博物館が23日に開幕する「浄瓶と観音信仰」(정병과 관음신앙)展て確認することができる。(10月11日まで同博物館美術館Ⅱ白磁室で開催される。)
今回の展示には仏教儀式具であり日常生活用品でもある浄瓶の中でも、いわゆる名品とされる10点余りが一堂に集まる。
「青銅製水辺風景文淨」(国宝92号、注1)と「青磁水辺風景文淨」(宝物344号、注2)等が姿を表わす。
(注1)銅製 銀入絲 蒲柳水禽文 淨 (ほりゅうすいきんもんじょうへい、청동은입사포유수금문정병)
(注2) 磁 陽刻 葦芦水禽文 淨(いろすいきんもんじょうへい、청자양각위려수금문정병)
この展示は、浄瓶を観音信仰と連結しようとする。その理由は、仏と、菩薩の中でも大衆的人気が最も高い観音菩薩(관음보살)がいつも手に握る物がまさに浄瓶であるためだ。
展示品は、ほかに三国時代観音菩薩(国宝127号)と金で製作した高さ2.6㎝の高麗時代小観音菩薩像も登場する。
中国北宋の使節で1123年高麗を訪問した徐兢は、『宣和奉使高麗図経』という高麗見聞録で、今回展示される仏教供養具を高麗の人々が「浄瓶」と呼ぶと書いた。
古代インド社会で浄瓶は修行生活をする僧侶が飲む水を入れた修行道具であった。そうするうちに観音菩薩が柳の枝と清い水を衆生に与えた後、彼らの病気を治療したという内容が載せられた「請観世音経」という仏教経典が5世紀始め中国に知らされて、浄瓶は僧侶の生活容器から仏教儀式具として機能を拡張する一方、以後には浄瓶と柳の枝が入った「楊柳観音菩薩像」(양류관음보살상)という仏教彫刻も現れた。したがって浄瓶があれば、まず観音信仰(관음신앙)と関連があるかもしれない。
観音信仰は、仏教が色々な信仰に分かれた中でも、すでに三国時代には韓半島に上陸したとみられる。
それでも、これまでに浄瓶は「高麗時代」という年代が当てはめられた。例えば、水辺風景を描写した蒲柳水禽文(포류수금문)という紋がそれを示す主要な根拠となっていた。蒲柳水禽文は、柳の枝が伸びた水辺で泳ぐ鳥と船に乗った人などを描写した叙情的な模様で、この模様は高麗時代青磁浄瓶と大楪にもよく見られ、同じ模様が現れる浄瓶もまた高麗時代遺物とみられてきた。
このような状況下で、統一新羅時代作品だと主張する青銅製浄瓶が麟角寺址で出現したわけだ。これら仏教供養具が統一新羅時代に製作したことが明白な瓦箱中で発見されたためだ。
[参考:聯合ニュース、韓国国立博物館HP]
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