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京都市中京区・平安京右京三条一坊六町跡(藤原良相邸跡) 9世紀後半の墨書土器に平仮名

2012年11月29日 | Weblog
 京都市埋蔵文化財研究所が28日、平安時代の貴族藤原良相(ふじわらのよしみ、813~867年)の邸宅跡で、昨年の調査で池から出土した9世紀後半の墨書土器約90点のうち平仮名が書かれていたもの約20点が見つかったと発表した。 万葉仮名から平仮名への移行を知る上で、貴重な発見。
 最も破片が大きかった土師器皿(直径13.5cm)の底部には、「け乃」など、全面に平仮名などが書かれていた。 「かつらきへ」(葛城へ)など和歌とみられる平仮名が書かれているのも見つかった。 また、9世紀前半の井戸跡で、檜扇(ひおうぎ)と木簡を発見し、それぞれ万葉仮名で「奈尓波(難波津)」などと記されていた。
 出土品は30日~12月16日に京都市考古資料館で展示される。
[参考:時事通信、共同通信、日経新聞、京都新聞、産経新聞]

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2011.12.09 京都市中京区・平安京右京三条一坊六町跡 墨書土器が出土し、右大臣・藤原良相の邸宅跡「百花亭」と判明
 佛教大と京都市埋蔵文化財研究所は(2011.12月)8日、平安京右京三条一坊六町に当たる場所(中京区西ノ京星池町17番地59他)の発掘現場で「三条院釣殿高坏(つりどのたかつき)」と墨書された土器が見つかり、平安前期の右大臣・藤原良相(よしみ、813-867)の邸宅「西三条第(百花亭)」跡と確定したと発表した。
2011.5.27 京都市中京区・平安京右京三条一坊六町跡 「百花亭」建物跡?が出土

平安京右京三条一坊六町跡
 9世紀後半の平仮名が記された墨書土器が多数見つかった遺跡場所は、「平安京右京三条一坊六町跡」と命名されていた。
 佛教大学二条西キャンパス建設予定地として、昨年2011年4月に調査が開始された。 同遺跡の北東部にあたる第3調査区の調査で平安時代後期(9世紀)の池跡と建物跡3棟が検出された。 池跡の規模は東西18m、南北28m、深さ0.8mで中心に中島があり長細い土手状の高まりが南岸に接している。 西岸池底から、9世紀後半に属する土器、陶器、土製品、石製品、木製品、金属製品、銭貨などが大量に出土し、その量は整理箱約200箱という。 墨書土器が出土しており、土師器高杯に「三条院釣殿高杯」、別の物に「政所」と記したものがあった。 今回の平仮名の墨書土器もこの時に見つかった。
 この地は、『拾芥抄』西京図に「西三条」とあり、右大臣藤原良相邸(「西三条第」、通称「百花亭」)と推定されてきたが、出土遺物、遺構よりそれが確認された。藤原良相邸には実姉の皇太后順子(のぶこ、第54代仁明天皇の皇后、文徳天皇の母)が貞観元年(859)から約1年間にわたって滞在した。
 藤原良相は貞観8年(866)に起きた「応天紋の変」以降は衰退し、翌年に亡くなった。
 その後の、当地の消息は伝わっていないが、嘉保二年(1095)に散位従四位下大江公仲(おおえのきんなか)が藤原資俊(すけとし)宅への放火・殺害容疑で配流の際の残した財産処分状に、西三條地壱町在右京三条一坊六町、建三間四面屋一宇(平安遺文第1338号)と記されている。
[参考:(財)京都市埋蔵文化財研究所HP、現地説明会資料ほか]

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